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【紀行文】アースダイバーは縄文を幻視して歩く その1~高井戸 塚山古墳

土地の古層を幻視しながら、東京神田川沿いを歩く

 中沢新一氏のアースダイバーを読んだ。

 最近、縄文人の考え方、その頃に人々がどのように暮らしていたか、そういったものがとても気になる。そんな時に出会ったこの「アースダイバー」。東京の大半は縄文海進といわれる海面の上昇により、関東平野のほとんどが海の底であり、その状況を現在の地図にトレースすると、神社や遺跡の分布と符合するところが多いそうだ。海進の一部は埼玉の大宮の方まであったらしい。
 この本にある縄文地図はエキサイティングだ。海進により岬になった場所には、神社やお寺が建っており、昔からの聖地なのだ。

川沿いに遺跡や寺社が並んでいる!

 先日、三鷹や吉祥寺など京王線沿いの場所に行くことがあった。さらにその数週間後に杉並区の神田川沿いにある明大前に行く用事が出来た。「アースダイバー」の冒頭には、著者の中沢氏がこの界隈を歩いている際に着想を得たと書いてある。
 この機を偶然と思わず、私もアースダイバーとなってまちを歩いてみることにした。

学び舎は死者とともにある

築地本願寺和田堀廟とこのキャンパスの土地は元は火薬庫だった

スタートは京王線の明大前だ。明大和泉キャンパスの裏手には神田川が流れており、この川は吉祥寺にある井の頭公園に源を発していると先日知った。このため、この日は明大前の神田川からスタートし、吉祥寺まで歩いてみようと思った。

学内にあったトーテムポール 学生は古代の雰囲気を感じたのだろうか。

 明大和泉キャンパスは、築地本願寺和田堀廟所の横にある。元は軍の火薬庫があったところのようだ。大学と言うものはどうも墓地の側にできるものらしい。死者とともに学問はあるのだろうか。

明大和泉キャンパスから。遠くに白い塔がみえる(のちに清掃工場と判明)
左手には、築地本願寺の和田堀廟がみえる、広大な墓地だ

 そういえば、私の母校の早稲田も、穴八幡宮の近くにあり、寺社の近くにある。また穴八幡宮は横穴から金色の仏像が見つかったという伝承があり、その横穴は石室で、そもそも穴八幡宮自体が古墳であるようだ。
 さて、明大キャンパスを西に歩くと、広大な墓地が広がっている。これが築地本願寺の墓地だ。とてつもなく広い。墓所は、陰鬱な感じはあまりなく、桜の名所としても知られているようだ。
 墓所を回りこんで、神田川沿いの遊歩道へ向かう。川に向かってどんどん降りていく。逆に言えば、神田川沿いに高台が並行し、そこに住居が並んでいるということだ。
 神田川沿いは、きれいに整備されており、多くのランナーとすれ違った。私は場所の雰囲気を感じるように努めながら、吉祥寺方面に向かって神田川沿いを歩き始めた。

神田川沿いに到着 今回の出発点
このあたりの車止めは「陽物」だ。
今でも陽物が塞の神の役割を果たしているところが面白い。

地元の厚い崇敬を集める下高井戸八幡神社

 しばらく歩いていくと、塚山公園というところがある。ここは、縄文中期の環状集落が見つかったところだ。近くには下高井戸八幡神社があり、そこも縄文の雰囲気を醸し出していた。

雰囲気が変わる八幡神社境内

 八幡神社は、付近から少し盛り上がった丘のような地形にあり、入るとやはり雰囲気が変わるのが分かった。鳥居をくぐると、右手にはお神輿を入れる蔵が4つ建っている。左手には摂社があった。境内の解説看板を見ると江戸城を築城した室町後期の武将、太田道灌に関係する神社のようだ。

太田道灌由来の神社であり、この地区で厚く崇敬されているようだ
お神輿蔵
摂社・末社が四基並んでいた

 地元から崇拝厚く、この京王線沿いの地区の元締めのような神社らしい。お参りをした後、職員の方と軽くお話をしながら御朱印をもらった。

 そこを出て、しばらく歩くと、鎌倉橋の解説があった。鎌倉街道の要衝であり、往時は栄えたということだった。鎌倉街道は鎌倉幕府滅亡後は、埋もれあまり使われなくなったということだが、今では推定の道がほぼ分かっているらしい。

古代の鎌倉街道がここにあった。鎌倉や諏訪方面にもつながっていたようだ

 こちらの地図を見ると、神田川を渡るこの鎌倉橋の両脇には、下高井戸八幡神社そして次に紹介する塚山古墳がある。古代の雰囲気を色濃く残すこの地の真ん中を古代の道は選ぶように通っていたのだ。

縄文中期の環状集落 塚山古墳へ

 塚山公園が見えた。縄文の古墳を生かした公園である。入り口から見える塚はずいぶんとこんもりしており、階段を上るとそこには池があった。これは人工的なものなのか、それとも堀抜きの井戸のようなものがあるのか。

こんもりとした塚
池があり住民の憩いの場所となっているようだ。奥には復元住居もみえる。

 公園内には復元した縄文地域の住居跡があった。近くの管理事務所内では出土物を展示している。何種類かの土器が出土しているようであり、かなり広範囲との交流があったように思える。

発掘された環濠住居の跡が分かるように、モザイク状にタイルが配置されていた
管理事務所内には出土土器の一部も展示されていた

 素直に思ったことは、ここではそこまで縄文の雰囲気を感じられないことだった。もちろん私が、中沢氏に匹敵する感性を持ち、アースダイビングできると思うわけではないが、もう少し、そうあの諏訪の守矢史料館で感じたような、ゾクゾクとするような感じがあるのではないかと期待していた。
 何か自分の古いところに触れるような感覚が湧き上がってこなかったのである。
 この先歩き続けても、何も感じられなかったらどうしよう。少し不安を抱えながらも、今日の探索を続けようと思い、次の高井戸方面へ向かった。

神田川、そして善福川沿いにはいくつもの遺跡があることがわかる。まだ旅してみよう。

次は3/24土曜日追加予定です。

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