スタンドバイミー函館③「昔の宿泊学習旅行」

昔の宿泊学習旅行

「おー!」
「わー!」
車窓から、大沼、小沼、ジュンサイ沼、その後方には、晴天にくっきりそびえる駒ヶ岳。

「おーい、駒ケ岳からの噴煙が見えるぞ。」
右側は波穏やかな噴火湾を眺め、歓声を上げたり、たわいもないおしゃべりをしている私たちを乗せた列車は、函館本線を北上した。

1泊2日の宿泊学習宿で、白老と登別に行くのである。白老では、アイヌ民族村を見学して歴史や展示物の説明を受ける。
ここではアイヌの人たちの木彫りの熊や、こけしが沢山売られていた。私はニポポという小さなこけし、アイヌのお守りだそうで購入した。
また、アイヌ独特の模様の手拭いも購入した。
そして登別へ向かった。宿泊先は登別温泉第一滝本旅館で、登別温泉では一番大きな旅館である。

一休み後。

「風呂に行こうぜ。」
「オー!」
大きな風呂があると聞いていたので、プールのような大きな温泉かと思っていたら、体育館より広い場所に丸い形や楕円形や、四角い形の温泉風呂が10数個在った。
いくつかの風呂に入っていると、誰かが
「女子が入って来たぞ!」
「こっちへ来るぞ」
「エー!」
ここは脱衣所は違うけれど、男女共同の温泉である。
「やばい、出るぞ!」
と、女子に見つからないように、逃げるようにして風呂から上がった。

食事の後、私2班の班長なので
「夜、先生に起こしてもらいたい者」
と告げると、夜尿が心配なのか
「大丈夫だけど念のため起こして」
と、多くの者が手を上げた。
翌朝早く起き、隣に寝ている寄本を起こし、風呂に行く。
女子がいないか様子を見ながら入る。
「いない、いない」
「安心、安心」と入り、
洗い場の所に行くと担任の女の先生ともう一人の女の先生がいた。
「朝風呂、君達も入って来たの」
「洗ってあげようか」
「いいよ、いいよ、結構です」
と側を離れた。
今考えると、幼かったし、おおらかな時代であった。

しばらくして修学旅行の写真が出来てきた。
集合写真がほとんどだが、中に班長の石井、安藤、私の3人が並んで撮った1枚があった。
その写真をおばあちゃんが見て、
「3名で写す写真は真ん中に居ると早死にするよ」
と言っていた。その言葉が後々まで耳に残り、その後たまたま3名で撮る機会があると、自然と真ん中にならないようにしていた。
しかし今70歳を超えた、当時の3人は健在である。

「集まれー、集合、集合」
二日目、昨日白老のアイヌ民族村を観て、今宿泊先の登別温泉である。
男子は4班に別れ、班長は学級委員がなり、私は2班の班長である。
6名の班の人数を確認して、先生に2班「全員集合」と報告する。

班別行動で登別温泉を巡った。登別の地獄谷には驚いた。赤茶けた山肌に剣のような岩があちこちにそびえ立ち、どんよりと濁った灰色の沼からはブツブツと熱湯が噴出し、いたる所から白い水蒸気が 立ち上っていた。
まさに地獄とはこの有様と思った。

地獄谷の先にはクマ牧場もあり、クマたちは見物客の投げるエサを待っている。二本足で立ちあがり、こっちに寄こせと言わんばかりに手を叩いたり、手を合わせるクマもいた。私たちは人慣れしているクマに早々に見切りをつけ、下のお土産街に行った。一軒のお土産店の横の広場に、檻に入ったクマ2頭がいた。それぞれ一頭ずつ檻に入っていた。

「可愛い目をしているな、パン食べるかな」
とそれぞれにパンやお菓子を投げ与えた。二頭ともうまそうに食べた。私も大きなコッペパンを投げたが、そのパンが二頭の檻の境目に落ちてしまった。とたんにクマ二頭がそのパンを取ろうと、境目に近づき大きな唸り声を出し、互いに威嚇し合い、檻をガタガタ揺らしはじめた、穏やかだった顔付が獰猛になり、牙をむき出しうなり声もさらに大きく突進するような態勢や、二本足で立ちあがり手足をもがき震わせるような態勢をする。

「なんだ、なんだ」
と近くの見物客が集まって来る。
この衝突の原因は私たちにある、またクマの突如の凶暴さに怖くなり、見物客と反対に急いでその場を去った。
「ああ、驚いた、驚いたよ」
「あんな凄い喧嘩するなんて、怖かった、」
「檻が壊れるかと思った」
と、口々に話し宿舎に戻った。
でも、このことは先生には秘密、秘密、秘密にしていたのである。

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