【本を詠む】第三回「余命10年-小坂流加」

20歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。笑顔でいなければ周りが追いつめられる。何かをはじめても志半ばで諦めなくてはならない。未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。そして、何となくはじめた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。涙よりせつないラブストーリー。

実写映画化されるということもあり、話題の作品だったので読んでみた。余命10年というのは、何かを始めるには短すぎて、何かを諦めるには長すぎる。ずっと病院にいるわけでもないけど、体の無理はできない。すぐに病院に行かないといけないこともある。そういう不自由な呪いをかけられるということでもある。

死というのは必ずくる。それは全ての人がそうで、そしていつ死ぬかも誰にもわからない。だけど、私たちは将来のずっと先のことを心配していたりする。老後をどうしようとか、結婚はいつまでにしておきたいとか。

本当は余命なんて誰にもわからない。10年かもしれないし、明日かもしれないし、100年後かもしれない。ただ、10年後以上という選択肢が限りなく0に近づくというそういう人の生き方はまた変わってくるのだ。

主人公の茉莉は、周りに笑顔を振りまいて卒なく過ごすタイプの人間だった。ただ、そこには激しい嫉妬と劣等感とやりきねなさが潜んでいた。

この本のすごいところは丁寧に茉莉の心情を映し出しているところだろう。著者の小坂さんはすでに若くして亡くなられている方だが、主人公と同様に病気に苦しんでいるからこそ、その死への一歩を確実に進んでいくその心情がリアリティを持って迫ってくる。

そんな茉莉だけど、ある人から「好きです。ごめん。ありがとう。」を言い損ねた人がいると言ったことを思い出す。そこで、自分が言い損ねないようにと出かける。

その一人が和人だった。茉莉は恋しないと決めていた。それは、相手に申し訳ないという気持ちもあるし、どんどん惨めになっていく自分を見せるのがどうしようもなく耐えられないという気持ちもある。

最後まで一緒にいるというラブストーリーの典型、美しい愛の形ではなく、もっとマムシがヘドロを巻くような醜く、リアリティのある恋の形。それでも何とか自分の生き方へケジメをつけようと必死に作品を作ったり、自分のこれまでつけていた仮面を外して本音で気持ちを伝えたり、そういう死を前にした生き方が心打つ。

私たちは当然のように明日が来て、1年後、10年後がくると思っているけれど、もし期限があるならば、あと10年しか生きられないと知ったらどうしますか?愛することを諦めますか?今の挑戦をやめますか?それとも、生きているうちに何かを残そうと必死にもがきますか?言いたいことをきちんと伝えようと素直になれますか?

生きることはこんなにも容易く、そして難しい。そんな後味のある作品でした。


この記事が参加している募集

#読書感想文

189,460件

いつも記事をご覧いただきありがとうございます。感想を頂けたらそれが一番の応援になります。 本を買ってくれたら跳んで喜びます🙏https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/210YM6JJDGU2A?ref_=wl_share