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脚本家坂元裕二、「大豆田とわ子」と「怪物」(ネタバレあり)

見ました。「怪物」。
マブダチに、絶対見ろ、あれは俺たちの映画だ。と言われ即見に行った。素直〜
以下、感想とかをつらつらと書いていくがネタバレを含むので、まだ「怪物」と「大豆田とわ子と三人の元夫」を見てない人は早くどっちも見てから読んでくださいませ!




まず、「怪物」の感想から。あらすじなどは省きます。あらすじを述べたいわけではないので。

この映画は全体を通して、「ただ一つの真実」を追い求め、自分の「正しさ」を振り回す人のことを「怪物」としているように思えた。
そういう意味で、人は誰しも「怪物」の面を持っているし、何かのタイミングで「怪物」になってしまうのだと思った。
みんななんだかんだ、正解はひとつだと思ってしまう時があるし、真実も本当のこともあると思ってしまう。でも実際はそれぞれの事実しかなくて、ほんとうも正解も真実もない時がある。


私は自分のセクシュアリティが確定している人間ではないので、安藤サクラ演じる母親の言葉がいちいち刺さり、とても苦しかった。あと保利先生の「男らしく」とか「(トイレ)出たか?」とかの言葉も本当に無理だった。

母親の言葉で「湊が普通に生きてくれれば」「湊が家族を持ってしあわせに暮らすまでは」等があったが、自分が「普通」じゃないのだから絶対無理だし、母親のことは好きだし感謝してるんだけどそれと自分のアイデンティティは別物なので、気持ちがぐちゃぐちゃになって車から飛び降りてしまう湊には感情移入してしまった。

子ども時代は、大人たちがさも自分たちは世界の正解みたいな顔をして生きてるばっかりに、大人の吐く言葉ひとつひとつに一喜一憂させられていたのを思い出した。いや、23歳になった今も大して変わらないかもしれない。

自分を自分として丸ごと受け止め肯定してくれない大人が周りにいるという事実は、子どもが心を壊す理由として十分すぎるものだと思う。

湊と依里はラストのシーンで、廃車のなかで「出発の時間だ」とつぶやき、暗い水路を通り抜けまばゆい光の中、駆け出していくのだがそれはさながら「銀河鉄道の夜」のようで、あぁこのラストは死を超越しようとしているのだなと思った。
ラストで考えるべきは、2人が死んでしまったのか生きているのかということではなく、2人が「生まれ変わるとかはないと思う」と自分を自分として生きていくことを決め、好きな人と笑顔で走っていく選択をしたということである。

私の好きな研究者が、パートナーのことを時たま「伴走者」と呼ぶのだが私はその呼称を気に入っている。人生歩いても走っても止まったっていいが、いつでも同じ方向に向かって呼吸を合わせながら進む「伴走者」の存在は何物にも代えがたい。

別のシーンの話になるが、どろどろの廃電車の窓を大人二人がかき分けなんとか中の様子を覗こうとするシーンも私のお気に入りである。
あれは美しかった。廃電車の窓から白い粒の光が見えるのに、絶対に完全には明るくならないみたいな情景は心象表現として素晴らしいのではないだろうか。

あと、校長の言葉「誰かにしかない手に入らないものなんて幸せじゃない、しょうもない、しょうもない、そんな幸せしょうもない誰にでも手に入るものが幸せなんだよ」はまだ噛み砕けていない。個々人の幸せは他人には理解できないし、手にも入らないような気がするのだが……校長のいう幸せはもっと広い意味というか、ぼやぼやさせた幸せなのかな。この点についてはもう少し考えたい。


まあこれくらいが「怪物」の感想だ。これに加えて、タイトルにあるように私は「大豆田とわ子と三人の元夫」も「怪物」に紐付けて考えたく思う。それは脚本家がどちらも同じだからだ。

私は、「大豆田」のエピソード6でかごめが急死したのを許していない。
かごめはアロマンティック・アセクシャルであったと推測される。かごめに、とわ子の元夫田中八作は恋心を寄せていたが、結局とわ子と八作は結婚する。
かごめは「ただ恋愛が邪魔。女と男の関係がめんどくさいの。私の人生にいらないの。」と言っていた。
私は、そんなかごめが今後どういうふうに自分の人生を歩んでいくのかとても楽しみにしていた。そしたらなんかエピソード6で突然死んだ。ア⁉️⁉️⁉️なになになに⁉️⁉️⁉️

アロマンティック・アセクシャルをドラマに登場させることはまたまだ「先進的」なのだと思うが、出したなら最後まで描いてくれ。なんか、急にかごめは物語から退場させられて、その後とわ子の「やっぱり1人じゃ生きられないよね。恋と仕事が楽しいよね」みたいな価値観のもとエピソード10まで進んでいく感じ、とってもグロテスクでした。
一応、とわ子は八作とかごめと「3人で生きていく」と発言してるけど、これはとわ子が選択したことでかごめが選択したことではない。

エピソード10では、実はとわ子のお母さんがレズビアンであったことがわかる。とわ子は自分が生まれてよかったのか、自分が母から愛されていたのか不安になり、母の元交際相手(女性)のもとを訪ねる。元交際相手は「あなたは愛されていた。あなたの母は幸せだったと思う。」と、とわ子が欲しい言葉をかけてくれるのだが、その言葉を言わせるだけの存在にされている元交際相手という感じがしなくもない。とわ子が主役なのでしょうがないのだが、なんだかイマイチですね〜と私は思ってしまった。

「大豆田」のことがあってから、私は坂元裕二のことを信用できていなかった。坂元裕二は「普通」からはみ出した人を描くのがとっても上手いのだけど、そのはみ出した人のなかでも特にいわゆる「性的マイノリティ」の人々に対しては結末が「死」とか「孤独」しか与えていないように思う。
今回の「怪物」は是枝監督がどのくらい脚本にも手を入れたのか定かではないため100%坂元裕二でもないんだろうが、最終的には死(の暗示)があった。

別に坂元裕二作品を「カルテット」「大豆田」「怪物」くらいしか見てないので偉そうなことが言える立場ではない。坂元裕二を嫌ってるわけではないのだが、手を掴みひっぱりあげてくれるのに途中で手を離されバイバイされる感覚がなんとなくあるのだ。(これは私の感じ方なので、坂元裕二を否定したいわけではない)
なんかNetflixと坂元裕二が手を組んで新しく映像作品作るっぽいので、今後はそちらの動向にも注目していきたい。


色々と文句もうたうだ言ってきたが、総合して「怪物」はとっても面白くいい映画だと思う。

映画館で見た時、私はとっても苦しくて息しづらいな…と思っていたのだが、ラストのシーンで隣に座っていたお姉さんが爆泣きしていて、「ありがとう…」と思った。映画館ってこういうことがあるから楽しいよな。
坂本龍一の音楽も素晴らしかったです。なんかお亡くなりになったことが信じられない。教授がまだ生きているような気がする。教授の音楽を映画館のいい音質でデカ音で聴けて幸せでした。


久しぶりに映画の感想書いたからとりとめもないけど、ここまで読んでくださった方はありがとうございます。


おわり


ティ

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