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映画『砂の器』再び

日曜日の昼下がり、夫が点けていたテレビで映画"砂の器"が放送されていた。

私はこの映画を中学生の時に観て深く心を動かされた。
長い間テレビで放送されず、レンタルビデオを借りることもしなかったので、再び観ることはなかった。
何年前だったか、テレビドラマになった時に昔の映画も放送されたので観たのが二回目、今回は三回目だった。

そうは言っても、たまたまやっていたのが目に止まったもので半ばからであったし、途中で三男夫婦が訪れたのでじっくり観賞できなかった。
というか、二人にあらましを解説しながら観た。
ネタバラシする困ったおばちゃんである。
しかし、ネタバラシなどこの映画を語るに、なんの役にもたちはしない。

二十歳の頃に原作を読んだ。
映画ではよくわからなかった、のちに殺人犯となる少年が親と生き別れてから、どのような経緯で音楽家として大成したのかが小説には詳しく書かれていた。
そして、少しご都合主義的に感じたのを否めない。

そんな事を言ったらミステリーは楽しめない。
同じく松本清張の著作"点と線"を読んだ時に、たった四分間にあれだけの人混みの中に知人を見つけられるものか…
東京駅の13番線ホームに立ってみたいと思ったが、時すでに遅し横須賀線は地下ホームになっていた。

映画を何年ぶりかに観て、新しい発見もあった。
十五歳反抗期真っ只中の自分にはさほど響かなかった親子の生き別れが、ハンセン病患者とその家族にとっては名実とも終の別れとなっていたという重い歴史の事実。

中学生の私には、現在いまを守るためにはかつての恩人を殺害するのも厭わない、その心の有り様を俳優の演技や表情から読み取ることができなかった。

聞き逃していた台詞もあった。
犯人逮捕のためにコンサートホールに駆けつけた刑事の、(容疑者は)音楽の中だけで父親と会っているのだ、という呟き。
それを聞いて合点した。
生々しさを感じさせない端正でクールな俳優の表情には、親子の濃密な心の旅の記憶が封印されていたのだと。

容疑者が手錠をかけられるまでは描かれない。
容疑者はこの全身全霊を込めた宿命組曲を完成させ世に残すのが本望であった。
それ以外の、金や名声などどうでも良いのだ。
政略結婚も恋人への裏切りも殺人も、全てこの曲を世に送り出すため必然であった。
そんなふうに思った。

この曲は単に映画のサントラではなく、この曲を以て映画が後世まで継がれ完成形となる。
すごい仕掛けだ。


こちらはドラマ版、テーマは受け継がれて時代と共に表現がアップデートしてると感じます。


※ヘッダー画像はケンコウさんよりお借りしています。
ありがとうございます♪

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