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「結婚」ってなんだろう?

 恋愛感情のある2人はいずれ結婚するということがよくある世間の流れとして存在している。

 しかし、私は世間一般ではあまり言われないような異なった考えを提唱したい。


結婚は男女のもの?

 世界では同性間であっても結婚できる国はあるが日本を認められていない。

日本国憲法第24条1項に
「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」
2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」と記されている。

 この条文に対し、この「両性」という言葉が論点になっており、これは男女の両性なのか、それともただ結婚する二人という意味なのかという二つの意味の解釈が存在するためである。

今は、この両性は男女の結婚が想定されているとされ、同性婚は現在の日本ではできない。

 日本でも地域によってはパートナーシップ制度というものがあり、それは「法的に効力はないが、両者を結婚していると認める」というものであり、結婚によって得られる権利を得るものではない。


結婚は二人のもの?

 日本は一夫一婦制であり、重婚が禁止とされている。

民法732条は「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない」とし、重婚を不適法な婚姻として取り消しうるものとする

重婚罪も存在している。重婚罪について

 重婚罪は、「一夫一婦制」という文明社会の倫理を建前において保護しようとしているのに過ぎないのかもしれません。ただ、道義的建前の宣言という面が、明治期の立法である刑法にはあるのでしょうか。重婚罪は、刑法の歴史的一面を残す刑罰規定なのかもしれません。

とも書かれている。(引用『重婚罪? - 参議院法制局』)

結婚によって得られるものって?

 私は大きく言って、現時点の日本の状況から二つ得られると思う。制度的に得られる権利世間的に後ろ指を指されない(世間的になんかごちゃごちゃ言われないというこの二つだ。

・制度的に得られる権利

 「婚姻」と「結婚」では、「婚姻」のほうが、学術的にも、法的にも、正式の用語として扱われている。結婚することによって「一世帯」となり、国からの補助金や生活保護等の制度を利用することができたり、財産分与や子供の親権、病院で家族と認定され立ち会いができる。などがある。

世間的に後ろ指を指されない(世間的になんかごちゃごちゃ言われない

 なぜか知らないが、結婚していないと「えぇ~結婚しないの~」みたいな質問がある。自分の勝手でしょうよ。そんなの。また、結婚しないやつは人間的にやべぇーやつみたいな風潮。結婚しているから人間的に素晴らしいと一概に言えないですよ。


私の意見

 人間は一人で生きていくことは難しい。支え合って生きていくことで生活の実質的にも精神的にも安定し、生きやすくなる。

昔の日本なら、地域内での交流が盛んであり、子供を近所の人たちが注意したり、食べ物をおすそ分けしたりと地域単位でコミュニケーションを行えていた。そこに安心できるコミュニティーが存在為ていたのだ。しかし、今はそんな世間的雰囲気はない。私たちにも身に覚えがあるだろう。地域の人との交流は少なく、話しかけられたら不審がられてしまうだろう。

 昔とはコミュニティーのあり方が変わったのだ。SNSで顔の知らない人ともつながることができるが、それは安心できるコミュニティーになっているのだろうか?疑問である。

結婚によって人々が支え合って生きていくことができるのではないだろうか。「結婚」という制度をつかって生きていくことで、支え合い、一人一人の生きづらさが緩和されていく、一助になるのではないかと考えている。だから、特にその間柄が恋愛感情によるものでなくて良いと思う。

・男女と区切らず、どのような性別であっても結婚できる

・結婚を2人とするのではなく、何人とでも結婚できる(もちろん当事者間の同意あっての話である。)

「こんなかんじの結婚でいいんじゃないの。難しく考えずにさー」って

 「生物的に子孫を残す存在である男女の関係性が正しい!」という意見もあるだろうが、それと結婚がなんの関係がある?

特に恋愛感情が両者になくとも、結婚という制度を使うことでいきやすいのであれば結婚すれば良いと思う。別に結婚=繁殖ではないでしょ?

 もしその主張が正しいと仮定した場合、生殖活動ができない方たちを見殺しにするということかい?こどもも優秀な人間たちだけ厳選されろということにつながり、優生思想に当たらないの?

そういう非難的な意見がでることは、それを論じている人自身の首を絞めている。相手に寛容になれば、自分にも寛容さが帰ってくる。あなたのいう「正しさ」によって区切るのならば、いつか他の「正しさ」の中に入れずあぶれ、非難される目にあうのではないだろうか。

別に子孫を残すというのは子供を産むということだけにとどまらないと思う。自己肯定感が芽生えるような、のびのびとしたいい環境、モデリングとなるような生き方をすればいいのでは?
私は人間が生きている意味とか定義づけなくていいとは思っている。そもそも生物が生きている意味が子孫を残していくことという結論自体正しいのか?と考える。

 幸福であるかどうかは自分で決めるのだ。自分の感情も同じように。他者がどうであろうと、基本関係ないだろう。人は人、自分は自分である。2人以上の結婚も当事者同士納得していれば良いと思う。オープンマリッジも同様に。不倫騒動とかも興味ないし、どうでもよい。あくまで当事者間がどのように捉えているかということが、一にも二にも大事である。


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