僕がいなくても世界は回るが、僕は世界を回る〜気付きと思考〜

46日間の長旅を通じて、インド、ウズベキスタン、トルコ、ドイツ、アイスランド、スペイン、モロッコ、ペルー、アメリカ、ニュージーランド、オーストラリアを巡ることができました。

様々なトラブルはあったものの怪我もなく、何かを盗まれることもなく無事に帰ることができたことは幸いです。

日本という国を改めて見つめなおす

様々な国に行き、旅の時間の半分は移動という強烈に余った時間を使いながら、相対的に日本という国はどんな国なのかということを常に考えさせられました。

他を知り、己を知るではないですが、やはり外に出ると自分の国のことを客観的によく見えるようになるものです。

期間は短いですが、それでも多くの国に訪れてやはり様々な気づきを得ることができました。

日本の素晴らしさ

日本を見つめ直すにあたり、良し悪しを認識するわけですが、先に良き日本について考えていきたいと思います。

治安がいい

やはり治安はいいですよね。変な人に声をかけられたり、何かを盗まれたり、ぼったぐりを勘ぐることがないのは素晴らしいです。

インドなんかは、本当に人を信用できなくなりました。常にぼったぐりじゃないのか、盗まれることはないかという気を引き締めておく必要があります。

さすがに先進国に行けば治安は良くなっていきますが、むしろヨーロッパ等はスリにあう危険性も高くなりますし、ずっと気を張り詰めていました。

ニュージーランド、オーストラリアのオセアニア地域はそういう意味では日本と同等くらいの治安の良さを感じました。オーストラリアは日本よりは若干治安が悪いかな。でも世界一周の中では比較的安心できる国でした。

日常の安心というものは、思ったより大切ですね。安心の生活の中にイキイキとした活動が得られるように思います。そういう下地があることは誇りにすべきです。

圧倒的に安い

良くも悪くも日本の安さというものは身に染みて痛感しました。円安が叫ばれて久しいので当然理解はしているものの、自分の金銭に響く問題となり、やはり身をもって体感すると印象が変わっていきます。

物価感でいくとだいたいペルーとモロッコがまあ日本よりは若干低いけどほとんど同じかなという感覚です。他日本より安かったのはインドとウズベキスタンで体感でいくとインドが日本の物価の半分くらい、ウズベキスタンが8割と行ったところでしょうか。

他はもう日本の物価の2倍〜3倍です。ランチが普通に3000円とかかかるのでまともに食事もできません。

先進諸国はスーパーがしっかりしているので、スーパーで安いパンを買ったり、自炊したりしながらなんとか生き延びてきました。それでもハムを買ったりすると1000円近くしたりするのでなかなかきついです。

最悪なのはアイスランドです。スーパーのサンドイッチ一つに1000円かかります。水も国によってはペットボトル1本500円かかったりします。

そういう訳で強烈に円安の影響を受けてきました。モロッコと同じ経済レベルと思うとちょっとショックがあります。それほどまでに安い国になってしまったんだということをきちんと認識しなければならないと思いました。

日本食

食に関していうとスペイン、ペルーは素材もいいですし、種類も豊富でかなり楽しむことができます。個人的に食のトップ2はこの国です。ペルーは安くて醤油っぽい味付けが多いのと揚げ物、炒め物、スープ、炊き込みなど非常にバリエーションに富んでいます。食文化的には最も日本に近いものを感じました。お米があったのもポイントが高いです。

スペインはバリエーションが豊かというよりもタパスという食文化、雰囲気がとても良いです。お昼はしっかり食べて、夜はテラスでワインにつまみを片手に食べます。このつまみが非常に種類が豊富なんですね。そして夕方から夜な夜なまでとにかく喋りまくる。

スローフード的というか、とにかくいかにワインを美味しく飲めるのかというこだわりを強く感じ、そのつまみもこだわりにこだわっている印象があります。

日が短く、天候も変わりやすい日本だとテラスで落ち着いて食べるという文化は育ちにくいとは思いますが、そういう場所がもう少し増えてもいいなと思います。

インドはスパイスと油が多いので腹を壊しがちですが、時々食べる分には美味しいです。ウズベキスタンは未知数ですが、食べたご飯はかなり美味しかったです。もう少し開拓のしがいはあります。トルコはケバブのイメージが強すぎますが、海鮮を中心としてスープや炒め物など非常に多様な食文化を持っています。味付けもスパイスを使っていたり、変化に富んでいるので世界三大料理と言われるだけはあるなと思います。

それ以外は例えばドイツはソーセージとパンで、私(日本人)の体に腹落ちしないという問題や、アメリカ、オセアニアなどは食文化がなかったりします。それなのにめちゃくちゃ高い。

それに比べて日本の食は極めてクオリティが高いです。低価格、高クオリティです。1000円ほどで定食が食べられたりしますが、どこで食べてもまず外すことはないですし、バリエーションも富んでいます。世界三大料理に日本が入っていないのは正直解せないです。

それから、日本の食は発酵というのがかなりポイントですね。納豆や味噌、醤油、麹など発酵食品の多様さもかなり独特だと思います。おそらく日本の湿度が関連しているのでしょう。

あとはオムライスやナポリタン、コーヒーゼリー等日本独特のアレンジメントも大きな特徴ですね。日本が漢字からカナ文字を開発したのと同様ですが、外からの輸入品を日本の形に編集することができる独特の能力を持っています。

こういう文化の混ぜ込みはあまり他に類を見ることがありません。

例えば、トルコではローマ帝国時代の遺跡とその後オスマントルコによるイスラーム世界の征服による遺跡がある訳ですが、融合というよりは共存という感じで独立に残っている印象を受けます。

日本は神仏習合と言われるように、仏教も神道もほとんど同様の文脈で扱われてきました。こういう日本の独自の文化感というものも様々な点で感じることがありました。

一極集中、でも分散型社会

日本に帰ってきてまず思うのはなんでこんなに人がいるのだろうということです。羽田に早朝に着陸するのですが、国内線へ向かう人が列をなして有象無象にいます。

電車に乗ってもさすがに土曜の早朝だけあって満員電車とはいかないものの、この時間でなんでこんなに人がいるんだと脅かされます。

他国では座れないという経験はしたものの、満員電車というようなことは経験がなく、渋谷や東京駅のように真っ直ぐに歩けないということもありません。

ニューヨークなんかはもっと人口が過密しているのかと思っていましたが、思ったよりずっと人が少なかったです。

インドが一番旅の中では過密していたと思います。

そういう訳で都市への過密度が高いのは日本(もしくはアジア)の特徴だと思います。データがないので正確なことは言えませんが狭い土地に人口が密集しすぎています。

と言いながら、分散型社会という特徴も持ち合わせているように思います。

アメリカ、アイスランド、ニュージーランドを車で旅しましたが、どの国も途中で街を見かける頻度が極端に少ないです。

下手をすると100kmなんの施設もないということがあります。ガソリンを気をつけていないと全く給油所がないこともしばしばありました。

日本を走ると山を越えては街が現れるという印象です。なんなら山にも村があったりするので下道を走れば、街の中を常に走り続けるような感覚になります。

3カ国しかみていないですし、ニュージーランドもアメリカも歴史の浅い国なので都市が点在するような効率的な形を目指したとも考えられます。

日本はおそらく昔の東海道などを中心に宿場町が形成されて徒歩を基準に街があるので広く広がっているのかと思います。

また、江戸時代の藩政治も大きな影響があったと思います。江戸時代はどちらかというとUnited States of Japanという感じで藩ごとで政治が行われていたため、東京一極集中しづらい構造になっていたと思います。

本当に地方への分散を進めるならば、もう少し県の自治権を強化すべきだと思います。

他国のいいところ

他国を渡り歩いて、日本がどのように見えるようになったかということをつらつらと書いていきましたが他国のここは見習いたいというところも少し触れたいと思います。

ウォーターサーバー、コンポストごみ置き

日本は水道が発展しているため、ウォーターサーバーなんていらないと言われるかもしれませんが、欧米にいくとどこにいってもウォーターサーバーがあるのでボトルさえあれば水に困ることがありません。

なのでマイボトルの普及率はダントツで欧米が高いと思います。日本もボトルの普及を進めているところですが、水が汲めるところは少ないですし、自動販売機があまりにも普及しているのでなかなか広がっていないのが実情だと思います。

ボトルの普及と同時にウォーターサーバーが広がることがペットボトルの利用を減らすには大事だと思います。

それと街を歩いていて、いくつかの都市でコンポストごみ入れがありました。これは面白いですね。街中で生ゴミを捨てられるようになっています。

日本でもいくつかの自治体は生ゴミの回収をしていますが、その要領でりんごの芯とかバナナの皮とかコーヒーの飲み残しとかを捨てられるようになるとゴミの削減にもつながっていきますね。

歩きやすい街づくり

日本はよくも悪くも強烈にアメリカ型社会を導入しています。コンビニ、大型スーパー、幹線道路沿いの商業施設。アメリカに行って思いましたが、アメリカ以上にアメリカっぽい形に都市を作り上げています。

一方で欧州にいくと旧市街をそのまま残して、車は入れず歩ける街がつくられています。

サステナビリティの観点からも街づくりとしてもやはり歩きやすい街を作っていくことが望ましいと思っています。

というのは、やはり車からのCO2排出量が大きいこと、そして歩きやすい街はその街の魅力をスポットではなく、雰囲気として伝えることができると思います。

だからヨーロッパの都市は魅力的に映る。そして、カフェや商店街が充実しているので歩きたくなります。

歩きやすいということも大事ですけど、歩きたくなる街であって欲しいです。ふらっとお店の中に引き込まれてしまうような、ちょっとアンティークでおしゃれなお店が集まって、そこが車が通らず美しい街並みで、歩行者で賑わう、そんな街ができるととてもワクワクします。

wonderをどう伝えるか

私はレイチェル・カーソンが唱える「sense of wonder」すなわち「美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見はる感性」を大切にしたいと思っている。というより人生の主軸においている。

自分自身も常にこの感性を持ち続けていたいし、できるだけ多くの人にこの感性を忘れずに持っていただきたい。そして、美しく、ワクワク、ドキドキするような街、歩いていて楽しくなる街、何かを挑戦したくなるような街、すなわちwonderlandを社会に広げていきたい。

世界には不思議がいっぱいあります。とても人間の力では及ばない地球が作り上げた壮大な景色、なぜこんなところに都市を作ったのかという秘境、人はここまでできるのかという圧巻な建物。そういうものを見ると謙虚な心が舞い戻ってきて、ただただ感動します。

圧倒的な景色や自然を前にしては、人は平等なのだと思います。

そういう非日常の中にwonderを見出すことは、簡単というと語弊がありますが比較的シンプルな方法だと思います。

ですが、やはり日常の中、もしくは日常に近いところでどうやってこのwonderを見出すことができるかが大きな鍵になると思います。

アート、音楽や美術は比較的身近なところに存在していると思います。スポーツも大きな要素だと思います。あの、全力で走って汗を書いた後に飲む水の爽快感、体全体で何かを表現できる喜びそれはとても大きいと思います。

旅をしていて思ったのは身体性が一つ重要なキーだということです。旅だとどちらかというとコンテンツを消費する側になるので、そこに消費者が介在する余地がほとんどの場合残されていません。

自然にしても例えば川に飛び込んだり、寝そべったりするというのは難しかったりします。

そういうところよりは実際に触れることができたり、自分の足で歩いたり、身体を使ったアクティビティをしたところの方が鮮明に記憶が残っていたりします。

いかに五感を使うことができるか、特に身体性が欠如しがちな気がするのですが、言葉や目で見たものより、体を通して得た記憶、身体記憶と言いますか、そういうことの方がwonderを考える上では重要な要素になってくるように思うのです。

特に現代は車社会でパソコン作業になり、温度なども一定な環境なので身体というものがなくても回る仕組みになっているわけですが、この身体性の回復というのが、これからますます重要なテーマになってくると思います。



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