日本現代思想のヘゲモニー

現在、読者の広範な関心を寄せる現代思想のテーマは、「経済格差」と「環境問題」である。この二つのテーマは、フェリックス・ガタリのうちにあった。「経済格差」の問題は、ドゥルーズ=ガタリとして書いた『アンチ・オイディプス』(河出文庫。なおフェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』みすず書房を読めばわかるように、このプロジェクトの先導役はアイデアマンのガタリだった)が、レーニン的切断と分裂者的切断の二段構成になっていたから(佐藤嘉幸・廣瀬純『三つの革命 ドゥルーズ=ガタリの政治哲学』講談社選書メチエ参照)、レーニン的切断を強調するだけで良かった。「環境問題」については、環境のみならず社会と精神のエコロジーをも視野に入れ、エコゾフィー(環境哲学)・エコエティカ(環境倫理学)を考えた『三つのエコロジー』平凡社ライブラリーと、惑星規模のエコロジーを思考した『カオスモーズ』河出書房新社を指し示すだけで良かった。しかも、フェリックス・ガタリは、書斎に留まる思索者ではなく、ラ・ボルドでの制度精神療法に携わり、政治的発言と行動をするアクティヴィストでもあった。従来、現代思想業界で注目を浴びるのは、現代思想の最前線、生の哲学-現象学-実存哲学・実存主義-構造主義-文化記号論-ポスト構造主義から成る思想潮流の最先端であるはずであった。しかし、アラン・ソーカル『「知」の欺瞞』によって数理問題を比喩的に多用してきたポストモダニズム全般の信用度が下がって来ていたし(この問題には続きがあって、落合仁司『構造主義の数理 ソシュール、ラカン、ドゥルーズ』ミネルヴァ書房によると、主ファイバー束の考え方を導入し、欲動を多様体、構造を構造群、仮象を商空間として表現すれば、数理的にも適切になり、構造主義の復権が可能という事だが、まだこの事は広範に伝わっていない)、ガタリ自身が反ラカン派を標榜する制度派の精神療法を行い、かつ政治的実践もする哲学の外の人であったこと(ジル・ドゥルーズがクレール・パルネに語った『ディアローグ』河出文庫では、小説『嘔吐』を書いたり、様々な政治発言をし(『シチュアシオン』参照)、雑誌『ル・タン・モデルヌ』も出したサルトルを「外の風」として評価している。つまり、ガタリをフランスの思想・哲学業界に導きいれたドゥルーズは、「外の風」を評価する人だった。)も関係して、アカデミズムから疎まれている事もあるのだろうが、現在、日本で注目を浴びているのは、カール・マルクス『資本論』の方なのである。契機は斎藤幸平氏がドイッチャー賞(マルクス研究に与えられる国際的な賞)を受賞した論文の日本版『大洪水の前に:マルクスと惑星の物質代謝』堀之内出版、Νυξ叢書を上梓した事で、その後、マイケル・ハート(アントニオ・ネグリとの共著『マルチチュード』『コモンウェルス』『叛逆』はNHKブックスから刊行されている)やマルクス・ガブリエルらも登場した『未来への大分岐』集英社新書の編者として、さらに単独の著書として『人新世の「資本論」』集英社新書を出し、知名度を上げ、NHK教育「100分de名著 カール・マルクス『資本論』」に講師として登場したので、日本現代思想のヘゲモニーを握ったと判定して良いだろう。マルクスといえば貧困問題の専門家なので、「経済格差」の問題に、社会的・経済的構造の観点から切り込む事が出来、かつ「環境問題」についても、マルクスの未刊行の草稿・研究ノートも含めて刊行しつつあるMEGAの中に、「物質代謝」という言葉でエコロジーの先駆ともいえる研究が入っているので、マルクスひとりで現代の難問をカバーできるというわけである。斎藤幸平氏が注目を浴びたのは、新実在論と新実存主義を唱えるマルクス・ガブリエルを、『神話・狂気・哄笑――ドイツ観念論における主体性』堀之内出版、Νυξ叢書という初期の段階から紹介した事もあるだろう。マルクス・ガブリエルは、一般向けの啓蒙書、『なぜ世界は存在しないのか』『私は「脳」ではない』講談社選書メチエと、新書ラッシュ(『未来への大分岐』『全体主義の克服』集英社新書、『新実存主義』岩波新書、『世界史の針が巻き戻るとき』『つながり過ぎた世界の先に(近刊)』PHP新書、『欲望の時代を哲学する』『欲望の時代を哲学するII: 自由と闘争のパラドックスを越えて』『危機の時代を語る』NHK出版新書)と、NHKへの出演(「欲望の資本主義」「欲望の民主主義」「欲望の時代の哲学~マルクス・ガブリエル日本を行く~」「欲望の時代の哲学2020 ~マルクス・ガブリエル NY思索ドキュメント~」「マルクス・ガブリエル コロナ時代の精神のワクチン」)で、今や哲学のロック・スターとも言われているらしい。カンタン・メイヤスー『有限性の後で』人文書院が刊行された時、カンタン・メイヤスーの思弁的実在論が、新しい時代の哲学になるかに見えた時もあったが、カンタン・メイヤスーは一般人には簡単ではなく、未邦訳の部分が神学問題に深く入り込んでいくという情報が伝わり、関心が薄れていったように思われる。日本の現代思想の状況は、こんな感じだが、これでいいか。確かに、マルクスが現代の「格差問題」に光を投げかける事は事実である。マルクスの「環境問題」研究が、どの程度のものなのか、MEGAの自然科学領域部分の邦訳が、早く為されることを期待するしかない。生態学の誕生前夜の時期であるから、化学的な地質土壌の基礎研究止まりではないか、生態学は、その後公害問題、例えばレイチェル・カーソン『沈黙の春』新潮文庫、有吉佐和子『複合汚染』新潮文庫、石牟礼道子『苦海浄土―わが水俣病』講談社文庫、さらに地球温暖化問題と観点が変化してきた。また、マルクスの現代社会への処方箋は劇薬であって、旧ソ連時代のソルジェニーツィン『収容所群島』新潮文庫の問題は、ソ連型マルクス主義や中国型マルクス主義と一線を画すと言っても、その思想の根幹は維持しているので、解放の思想のはずが、パラドキシカルに収容所を作り出すというアポリアは未だ解けておらず、中国の人権問題(チベット・ウイグル問題、天安門事件を無かったことにする歴史修正主義)、香港での民主化弾圧問題、北朝鮮での独裁などを引き起こしている。例えば、これがマルクスではなく、フェリックス・ガタリであればどうか。ガタリならば、レーニン的切断の後、分裂者的切断を提示することが出来た。分裂者的切断とは、異種多様態を許容するということである。ドゥルーズ=ガタリでは、弁証法的に「多」から「一」に帰結することがない。反弁証法であり、「一」から「多」を開く。多事争論の場を開く。マルクス主義には、弁証法を廃棄し、スピノザや、さらに遡ってエピクロスに戻ってやり直すくらいの抜本的改造が必要なのではないか。或いは、ルドルフ・シュタイナーの社会の三層化のように、法制度としては民主主義、精神生活には自由主義、経済生活には社会主義という三原理を同時に走らせることができれば、異なる意見の持ち主が収容所送りになったり、弾圧され刑務所送りになる悲劇は防げるだろう。「経済格差」是正のために、人命や人権がないがしろになってはいけない。貧困問題をなくすこと、人命や人権を守ること、これらは同時に確保されねばならない。と同時に、地球環境問題、先駆者たちに敬意を示し、その精神を見習うと同時に、現代の最先端の知見を取り入れて行かないといけない。誰がということよりも、何が必要か、何を為すべきかが優先されなければならない。そして、自由と幸福を同時に実現すること。幸福のために、自由を手放してはいけないし、自由のために皆の幸福を犠牲にすることもあってはならない。そう思う。

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