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極めて個人的な話〜③月並みですが一期一会はほんとうだ!

超絶自分語り、再開です。
承前はこちら

すべては出会いの中に

何かを始めよう、と、かつてかじったことのあるパッチワーク・キルトを選んだ。

けれども、何かを始めることにした"きっかけ"は「パッチワーク・キルトがやりたい」ではなかった。

そこにはいくつかの人との出会いがあった。

ボランティアから広がる

次男が大学入学と同時に上京した春、ふとした思いつきで音訳ボランティアを始めた。
音訳とは、視覚に障害のある方のために墨字テキストを音声に訳すことだ。
社会福祉協議会で、市の広報誌等を音訳して録音図書を作り、郵送するボランティアを募集していたのに応募した。

そのメンバーに、トールペインティングの教室をされている方がいた。
私は絵が好きで、トールペインティングも通信で習ったことがあった。
その時より二十年ほど前である。
市内に教室も教えてくれる人もなく、仕方なくヴォーグの通信講座を受講した。
けれども、通信では細かい筆の使い方やタッチがつかめず、それも途中で放り出していたのだ。

そのやりかけを仕上げるために教えていただこうと教室に通い始めた。

講師は私より少し年上のほぼ同世代、この道二十年という。その当時は市内に教室がなかったのに、どのような経緯で講師資格を取られたのかうかがった。

雑誌でトールペインティングの作品を見て、自分もやりたいと思ったが教室がなかった。
そこで、家族にどうしてもやりたいので広島まで通いたいと申し出た。

ご主人はまったく反対することなく、やりたいならやってみなさいと言われたそうだ。
小学校低学年だったお子さん二人も、ママが頑張るなら応援すると、留守がちになるのを受け入れてくれたと言う。

この話を聞いて、やる人はやるものだとつくづく思った。
やりたいと謳っているばかりで、家族を説得する意気込みのようなのが自分にはない、本気度が足りないのだと思った。

すごい人

出会いはもう一つあった。

音訳を始めて間もなく、社協が催したボランティアと利用者との交流会に参加した。
そこでとある同世代女性に声をかけられた。

彼女は、某視覚障害者の団体の島根県支部の副理事をされていた。
団体では、会員の家族用に墨字の会報誌を発行していた。
その原稿作成から発送までの手伝いをしてくれないかと要請された。当然ボランティアである。

彼女自身視覚に障害があり、ぼんやり影が見える程度だと言う。
私はそれまで視覚に障害のある方に接したことがなかったので、正直そのような状態でどうやってパソコンで文書を作成したり、印刷したり、冊子にまとめたり発送したりできるのか不可解だった。

しかし彼女はすごかった!
まるで人間コンピューターのようだった。
頭の中にハードディスクが入ってるのではないかと思うほど、さまざまな情報が整理分類されて記憶されていた。

Wordで原稿を打ち込むのは彼女で、私は段落を揃えたり見出しをつけたり、印刷する文書に仕上げていく補助をした。
こればかりは目で確認するしかないのだ。
というより、目で読むための体裁を整えるのだから、目を使うのである。

彼女は生まれつきではなく、子育て中に徐々に視覚を失った。治療の道のない難病である。
それでも、絶望することもなく投げやりにもならず、自分にできることを精一杯やりながら活き活きと生きている。

彼女との出会いは間違いなく、大きく踏み出す後押しになった。

つづく


※メリーゴーランドの画像はユハコさんよりお借りしています。ありがとうございます♪




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