「カムカムエヴリバディ」は「あまちゃん」へのアンサーである ~藤本有紀とクドカンの朝ドラップバトル~
NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)「カムカムエヴリバディ」(以降「カムカム」と表記)は、2022年4月8日金曜日に最終回を迎えた。2022年5月4日にはNHK総合で総集編も放送され、いよいよフィナーレを迎える。
「カムカムエヴリバディ」とはどういう朝ドラだったのかと問われれば、多くの人が様々な回答や感想をもつと思うが、私の答えは、
「カムカムエヴリバディ」は「あまちゃん」へのアンサー
というものだ。
ご存知の通り「あまちゃん」は、宮藤官九郎(クドカン)の脚本による、2013年に放送された朝ドラである。「あまちゃん」はそれまでの朝ドラ視聴者以外の視聴者層も巻き込み、大きなブームを巻き起こした。
「カムカム」で描かれたエピソードや小ネタ等は「あまちゃん」を彷彿とさせるものが非常に多い。特にひなた編に入ってからは、Twitter等のSNSで「カムカム」と「あまちゃん」の類似点を指摘する投稿が数多くみられるようになった。
しかし「あまちゃん」に似ているのは、ひなた編だけではない。細かく見ていけば、ストーリーの構造やモチーフ等、様々なところに「あまちゃん」との類似点やオマージュを見出すことができる。
一方で「あまちゃん」は、2007年に放送された朝ドラ「ちりとてちん」との類似点が多いことがよく指摘されていた。そして「ちりとてちん」の脚本を担当したのが、ご存知の通り「カムカム」の脚本家・藤本有紀である。
「ちりとてちん」も加えると、以下の通りである。
こうした連鎖があると、単に「オマージュ」とするのはしっくりこない。「パロディ」とも違うし、無論「パクリ」などという下衆なことをしているわけではない。色々と考えてみた結果、閃いたのが「アンサー」である。
この記事のタイトルにもある「アンサー」は、ヒップホップ用語である。「ラップバトルの中で、相手の発言を踏まえた上で 当意即妙に返答する」という意味だが、ヒップホップ的にいえば、お互いの作品へ「アンサー」をしあっているのである。けしてディスっているわけではないが、「そのネタだったら、自分ならこうアレンジするぜ」位の対抗意識はあると思う。
この記事の副題を「藤本有紀とクドカンの朝ドラップバトル」としたが、藤本有紀と宮藤官九郎という名脚本家が、さながらラップバトルのように、朝ドラ作品の中で「アンサー」を行い、互いにテクニックを競い合っているようにみえるからだ。そこで、「あまちゃん」の「ちりとてちん」へのアンサーと、「カムカム」の「あまちゃん」へのアンサーについて、この記事の中で、詳細を解説することにしたい。
「あまちゃん」の「ちりとてちん」へのアンサー
「あまちゃん」と「ちりとてちん」の類似点に関する考察は、「あまちゃん」放送の2013年から、ネット上の記事やブログに多数存在した。そこで「あまちゃん」の「ちりとてちん」へのアンサーの考察は、「あまちゃん」放送当時の、All Aboutの記事とドラマ好きの方の個人ブログの記事を引用する形で行うことにしたい。
まずは、All aboutの記事「あまロスなんて怖くない、僕達にはちりとてちんがある」から引用する。太字は筆者による追記である。
次にヒラオヨギさんのブログ記事「『あまちゃん』と『ちりとてちん』」から引用する。こちらも太字は筆者による追記である。
上記2つの記事から、「ちりとてちん」と「あまちゃん」の類似点をまとめると、以下の通りとなる。
これら「あまちゃん」と「ちりとてちん」との類似点の多さについては、「あまちゃん」制作陣が「ちりとてちん」へのオマージュを意図した部分は多少はあるだろう。しかし、過去作へのオマージュは、朝ドラ制作にとって本質的な話ではない。
オマージュというよりは、むしろ「あまちゃん」の制作陣が「どのようなストーリー構成で、どんな演出であれば、朝ドラとして面白いものができるか」を考えた結果、「ちりとてちん」に多くの優れた要素があったので参考にしたのだと思われる。
また「ちりとてちん」は「タイガー&ドラゴン」と同じストーリー構造、同じテーマであり、似ているという考察もある。時系列として整理すると、下記の通りである。
「タイガー&ドラゴン」は朝ドラではないが、クドカンと藤本有紀のTVドラマに対象を拡大すると、上記の通り4連鎖していることになる。
こうした連鎖からも、やはりクドカンと藤本有紀は、ラップバトルのごとくお互いにアンサーしながら、ドラマ脚本のテクニックを競い合っているのだと考えられる。
「カムカム」の「あまちゃん」へのアンサー
それでは、今度は藤本有紀の「カムカム」がクドカンの「あまちゃん」へアンサーをしていると解釈できる部分について、次の通り、考察していくことにしたい。
母娘三世代の物語
放送前から「カムカム」は「母娘三世代の百年の物語」と謳われていた。また「あまちゃん」も、公に言われていたわけではないが、挿入歌である「潮騒のメモリー」の鈴鹿ひろ美バージョンで、「三代前からマーメイド、親譲りのマーメイド」という歌詞があったので、母娘三世代の物語である。
しかし、ヒロインの母親と、ヒロインの娘が登場する朝ドラは、他に多数あるが、「母娘三世代の物語」と殊更強調されることはない。それらの作品と「あまちゃん」「カムカム」は何が違うのだろうか。家族の物語の描かれ方について、図解しながら考察してみたい。
まずは、多くの朝ドラにあてはまる、ヒロインの一代記のケースである。
上図は、縦軸がファミリー(世代)、横軸がヒストリー(人生)である。目玉と矢印は、誰の目線で物語が描かれているかを示している。色の濃い部分が、ドラマ上で登場人物の人生が描かれている部分である。
当然ではあるが、一代記の朝ドラは終始ヒロイン目線で物語が描かれる。ヒロインが誕生して、親に育てられ、成長し、恋愛して、結婚して、子供を産んで、親が死に、最後に自分も死ぬ。作品によっては、ヒロインの人生の途中から描かれたり、逆に死ぬまで描かれなかったり、細かい点での違いはあるが、大体は上図の様な物語の描かれ方である。
続いて「あまちゃん」のケースを図解して考えてみる。縦軸は、祖母の夏(夏ばっぱ)、母の春子、ヒロインのアキである。横軸のヒストリーが特徴的で、1980年代と2000~2010年代の2つの時代を行き来する。
「あまちゃん」で特徴的なのは、サブストーリーとして、有村架純が演じる1980年代の「若き日の春子の物語」があり、ヒロイン・アキの物語と対比させるような形で、かなりのボリュームで描かれているところだ。
そして、図解してみると分かるが、母娘三世代のニ代目にあたる春子は、一代記の朝ドラのヒロインに近い。成人前の時は、親に育てられる娘の立場であり、結婚・出産を経て、娘を育てる母親の立場になる。
こうした理由から、「あまちゃん」におけるヒロインはアキだが、春子がもう一人のヒロインに見えてくるのである。
また、ヒロイン一代記の物語と異なり、「あまちゃん」の「母娘三世代の物語」ではアキ目線の「アキの物語」と春子目線の「春子の物語」が交互に入れ替わる形で進行し、それにつられて視聴者の目線も頻繁に変わる。
そして、アキが上京しアイドルを目指す展開になってくると、かつてアキと同じ様に、アイドルを目指して上京して挫折した母・春子のエピソードが効いてくるのだ。多くの物語は、複数のストーリーが絡み合いながら進行していくことで深みのある作品になるが、「あまちゃん」の面白さの理由は、こうしたストーリーの構造にあるといえるし、他の朝ドラとは一線を画す「母娘三世代の物語」といえるだろう。
ただし、このストーリー構造の問題は、かなりハマって見ている視聴者には問題ないのだが、ながら見の視聴者層には、見ているシーンがどの時代なのか分かりにくく、話が飛びまくっているように感じる。それ故、あらすじが理解できなくなり、脱落してしまう視聴者も少なくない。「あまちゃん」と同じクドカン脚本の大河ドラマ「いだてん」も同様の問題を抱えており、このことがネット上の熱狂の割に、視聴率がそれほど上がらない理由だったように思う。
それでは「あまちゃん」の「母娘三世代の物語」に対する「カムカム」のアンサーはどのようなものだったのか、同じように図解して考えてみたい。
縦軸は、安子、るい、ひなたであり、横軸が「安子編」「るい編」「ひなた編」となっている。「安子編」は安子目線の物語、「るい編」はるい目線の物語だが、「ひなた編」は、るいの物語とひなたの物語が並行して走る。
「カムカム」の「るい編」「ひなた編」のストーリー構造は、「あまちゃん」の「1980年代」「2000~2010年代」の構造と同じである。るいの物語は、"I hate you."と拒絶した母・安子との和解までの物語であり、ひなたの物語は、桃山剣之介サイン会の「あたし、さむらいになりたいです」からはじまる、「侍」として「ひなたの道」を目指すストーリーである。
「あまちゃん」でも描かれた「母娘三世代の物語」のストーリー構造を、「カムカム」がアップデートした部分はいくつかある。
まずは、祖母ポジションのヒロインのストーリー「安子編」を追加したことであり、加えて回想シーンとして使われることを前提として、丁寧に美しく作られたことである。
「あまちゃん」での、1980年代の春子の回想シーンは、視聴者にとっては初見のシーンが多い。一方で「カムカム」の方は、安子編として一旦38話分描かれ、そこから抜粋された回想シーンなので、視聴者にとっては「あのシーンだ」と気づきやすい。
また「安子編」は、初代ヒロイン・安子の目線で、安子と稔の純愛ストーリーが描かれた一方で、戦争の空襲で家族を失い、不幸な事故と誤解で母と娘が離れ離れになる悲劇的なエピソードも描かれた。
「安子編」を、家族の幸せが壊れていく、美しくも儚いストーリーにしたことで、「るい編」「ひなた編」における「安子編」の回想シーンが、より効果的になっていたように思う。「安子編」の回想シーンが流れてくるだけで、条件反射的に涙腺が緩んでしまう視聴者も多かっただろう。
次に、3人のヒロイン設定をあらかじめ明言して「安子編」「るい編」「ひなた編」と、ヒロインで時代を区切ったことや、週タイトルをその週のあらすじの要約ではなく、描いている時代(例:「第1週 1925-1939」)にしたことも、大胆な試みではあったが、分かりやすくするための工夫だったように思う。週タイトルで時系列にストーリーが進んでいることが意識されるので、回想シーンが頻繁に挿入される割には、いつの時代を描いているのか、案外と分かりやすくなっており、この点は「あまちゃん」からの改善ポイントだったように思われる。
この項の要点をまとめると、以下の通りである。
言い換えれば、「カムカム」は朝ドラの「母娘三世代の物語」の物語の型をアップデートしたといってよいだろう。そして、それこそが「カムカム」の「あまちゃん」へのアンサーでもある。
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三者三様のヒロインとAKB48返し
かつての朝ドラのヒロイン像は「明るくて前向きで元気」そうした傾向も少しずつ変わり、今では色々なタイプのヒロインが描かれているが、最初に一石を投じた朝ドラは、藤本有紀脚本の「ちりとてちん」だった。
「あまちゃん」の「ちりとてちん」へのアンサーの項でも述べた通り、「ちりとてちん」と「あまちゃん」のヒロイン像には、次の類似点がある。
「あまちゃん」は「ちりとてちん」を参考にして、アキのヒロイン像を作り上げたと考えられる。ヒロインであるアキは、東京ではいじめられっ子で引きこもり、母・春子には「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない子」と、ひどい言われようだった。
また、「ちりとてちん」の「エーコ(A子)」と「ビーコ(B子)」の関係を参考にする形で作られたと考えられるのが、ヒロイン・アキと、ヒロインの親友・足立ユイのヒロイン・セカンドヒロインの関係である。
「あまちゃん」では、ご当地アイドル「潮騒のメモリーズ」として、アキちゃんとユイちゃんの、対照的なストーリーが描かれた。「あまちゃん」は朝ドラでの対照的なセカンドヒロインという登場人物の型を確立させた作品といってよいだろう。
このような「あまちゃん」のヒロイン描写に対する、「カムカム」のアンサーは何かというと、「三者三様のヒロイン像」である。
「カムカム」において、セカンドヒロインに相当する登場人物はいない。その代わり、朝ドラ史上初の3人のヒロインが設定された。加えて、安子、るい、ひなたは同じ血筋ではあるが、各々の性格は三者三様である。
このことがよく分かるのが、2022年2月18日に放送された「あさイチ」のプレミアムトークである。この日は「カムカム」の劇伴を担当した金子隆博氏がゲストだったが、ヒロインのテーマ曲のオーダーにあった、3人のヒロインのイメージについて、次の通り言及されていた。
見事なまでの三者三様な性格であり、80年代のお笑い番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」風にいえば、次の通り言い換えてもいい。
安子の「純真、素朴」なイメージは、2017年放送の「ひよっこ」のヒロイン・谷田部みね子が近い。みね子は長女として、家族のために頑張りすぎるところがあったが、このあたりが家族を支えるために倒れるまで働く安子に似ているかもしれない。
るいの「心に傷、都会的、ジャズ」のイメージは、「都会的、ジャズ」はるいに特有のイメージだろうが、「心に傷」の部分、言い換えれば、トラウマやコンプレックスを持つヒロインは過去の朝ドラにも多い。「カムカム」の前の朝ドラ、2021年放送の「おかえりモネ」の永浦百音も、東日本大震災の経験からトラウマを持つヒロインの設定だった。
ひなたの「ダメな子」のイメージは、少し視点を変えると、型破りな成長をみせる「愛されるアホの子」である。このタイプのヒロインとしては、2018年放送の「半分、青い。」の楡野鈴愛がいる。「あまちゃん」のアキも、このタイプに含めてよいかもしれない。
今回の「カムカム」の三世代ヒロインの設定は、これまでの朝ドラのヒロイン像を類型化して、3パターンの朝ドラヒロイン像を作り上げるチャレンジをしたのだと考えられる。
ところで、「あまちゃん」の東京編では、アキが所属するご当地アイドルグループGMT47が登場する。GMT47はドラマ上の架空のアイドルグループであり、もちろんGMT47のモデルはAKB48である。AKB48の総合プロデューサーである秋元康のような風貌の荒巻太一(太巻)が登場することからも明らかである。
そして「あまちゃん」のGMT47に対する「カムカム」のアンサーは、アキと同じ3代目にあたるヒロイン・ひなたを、元AKB48の川栄李奈が演じていることである。
もちろん、ひなた役のキャスティングに関しては、演技力第一で選考されている。制作者インタビュー等を読む限り、ひなた役ではなく、安子役としての起用も検討された位、川栄李奈の女優としての実力は疑いない。
ただし「あまちゃん」以降の、特に現代を描く朝ドラの制作においては、「あまちゃん」が意識されることが多く、キャスティングにも影響を与えたことがある。それは、2017年放送の「ひよっこ」である。
「ひよっこ」のヒロイン谷田部みね子は、「あまちゃん」で若き日の春子を演じた有村架純である。また「ひよっこ」で、みね子の東京での母親代わりとなる洋食店「すずふり亭」の店主・牧野鈴子は、「あまちゃん」で夏ばっぱを演じた、宮本信子である。みね子の起用に関しては、「ひよっこ」の脚本家である岡田惠和の指名である。
そして「あまちゃん」で描かれた、夏ばっぱと春子の親子関係は、厳しい母親とヤンキー娘であるが、一方「ひよっこ」で描かれた、鈴子とみね子の擬似的な親子関係は、面倒見が良く優しい母親のような店主と、素直で純朴なウェイトレスである。つまり「ひよっこ」は「あまちゃん」と同じ役者を起用して、真逆の親子関係を描いたのである。いわば「ひよっこ」による「あまちゃん」へのアンサーである。
そもそも「ひよっこ」というドラマタイトル自体、「あまちゃん」と同様「未熟な若輩者」というニュアンスを含む言葉であり、これも「ひよっこ」による「あまちゃん」へのアンサーである。
こうした過去の朝ドラの前例を考えると、「カムカム」のひなた役に川栄李奈を起用したことにも、「あまちゃん」へのアンサー=「AKB48返し」の要素が多少はあったと推察される。
この項の要点をまとめると、以下の通りである。
「カムカム」には、ジョーや雪衣を朝ドラ好きのキャラ設定に仕立てて、過去の朝ドラ作品に言及する小ネタが時々出てきた。これらの小ネタを考えてみても、「カムカム」は朝ドラヒロインや朝ドラ自体を総括するような、脚本家のメッセージを込めていたと考えられる。
「あまちゃん」のセカンドヒロインの人物像の型は、後の多くの朝ドラに参考にされた。おそらく「カムカム」で類型化された、三者三様の朝ドラヒロイン像に関しても、今後の朝ドラに参考にされていくだろう。
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親子の対立と和解
朝ドラは家族の描写を描くホームドラマであり、ヒロインのストーリーを動かすため、親の問題や親子対立が設定されるのが定番である。そして、「あまちゃん」「カムカム」ともに、親子の対立が物語の中での重要な設定として描かれている。
「あまちゃん」で描かれた親子の対立は、夏と春子である。高校生の春子は、海女ではなく、実は上京してアイドルになりたかった。夏に許しを請うが反対され、家出同然で実家を出る。しかし本心では、家出を制止して欲しかったので、母親に見捨てられたと誤解して、夏を恨む。
一方で、夏は、春子に対し海女として地元に貢献してほしいという大人の期待と、アイドルになりたい娘・春子との板挟みに会い、娘の本気の思いに答えられなかったことをずっと後悔していた。
そして、夏と春子の和解に向かう際の橋渡し役がアキだった。北三陸編の最後で、アキは母である春子の歌を聞き、自分も上京してアイドルになりたいと春子に告げる。春子は強硬に反対して夏にも相談するが、夏は「アキの思い通りにさせればいい」と言う。春子は「自分の時には反対したのに何故今回は賛成するのか、孫だからか」と夏を問い詰めるが、ここで夏は「あの時娘を守れなかったことを後悔していた」と打ち明け、25年ぶりに春子に謝罪して、夏と春子は和解する。
この「あまちゃん」の親子の対立と和解のエピソードに対する「カムカム」のアンサーは二つある。
一つは、「あまちゃん」と同様に、祖母(初代)と母親(二代目)の親子の対立と和解を描いたことである。
安子とるいの対立の直接の理由は、るいが母を追って大阪に向かった時、進駐軍将校・ロバートが母・安子にプロポーズをして、抱き寄せるシーンを目撃し、自分が母親に捨てられると誤解したからである。
岡山に戻った後、るいは安子に、額の傷を見せながら、"I hate you." という言葉を浴びせ拒絶する。母・安子はショックの余り、雨の中で倒れてしまうが、ロバートに介抱される。安子はロバートのプロポーズを受け入れることを決意し、渡米する。
るいは長らく母との記憶を封印していた。しかしジョーと出会い、安子に子守唄のように聴かされていた「On The Sunny Side of The Street」の演奏で心を揺さぶられ、更に「お母さんに会いたいんやな」とジョーに、心の内を言い当てられる。ジョーと結婚後、徐々に母との記憶と向かいあうようになり、おじの算太の新盆で岡山に帰省した時、父・稔の英霊と会い、アメリカに渡り、母・安子を探すことを決意する。
そして、三代目ヒロインのひなたが安子とるいの再会と和解の橋渡し役となった。ひなたは条映映画村に就職し、ラジオ英語で英語スキルも上達し、ハリウッド映画のチームが、撮影のため来日した時も大活躍する。そして、ひなたは、そのチームにいたキャスティングコーディネイターであるアニー・ヒラカワと仲良くなるが、実はアニーが祖母の安子だった。クリスマス・フェスティバルの開催直前、準備中の現場に流れていたラジオ番組で、アニーが安子であるとその場の全員が気づいた後、ひなたは祖母・安子と母・るいが再会するべく尽力する。
クリスマス・フェスティバルでるいが「On The Sunny Side of The Street」を歌いはじめた時、ひなたに連れられてきたアニー・ヒラカワ=安子が現れた。52年ぶりにるいは母・安子と再会し、るいはかつての"I hate you."とは逆の、"I love you." という言葉を母に告げて和解する。
こうして経緯を振り返ると、「カムカム」の安子とるいの親子対立と和解のストーリーの型は「あまちゃん」とよく似ている。朝ドラのストーリーでは、親子の対立の設定は定番だが、「あまちゃん」は「カムカム」と同じ、母娘三世代の物語のため、「カムカム」は、「あまちゃん」の親子の対立の設定を参考にしたと考えられる。
「あまちゃん」の親子対立への、もう一つの「カムカム」のアンサーは、様々な親子の対立を描いたことである。
「カムカム」では、「金太と算太」「赤螺家の吉兵衛と吉右衛門」「初代桃山剣之介と二代目桃山剣之介(団五郎)」と複数の親子関係の対立が描かれた。これら3組の親子の対立はいずれも、和解する前に親の側が亡くなるケースである。そして、ただ複数の親子の対立を並べたのではなく、安子とるいの対立と和解までの経緯と対比させる形で描かれている。
金太と算太の対立は、親の側の葛藤がメインで描かれていた。父親の金太は、跡取りにならず好き勝手している息子の算太を苦々しく思っていたが、更に借金で「こわもての田中」に追われていたことが判明し、金太は算太を勘当する。その後、算太に赤紙が来て出征するが、金太は意地を張り、算太の見送りにも加わらない。しかし、金太は息子・算太を思う気持ちはあり、算太を見送らなかったことも後悔しており、その後悔から、稔の父・千吉にも助言する。戦争が終わり、金太は「たちばな」を再興しようと決意したが、程なく体調を崩して亡くなる。亡くなる前の走馬灯で、復員した算太の幻を見て、金太は「おまえの帰りを待っていた」と告げる。
金太の状況は、安子とるいの対立での、母・安子の状況と似ている。両者ともに、子を思う親としての気持ちはあったが、なかなか子供と向き合うことができず、そのことを後悔して生きてきた。金太と安子で違うのは、金太は算太と生きているうちに会うことができなかったが、安子の場合は、孫のひなたの「後悔のない道を選んでよ」という後押しもあり、るいと再会して和解することができたことだ。
赤螺家の吉兵衛と吉右衛門は、子供の側の葛藤がメインで描かれていた。荒物屋を営む父・吉兵衛は、偏屈でケチで自分の家族だけが大事という考えであり、近所の住人からは「ケチ兵衛」と揶揄され顰蹙を買っていた。息子の吉右衛門はそんな父を度々嗜めるが、戦時下で疎開する家から家具を二束三文で買い叩く非情な父を見て激しく怒り、母と二人で京都に疎開しようと啖呵を切る。しかしその晩、岡山大空襲があり、吉兵衛は息子・吉右衛門を戦火から救った後に亡くなる。吉右衛門と母・清子は、亡くなる直前に父・吉兵衛に辛く当たったことを生涯後悔して生きる。
吉右衛門の状況は、安子とるいの対立においては、娘・るいの状況と似ている。両者ともに、親に対して傷つけるような厳しい言葉を浴びせた後に、長い間、離れ離れになってしまう。るいに関しては、安子に厳しい言葉を浴びせた記憶を長い間封印していた。吉右衛門とるいで違うのは、吉右衛門の場合は親と死別するが、るいの場合は、ひなたの助けもあって、母・安子と再会でき、"I hate you." という後悔の言葉も、"I love you."という贖罪の言葉に上書きできたことだ。
初代桃山剣之介と二代目桃山剣之介(団五郎)に関しても、子供の側の葛藤がメインで描かれていた。団五郎は父である初代桃山剣之介が、テレビに進出した自分を認めてくれないことにずっと悔しい思いを抱えていた。特に棗黍之丞シリーズ「妖術七変化!隠れ里の決闘」で、父親が相手役に自分を指名せず、無名の大部屋俳優・伴虚無蔵を抜擢したことを「自分に対する当てつけ」と誤解したまま死別する。
団五郎に特徴的なのは、父親の初代桃山剣之介の死後、色々な人に話しを聞き、父親の本当の思いを知ろうと努めた点である。例えば、死に目に会えなかった算太と映画館で出会い悔し泣きする団五郎に、算太が父親の思いを想像して助言するシーンがある。算太は「親父っちゅうのは一筋縄ではいかんもんじゃ。許しとるようで許しとらん。許しとらんようで、許しとる…」と説き「親父さんは、あんたに黍之丞をやってもらいたいんじゃないか?」と慰める。また「妖術七変化!隠れ里の決闘」のリメイク映画のオーディションで、団五郎は、伴虚無蔵に殺陣の手合わせを願い出て、父である初代桃山剣之介が認めた、伴虚無蔵の一流の斬られ役の実力を知る。
団五郎の状況は、安子とるいの対立では、娘・るいが、母・安子の気持ちを知るために、色々な人に話しを聞きに行く状況と似ている。岡山に戻った時、雉真家の雪衣や、ジャズ喫茶「Dippermouth Blues」のマスターである健一に話を聞き、るいの母・安子への誤解が徐々に解けていく。そして、ラジオから聞こえてきた母・安子の独白で、本当の思いを知り、最終的に再会して和解につながる。
以上述べてきた通り、「あまちゃん」での親子の対立と和解のエピソードに対する「カムカム」のアンサーは、次の二つである。
「カムカム」は「あまちゃん」同様に、母娘三世代の物語である。物語の最初で親子の対立の設定を入れるとしたら、祖母(初代)と母親(二代目)の親子の対立にならざるをえない。「あまちゃん」の設定を踏襲しつつも、様々な親子の対立を、メインの親子の対立と対比させる形で設定した点は、「カムカム」の新しい点といえる。
朝ドラ制作においては、いわゆる「朝ドラのフォーマット」と呼ばれる、過去の朝ドラで蓄積されてきたストーリーの型や人物関係設定のノウハウがある。しかし、それらのノウハウをただ活用するのではなく、新しい要素を加えることが大切である。朝ドラのノウハウ活用の観点でも「カムカム」は今後の朝ドラ制作の参考にされていくだろう。
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サニーサイドとシャドウと落武者返し
「あまちゃん」で描かれた重要なテーマは、「影武者」(シャドウ)の人たちの挫折とリベンジである。
メインのエピソードは、映画「潮騒のメモリー」の主演女優・鈴鹿ひろ美がひどい音痴のため、当時のマネージャーの太巻が、ヒロインの母・春子に代役(「影武者」)として、主題歌「潮騒のメモリー」に声をあてるように命じた件からはじまる、太巻と春子の確執である。
「影武者」(シャドウ)に関するエピソードは他にもある。
北三陸編では、アキは海女の修行をするが、夏ばっぱに海女として認める条件として、ウニを自分で捕獲する試練を課される。結局、自分で捕獲することはできず、片桐はいり演じる、先輩海女の安部ちゃんが「影武者」となって、代わりにウニを捕獲して、それをアキの手柄とする。
東京編では、GMT47の先輩格にあたるアイドルグループ「アメ横女学園芸能コース」(通称:アメ女)がいたが、そのアメ女のセンター・有馬めぐが、病気等の都合で穴を開けた場合の代役(通称:「シャドウ」)に、アキが指名される。
これらのエピソードを通じて、「あまちゃん」では、「影武者」「代役」に甘んじているが、主役のポジションを目指すべく奮闘する人たち、また、主役になれなかった人たちの挫折や、別の形でのリベンジを達成するエピソードが描かれている。
こうした「あまちゃん」の「影武者」「シャドウ」のモチーフに対する、「カムカム」のアンサーは、「ひなた」「サニーサイド」である。このテーマを伝える上で、ドラマ上の最も重要なアイテムは、ルイ・アームストロングの「On The Sunny Side Of The Street」である。
また「カムカム」では、「ひなた」「サニーサイド」を強調させるため「暗闇」というキーワードもよく出てくる。このテーマを伝えるために頻繁に出てきた台詞が、劇中時代劇「棗黍之丞シリーズ」の、黍之丞の名台詞「暗闇でしか見えぬものがある。暗闇でしか聞こえぬ歌がある」である。
「ひなた」「サニーサイド」という真逆のキーワードを出してきてはいるが、「カムカム」の「ひなたの道」「サニーサイド」も「あまちゃん」の「影武者」「シャドウ」とほぼ同じテーマを扱っているといえるだろう。
「あまちゃん」と同様に、日の当たらない存在だが、脚光を浴びるポジション=「サニーサイド」を目指すべく奮闘する人たち、また、主役になれなかった人たちの挫折や、別の形でのリベンジを達成するエピソードが描かれている。
そして「カムカム」では、「サニーサイド」というテーマを伝えるべく、最初から脚光を浴びて「ひなたの道」を歩く「勝ち組」の存在と、暗闇の中から「ひなたの道」を目指し、這い上がっていく「敗者復活組」の存在が、対比的に描かれている。
「るい編」で象徴的なのは、トミー北沢と大月錠一郎(ジョー)のライバル関係である。トミーは裕福な家の生まれで、CDデビューして、プロになり公演でアメリカにも渡る。ラジオ番組で磯村吟が評していたように、いわば「太陽」=サニーサイドである。
一方で、ジョーは戦災孤児であり、岡山そして大阪のジャズ喫茶に身を寄せて、トランペット一本で這い上がってきた「闇夜を照らす月」である。
関西一のトランペッターのコンテストには優勝するが、原因不明の病気でトランペットが吹けなくなり、一時期は「暗闇」に陥るが、るいの助けを得て、その後は幸せな家庭を築く。そして長い間、音楽活動から遠ざかっていたが、トミーの助けを得て、ピアノ奏者として音楽活動に復帰したという、紆余曲折の人生である。
「ひなた編」で象徴的なのは、桃山剣之介と大部屋俳優・伴虚無蔵の関係である。初代桃山剣之介は時代劇映画「棗黍之丞シリーズ」で人気を得て、銀幕のスターとなる。その息子・二代目桃山剣之介(団五郎)は、父と舞台を変えてテレビで活躍する。ジョーとひなたが大ファンだった、テレビ版「棗黍之丞シリーズ」で、初代と同じく、人気を博した時代劇のスターであり、脚光を浴びる存在=「サニーサイド」側の存在である。
一方、伴虚無蔵の方は、暗闇の中にいる「無名の大部屋俳優」だったが、初代桃山剣之介に殺陣の実力を認められ、棗黍之丞シリーズ「妖術七変化!隠れ里の決闘」の、黍之丞の敵役・左近役に抜擢される。やっと日の目を見る機会が来たと思ったが、「支離滅裂で荒唐無稽な映画史上稀に見る駄作」と酷評され、興行は大失敗に終わる。その後は再び日の当たらぬ「名もなき有象無象の大部屋俳優」に戻るが、後進のひなたや五十嵐に「日々鍛錬し、いつ来るともわからぬ機会に備えよ」と説くように、自身も鍛錬をし続け、斬られ役を務める日々が続く。
そして再び月日が経ち、虚無蔵は、アニー・ヒラカワからのオファーで、ハリウッド映画「サムライ・ベースボール」で役を得る。記者会見の場で、轟監督は虚無蔵がやっと日の目を見たことに号泣し、また二代目桃山剣之介は虚無蔵に「虚無さん、眩しいでしょう。暗闇にいたんじゃあ、見えないものもあるんですよ」と声をかけたのだった。
最初から「サニーサイド」側にいる「勝ち組」の存在と、日の目を見ない「シャドウ」側から這い上がっていく「敗者復活組」の存在は、これまでの朝ドラでは、ヒロイン/セカンドヒロインの関係で表現されることが多かった。「カムカム」では、3世代3人のヒロインを立てたので、この対照的な登場人物の関係は、ヒロイン以外の登場人物に割り当てたのだろう。
ところで「あまちゃん」では、アキが「影武者」を間違えて「落武者」と言ってしまうことが何度かあった。
この「落武者」エピソードに対する、「カムカム」のアンサーは、条映映画村のお化け屋敷の、大部屋俳優たちが演じる落武者の登場である。
「カムカム」は「あまちゃん」の「影武者」のモチーフだけではなく、「落ち武者」のネタまで拾っていったのである。ここまで徹底していると、見事であるとしか言いようがない。
この項で述べてきた内容をまとめると、以下の通りである。
朝ドラ制作において、「光と闇」「月と太陽」「陰と陽」のような、対照的な人物とテーマ設定は、物語を面白くする上での定番の手法である。
「カムカム」は、「サニーサイド」と「暗闇」いう形で、とても分かりやすく、かつ面白く表現した。この「カムカム」での表現手法は、今後の朝ドラ制作においても参考にされていくだろう。
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逆回転と回転焼きとポスターの裏返し
「あまちゃん」では、「逆回転」というキーワードが、複数の登場人物の台詞に出てくる。
ヒロインのアキとさかなクンが共演する「見つけてこわそう」という架空の子供番組のエピソードがでてくる。身近なものを見つけては壊し、アキちゃんだけの超能力「逆回転」を使い、映像を逆再生する形で元に戻すというものである。
また、失踪したユイの母親が帰ってきた時の「逆回転できないもんね、人生は。 壊れたら壊れっぱなし。 もう元には戻らない」という春子の台詞や「アキちゃん、逆回転してよ」というアキに助けを求めるユイのメール文面にも「逆回転」というワードがでてくる。
「既に壊れてしまったことは、元通りに戻せない」という、暗に東日本大震災への被災者へ向けたメッセージを含むようなキーワードである。加えて「あまちゃん」では、ここからアキの、映画の主演女優の座を掴む逆転ストーリーや、震災後のあまカフェ再建のエピソードがあるので、「逆回転はできないけど、回転はできる」=「過去は変えられないけど、未来は変えていける」「不幸な状態を、幸福な状態に変えていける」というメッセージも含んでいると思われる。
この「あまちゃん」の「逆回転」に対する、「カムカム」のアンサーは、「回転焼き」である。「逆」は入っていないが、「カムカム」での「回転」の使われ方も「あまちゃん」と同様である。るいとジョーをはじめとする、登場人物の人生が、「暗闇」から「サニーサイド」の側に向かっていく物語を描くために「回転」というキーワードを踏襲したのだろう。
るいは、母・安子と別れ、雉真家で肩身の狭い思いをしていたが、大阪に出て新たに人生を切り開くと誓った。またジョーは、戦災孤児で「暗闇」の中にいたが、ジャズを通して出会い、コンテストに勝つ。
その後、ジョーは病気でトランペットを吹けなくなり、「暗闇」に陥るが、るいと共に挫折を乗り越え、るいとジョーは結婚し、京都に引っ越す。
るいは母・安子に教わった、あんこの作り方を思い出しながら、回転焼き屋を立ち上げ、ジョーと共に「ひなたの道を歩いていく」ことを誓う。
「おはぎ」に続く、あんこのお菓子として「回転焼き」が選ばれた理由、また「大判焼き」「今川焼」等、数ある呼び名の中でも「回転焼き」という呼び方が選ばれたのは、「雉真るい」=「生地丸い」や、京都での呼び名が「回転焼き」という理由もあるが、るいとジョーが、過去のトラウマや挫折を克服し、自分たちの未来を、不幸から幸福の状態に、暗闇からサニーサイドに反転させる=回転させるという意味も込めていると推察される。
「回転」についてのエピソードは他にもある。ジョーが関西一のトランぺッターコンテストで優勝した後、竹村夫妻にせがまれて、「妖術七変化~隠れ里の決闘」の宣伝ポスターの裏にサインをしたエピソードである。
そのポスターは、るいとジョーが京都に引っ越す際に、竹村夫妻に手渡され、回転焼き「大月」の店内に、ジョーのサインの側ではなく、映画の宣伝ポスター側を表にしてずっと飾られていた。
しかし、そのポスターをジョーのサインの側に裏返す時がくる。桃太郎は小夜子の結婚で失恋しヤケになり「あかにし」で万引きをする。万引きの件で、ひなたと桃太郎は不幸自慢のような大喧嘩をするが、それを見たジョーが喧嘩を制止する。ジョーは、関西一のトランペッターだったが、病気で演奏を断念した過去を、ひなたと桃太郎に伝える。そのことを信じない2人に、ジョーはポスターを裏返して、トランペッターだった過去を証明する。
ジョーは失恋した子供たちに「それでも人生は続いていく。そういうことや」と告げる。「カムカム」のキャッチコピーの一つに「未来なんてわからなくたって、生きるのだ」があるが、そのコピーにも通じる考え方である。 おそらく、ジョーのサインのある側は、過去に自分がトランペッターとして脚光を浴びた「サニーサイド」であり、「棗黍之丞シリーズ」の時代劇宣伝ポスターの側は、黍之丞の決め台詞の通り「暗闇」である。
ジョーは自身の病気で「どこを歩いても暗闇や。暗闇しか見えない」と嘆き、入水自殺未遂まで起こした。京都に引っ越した後も、ジョーは子どもたちに知られずに、トランペッターとして復帰するための努力をしていた。
店にポスターを飾る際、時代劇宣伝ポスターの側を表にして飾ったのは、ジョーが、自分は「暗闇」の側にいて、「ひなたの道」を目指す道半ばであると考えていたからであり、いつの日にかトランペッターとして復帰して、このポスターを自分のサインの側に裏返す=回転させる日を夢見ていたからだろう。
ジョーは結局トランペッターとしては復活できず、時代劇宣伝ポスターをジョーのサインの側にして飾り直すことはなかった。「あまちゃん」風に言えば、ジョーはトランペッターだった過去に「逆回転」はできなかった。
しかし、かつての盟友であるトミー北沢の助けも得て、ピアニストとして未来を切り開くことはできた。そして、回転焼き「大月」の前には、ジョーとトミーが大阪の「Night & Day」で共演するライブのポスターが、新たに貼り出された。言い換えれば、ジョーは別の形でのリベンジを達成したのであり、「暗闇」から這い上がり「ひなたの道」に出てきたのである。
この項で述べてきた内容をまとめると、以下の通りである。
前項で、「光と闇」「月と太陽」「陰と陽」のような、対照的な人物とテーマ設定は、朝ドラ定番の手法であることを述べた。そして、この対照的な状況設定は、そのままではなく、物語の展開上「回転」する必要がある。
「カムカム」は「あまちゃん」での「逆回転」のモチーフも参考にしながら、「サニーサイド」と「暗闇」の物語を、より面白く練り上げてきた。
登場人物が、日の目を見ない側から脚光を浴びる側に向かう時の表現手法として、「あまちゃん」や「カムカム」における「回転」の考え方は、今後の朝ドラ制作においても、参考にされていくだろう。
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大女優とリメイク映画と太秦返し
「あまちゃん」の東京編と「カムカム」のひなた編は、両方とも芸能界が舞台である。前者はアイドル、後者は時代劇であるが、同じ業界のためか、エピソードの類似点は多い。
「あまちゃん」では、アキはシャドウ(代役)のままで、なかなか出番がまわってこない。そこで太巻の計らいで、大女優・鈴鹿ひろ美の付き人となる。アキにとってかつては憧れていた存在の鈴鹿ひろ美だったが、実は周囲から面倒くさい存在だと思われており、付き人となった後は、行きつけの「無頼鮨」で、アキは、飲んだくれるひろ美の愚痴を聞かされ、無知でわがままな、ごく普通の年相応の庶民的なおばちゃんだと気づく。
この「あまちゃん」の鈴鹿ひろ美に対する、「カムカム」のアンサーは、安達祐実が演じる大女優・美咲すみれである。
「時代劇」が好きなひなたは、高校卒業後、条映映画村の職員として無事に就職する。撮影に立ち会っていた時、かつて棗黍之丞シリーズに出演していた美咲すみれが現れる。大根演技な割に高圧的な態度だが、現場監督たちは頭が上がらない。
撮影に立ち会っていたひなたは、かつての憧れの存在にサインをねだるが、不用意な発言で美咲すみれを怒らせる。しかし、ひなたは、すみれがかつて演じていた、棗黍之丞シリーズのおゆみの完コピ演技を見せて、すみれの機嫌も直り、ひなたはすみれに気に入られる。
その後ひなたは、行きつけの「そば処 うちいり」で、のんべえのすみれの対応に、映画村職員として延々付き合わされる。
次に「あまちゃん」では、過去の映画をリメイクするエピソードがある。自分の事務所のアイドルを起用して売り出したいという太巻の思惑で「太巻映画祭」が企画されたが、その企画の中で、かつて鈴鹿ひろ美が主演した、荒唐無稽なストーリーと斬新な演出のアイドル映画「潮騒のメモリー」がリメイクされることになる。また、鈴鹿ひろ美の要望で、主演女優をオーディションで選ぶことになる。
太巻は、当初GMT47の小野寺ちゃんを推していたが、オーディションでのアキの演技と過去の春子の確執を思い出し、もう一度後悔したくないと考え最終的にアキを選ぶ。
この「あまちゃん」の映画リメイクとオーディションに関するエピソードに対する「カムカム」のアンサーは、二代目モモケンの発案による、過去の映画のリメイクと相手役のオーディンションである。
かつて初代モモケンと伴虚無蔵が共演した、支離滅裂で荒唐無稽な、映画史上稀に見る駄作の、棗黍之丞シリーズ「妖術七変化!隠れ里の決闘」を、二代目モモケンは主演映画としてリメイクすることを発表する。また、黍之丞の敵役・小野寺左近の役を選ぶためオーディンションを行う。二代目モモケンは、初代モモケン時代の小野寺左近役の伴虚無蔵と殺陣の相手をして、自分ではなく伴虚無蔵を選んだ初代モモケンの真意を知る。
最後に「あまちゃん」では、「潮騒のメモリー」のリメイク企画を含めた「太巻映画祭」の企画趣旨を、太巻から鈴鹿ひろ美に伝えるシーンがある。この「太巻映画祭」の企画書を見た鈴鹿ひろ美は、「太秦、、、太巻?」と返答する。
この「あまちゃん」の「太秦に見間違える、太巻映画祭企画」エピソードに対する「カムカム」のアンサーは、「東映太秦映画村」がモデルの「条映太秦映画村」をドラマの舞台にしたことである。
以上述べてきた通り、「あまちゃん」東京編と「カムカム」ひなた編は、以下の点で共通している。
「カムカム」ひなた編の時代劇パートは、「あまちゃん」の東京編のアイドルパートに対するアンサーであり、上記の「太秦」返しや、「小野寺」返しを見ても、かなり芸が細かい。今後の朝ドラ制作において、コメディパートが作られる際は、「あまちゃん」と同様に、「カムカム」ひなた編が参考にされていくだろう。
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物語のキーとなる曲を歌い上げる「奇跡」の音楽イベント
朝ドラの最終週近くのエピソードは、それまでに出演していた登場人物が再び登場することが多い。ある意味、カーテンコールのようなものである。それ故、最終週のエピソードは、結婚式やコンサート等、登場人物を集めやすいイベントのパターンが多いのだろう。中には2020年放送の「エール」のように、ドラマ要素が一切無い「うたコン」のような歌番組が最終回というケースもあった。
「あまちゃん」と「カムカム」は両方とも物語のキーとなる曲があった。「あまちゃん」では、アキの母・春子が「影武者」として声をあてていた、「潮騒のメモリー」である。一方、「カムカム」では、稔と安子の思い出の曲であり、るいとひなたの命名の由来となった、ルイ・アームストロングの「On The Sunny Side of The Street」である。
物語のキーとなる曲があるので、最終週でのカーテンコールイベントは、「あまちゃん」「カムカム」共に音楽イベントである。両者ともにきちんと音楽イベントをストーリーに絡めて、クライマックスをもってきている。
「あまちゃん」では、東日本大震災の復興支援を目的に、再建された海女カフェで、鈴鹿ひろ美が「潮騒のメモリー」を歌うリサイタルのエピソードがある。
鈴鹿ひろ美が、人前で音程を外さずに歌うことができたことは、今までに一回もなかった。そこで春子によるボイストレーニングが始まるが、リサイタル直前になっても、鈴鹿の音痴は治らない。そこで太巻と春子が共謀し、春子が「影武者」として声をあてることにした。
舞台の袖に春子がマイクを持ちスタンバイするが、その姿が「若き日の春子」の生霊として映る。そして、春子が「影武者」として声をあてようとした時、鈴鹿ひろ美が音程を外さずに「潮騒のメモリー」を歌い上げるという「奇跡」が起きる。言い換えれば、鈴鹿ひろ美の声が復活するのである。
この時から、春子は鈴鹿ひろ美の「影武者」をする必要がなくなり、春子のわだかまりの象徴のような「若き日の春子」の生霊は、成仏するかのように姿を見せなくなる。長年のわだかまりが完全に解消されたのである。
この「あまちゃん」での「潮騒のメモリー」を歌い上げる鈴鹿ひろ美リサイタルのエピソードに対する「カムカム」のアンサーは、岡山の「偕行社」で開かれた、クリスマス・ジャズ・フェスティバルでの、るい・ジョー・トミーの「On The Sunny Side of The Street」演奏のエピソードである。
母・安子を探するいに対してジョーは、クリスマス・ジャズ・フェスティバルのステージで、安子とるい、そしてジョーにとって「特別な曲」である、「On The Sunny Side of The Street」を母・安子に届けるべく歌うことを提案する。また、ひなたは「サムライ・ベースボール」の撮影で懇意になった、ハリウッドチームのアニー・ヒラカワをクリスマス・ジャズ・フェスティバルに招待した。
ステージ当日、皆が聴いていた磯村吟のラジオ番組で、ゲストのアニー・ヒラカワが衝撃の告白をする。その告白で、皆がアニー・ヒラカワが安子であると気づく。ひなたはアニー=安子のことを探しにいき、岡山の「偕行社」の前で発見する。アニーは怖くなり逃げて行ったが、最終的には、ひなたに連れ戻される。
ちょうどその時、ステージ上では「On The Sunny Side of The Street」の演奏がはじまっていたが、ここで「奇跡」が起きる。ジョーはトランペットが吹けない病気になってピアノに転向したが、トミーが機転をきかせ、昔の音源を流す形で、ジョーのトランペットを復活させたのである。そして、音源のトランペットに合わせて、ジョーがピアノを演奏し、るいが歌いはじめた時、ステージの前にアニー・ヒラカワ=安子が現れた。
るいは安子のもとに駆け寄り、"I love you."と伝えて、安子を抱きしめる。
この時、安子とるいの心象風景のようなシーンが挿入される。回想シーンで何度も繰り返された、幼少時のるいが"I hate you."と母・安子を拒絶し、扉を閉めるシーンが、るいが扉を開けて、笑顔で母・安子を迎え入れるシーンに上書きされた。長年のわだかまりが完全に解消されたのである。
以上述べてきた通り、「あまちゃん」と「カムカム」は、最終週のストーリーのクライマックスのシーンにおいて、以下の点で共通している。
「カムカム」は、「あまちゃん」の最終週のエピソードの構成を参考にしながら、物語のクライマックスとなる、感動的な最終週のエピソードを作り上げたと思われる。
朝ドラでは、挿入歌や愛唱歌等、物語のキーとなる曲が設定されるケースは多い。今後、こうしたケースの朝ドラの制作においては、「あまちゃん」や「カムカム」のような、最終週の音楽イベントや、クライマックスのシーンの作り方が参考にされていくだろう。
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おわりに
以上「カムカムエヴリバディは「あまちゃん」へのアンサー」と題して、「あまちゃん」と比較する形での「カムカム」考察記事を書いてきた。
「カムカム」に関しては、2021年12月から、放送と並行して、「カムカムエヴリバディ」は「スター・ウォーズ」をやりたいのだ。という荒唐無稽な妄想をベースに、かなりクレイジーな妄想長文記事を書いてきた。妄想が膨らみすぎて、約5万字近くになったので、以下の通り「スターウォーズ」と同じく三部作にしている。
STAR WARS エピソード1~3にあたるのが、【安子編】
STAR WARS エピソード4~6にあたるのが、【るい編】
STAR WARS エピソード7~9にあたるのが、【ひなた編】
である。気が向いたら、読んでいただければ幸いである。
個人的には、NHKラジオの「ラジオ英会話」「英会話タイムトライアル」を聴いているので、放送前は「『カムカム』はラジオ英語講座の制作に奮闘した女性たちの物語になるのかな?」と勝手な期待をしていた。
そんなベタな期待とは全く異なるストーリーだった訳だが、「早カム」「朝カム」にNHK+と1日3回は見てしまう、とにかく面白くて夢中になって見てしまう朝ドラだった。加えて「ラジオで!カムカムエヴリバディ」も楽しく拝聴させていただいた。藤本有紀先生をはじめ、全ての朝ドラ制作陣の方々に本当に感謝したい。
「カムカム」で唯一残念だったのは、朝ドラとしてはかなり短い112回という尺であったことだ。これは新型コロナウイルスのパンデミックの不可抗力で致し方ないところであり、朝ドラ制作陣の方々も、かなり苦労されたと思慮する。今のところはスピンオフの予定はないとのことで少し残念であるが、これからも「カムカム」制作陣の方たちによる、面白いドラマがたくさん作られることを期待したい。
そして朝ドラップバトルは、次はクドカンのターンである。「カムカム」へのアンサーとなる、クドカン脚本の傑作朝ドラが作られることを心待ちにして筆をおくことにしたい。
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