僕がいなくても世界は回るが、僕は世界を回る〜インド編〜(1/11)

写真などは日本に帰ってきた後、落ち着いたら追加しようと思います。しばらくは文章だけでお楽しみください。

1日目(初夜(ぼられる))

この旅の目標は
①怪我、病気をしない
②盗まれない(特にパスポート、現金、スマホ)
③ぼられない(ちなみにぼられるって日本語なんですかね。ぼったぐりにあわないという意味です)

さあ始まりました。世界一周の旅です。小タイトルの通り、初夜からぼられました涙。これからどんな旅になるのか。ワクワク5割、不安5割でしたが、不安の方が大きくなっております・・こうなったらネタとして売ってやるしかないので、思いっきり堂々と書いてやります。もしこれを見てインドに行く人は気をつけてください。

まず空港に着いたらWIFIが使えない。インドについてからSIMをインストールしようと思っていたのですが、それができない・・日本でやっておけよということなのかもしれないですが、まさか空港で使えないとは思わないじゃないですか。

そして連絡できないので空港のarrivalで友人を見張り、なんとか合流(違う便できたので)。そしてSIMをインストールしようとしたら、今度はアクティベートできない!!これは原因不明すぎてわからなさすぎたので、とりあえず会社に問い合わせて完了。(のちに再起動してから試したらうまくいってただのエラーだったと判明)

そしてメトロに乗ってホテルに向かおうとしたら、案の定タクシーに乗らないかとたくさんの人が付き纏ってくる。うん、インドっぽい。メトロと同じ額でOKというので、じゃあといってタクシーに乗車。

ここまではまあ序章で、ここからがひどい。デリーのホテルの近くまできたらなんか工事をしていて通れないという。どうやら電気工事とのこと。ホテルに電話するからホテルの電話番号を教えてくれとドライバーに言われ、そのまま伝える。すると電気系統の工事で全てのブックをキャンセルしたと!(なんじゃそりゃ!という感じ)

なのでインフォメーションセンターに行ってくれと言われ向かうことに。(ここら辺から怪しいと気づくべきだった)

インフォメーションセンターに行くとデリー全体で電気工事が始まって電車が止まるとのこと。また、デモなどが悪化してきているので観光に行くなら早めにアグラに向かった方が良いと。

それでこちらでチャーターするから任せておけということでその話に乗ることに。

そろそろ読者の方はお気づきかもしれないが、要はぼったぐられたのだ。額は書かないけれど、日本人ならまあかなり高いなと思いつつ、ぎり払えてしまうくらいの絶妙な額。

こう書いているとバカが騙されやがってと思うかもしれない。でもこっちは本気なのだ。本当に情勢が悪くなっているなら安全を取るべきだし、でも観光はしたいし。それで甘いオプションが用意されたので、それに乗ってしまうのだ。

詐欺をやる方も絶妙に人の心理をついてくるので、正直逆に感心してしまうくらいだった。気をつけていても引っかかる時はひっかかるんだね。

やらかしたなと思う反面。この人たちの言うことが本当の可能性があるかもしれないとやっぱり心の中では思うのです。(ちなみにのちに調べるとちゃんと電車は動いていて、ホテルも普通にやっていて、タクシーからの一連の流れがグルだったということに気づく。)

そういう訳で1ヶ月半の旅の最初からぼったぐりにあった訳なんだけれども、しょうがないので、言われた通りに行ってやるよと。そのままアグラへ直行。この時すでに23時。日本とインドは3時間半の時差があるので良い子はとっくに寝ている時間ですね。

そこから車に乗ること訳4時間半。途中ドライバーが眠いから寝るといって3時間半でつくものが4時間半に。いい金払ってるんだからそれくらい頑張れよ。と思うけれど。どこまでも自由なのがインディアンスタイル。

交通で驚くのは、ドライバーがドアを開けてゴミを捨てるんですよね。まあ一歩譲ってゴミをポイ捨てするのはいいとして(良い子のみんなは絶対にマネしないでね)、なんでドア開けるねん。という感じです。ドア開けるとき結構騒音が響くのでだいぶうるさいんですよね。

日本もまあ100年くらい前は普通にゴミを投げ捨てるような文化もあったみたいだし、それは経済レベルに合わせて色々変わるのかもしれないけれど、ドアを開けるのはなぜなんでしょうか。(こういうことが川を伝って海に流れていくのだから海洋ごみを無くすという目標はなかなかハードルが高いですね)

そんなこんなでなんとかアグラに着いたのが朝の3時半。もう日本では立派に朝ですよ。気持ちとしては徹夜してなんとかレポートを出し終えた時のような気分。(そんなことは一度もやっていないのだけれど)

とりあえずホテルはまあ悪くない感じ。お湯も出たしね。シャワー浴びて、少し気持ちを落ち着かせてから睡眠。インドで上記の3つの目標が全て踏み滲まれないように気をつけていきましょう。


2日目

結局寝たのは朝の4時過ぎくらいで、体はもう死ぬほど疲れているんだけど、体内時計が起きろと言っているので意外と寝るのは苦戦。とはいえ、サクッと寝て起きると朝8時。9時にアラームをかけていたのだけれど、日本ではもうお昼だし、体が目覚めてしまった。時差って意外とすごい。

脱線するけれど、ちなみに太陽の時計は24時間なのだけれど、潮流の時計は25時間らしい。なので魚は25時間のリズムで生きている。我々も魚から進化してきたので25時間のリズムを持っている。日の光を浴びていないとどんどんリズムが狂ってきて、12日後には半日時間がずれるらしい。

なので、夜型で生きている人は魚のDNAが濃いのかもしれないですね。

話を戻します。

ホテルの朝飯もそこそこでした(偉そうですいません。)気づけば着いてから何も食べていなかったので、そこそこお腹が空いていました。

そしてそこからアグラツアーの開始!!

タージマハル

最初はタージマハル。ガイドのおっさんがついてきてくれてこれは普通にきてくれてよかった(インクルーディングされてとろよとは思うのだけど)

タージ・マハルは、今から約350年前、インドを支配していたムガール帝国の皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルの死を悼み17年をかけて建てた霊廟。まぶしい白い大理石でできた霊廟には、天上の楽園に咲き乱れる花を連想させる花の紋様が、翡翠、水晶、トルコ石、サファイア、などの貴石で施されている。 建物の前にある長さ約300mの池に映る姿もタージ・マハルの魅力の1つ。観光は日の出時間からできるが、月下におかれると一層その美しさが増し、特に満月の夜の妖しい美しさは、この世のものと思えない凄みを感じさせる。

画角を決めて色々写真もとってもらいました。

ムガル建築の最高峰ともいわれる素晴らしい建築物には圧巻でした。セブンワンダーの一つとのこと。そのうちマチュピチュにも行きますがいつかセブンワンダー巡りもできるといいな。

アグラフォート

次にアグラフォートに行きました。タージマハルがお墓なのに対してこちらは城塞です。城塞と言いつつ、建築美も備えるのが時の権力者なんですかね。なかなかこちらも立派でした。

インド北部を流れるヤムナー川。その西岸に建つアグラ城は16世紀からの約300年間、隆盛を極めたムガル帝国の歴代皇帝が君臨した居城。第3代皇帝アクバルがデリーから遷都し築いたアグラ城は、この地方で産出する赤砂岩を用いて造られているため「赤い城」と呼ばれています。また、赤い色は皇帝の強大な権力の象徴でもありました。

あとはランチ行って、タージマハルの装飾を作っているところを見学してジャイプールへ移動です。ここからまた4時間の移動です。大変・・

ジャイプールに着いたのは夜の9時くらい。ローカルな人たちが集まるカレー屋に足を運んでみました。

チーズのカレーとナンをいただいて本日は終了です。観光地はサラッとしていたので大したことはないのですが、移動が多いとやっぱりきついですね。お疲れ様でした。

3日目

ジャイプールです。

ここはピンクシティとも呼ばれ、あたり一面がピンクに覆われます。と言いながらどっちかというとカラフルシティですね。日本と違って各家庭に屋上がありますね。日本の三角屋根の家とは違うのでだいぶ異国情緒がありますね。

アンベール城

広大な砂漠地帯が広がるインド北西部のラジャスタン州。ここには8世紀からヒンドゥー教を信奉するラージプート族が住み、ペルシャ、トルコなど各国の文化を取り入れ独自の文化を築いていました。また、種々の民族が行き交う要衝であったため、丘陵地帯に強固な城砦を築き異民族の侵入に備えました。その時代に築かれたチッタウルガル、クンバルガー、ランタンボール、ガグロン、アンバー(アンベール)、ジャイサルメールの6つの城砦が2013年、「ラジャスタンの丘陵城砦群」として世界文化遺産に登録されました。

なかでも、ラージプート族のマハラジャが16世紀に築城したアンベール城は都市機能も備え、ジャイプルに遷都するまで150年間増改築が重ねられ、都として繁栄しました。丘の上に堅固な城壁に囲まれて建つ質実剛健な外観に比べ、城内はイスラム様式の影響を強く受けたラジャスタン特有の優美なスタイルで造られています。壁面に精緻な幾何学模様のモザイクが施され、世界で最も美しいと言われる、象頭の神ガネーシャが描かれたガネーシャ門をくぐると、左手に貴賓謁見のための勝利の間があり、その奥には天井や壁一面に小さな鏡を散りばめた鏡の間があります。マハラジャは、その1枚1枚に映る外の景色を楽しんでいたことでしょう。

アンベール城はかなり感激しました。正直、タージマハルより良かった。城として外観からの眺めは壮大だし、中に入ると迷路のような宮殿を進み、荘厳な部屋に出会うことができます。

日本で言うと姫路城が近いでしょうか。よくよく思うと日本の城は、荘厳さというものを求めていないように思います。あんまり華やかな城というのは聞かないですよね。どちらかというと実用性を重視している。そもそも海外のゴージャスと日本のゴージャスがかけ離れているのかもしれないですね。それはタージマハルと古墳を考えれば似ているかもしれません。

どちらも墓ではあるけれど、華やかさより土器や数珠など意味に重きを置いているような気がします。(勝手な妄想ですが・・)

それでも茶道のように引く(マイナスする)ことにより何かを引き立てると言うような日本の文化感はかなり特徴的なのかもしれません。

エレファントビレッジ

アンベール城の象に乗ろうかと話していたら、城じゃなくて村があるからそっちがいいよとのことでそっちに向かうことに。

何十頭の象がいるのですが、その中のほとんどはメスでオスはたった一頭とのこと。その中でクイーンという名前の象に乗せてもらいました。

タイに行った時に象に乗せてもらいましたが、今回はそんな椅子のようなものはなく、二人で背中に乗せて直接乗せてもらいました。今回は何もなかったけれど、少し興奮してたら振り落とされちゃいますよね。でも、そんなもんか。

象の水浴びに少し巻き込まれたり、近くの木をどんどん食べてしまう野生的な象はまたタイとは違った経験になりました。ついでに餌やりもやらせてもらいました。あんまり牙らしいものもなく、直接餌やりをしました。(正直手が巻き込まれないかだいぶビビりながら)

ちょっとお高いアクティビティではあるけれど、日本ではなかなか体験できないものなので少しお金を積んでもやる価値はあるかと思います。


そして街に戻ってランチをいただきました。お酒も飲みました。ヒンドゥー教もイスラム教もお酒が禁止されているのでなかなか売ってないんですよね。お酒好きにはなかなか厳しい国ですね。

さて、ランチをいただいたあとは街の中心街に向かい、メジャーな2つの世界遺産に向かいます。ジャンタルマンタルとハワーマハル(風の宮殿)です。シティパレスも有名なのですが中に入っても大したことないと言われ、時間も限られた旅だったので今回は断念することに。

ジャンタルマンタル

インドの北部、デリーの南西の地を治めていたジャイ・スィン2世によって建設された街ジャイプール。現実主義者で政治力もあった彼は、強大なムガル帝国の保護下に入ることで生き延びる道を選び、ジャイプールを繁栄に導きました。この街に2010年、世界遺産に登録されたジャンタル・マンタルはあります。

ジャイ・スィン2世は天文学にも造詣が深く、ヨーロッパやペルシャから膨大な書物を集め、天文学の粋を結集して、1728年から居城であるシティパレスの隣に天文台を建設します。ジャンタル・マンタルには、サンスクリット語で「魔法の仕掛け」という意味があります。約20の天体観測儀が一見オブジェのように並び、摩訶不思議な光景が広がります。最も目を引くのは高さ27.4mもあるサムラート・ヤントラで、これは2秒単位で時間を計測でき、子午線、天頂距離も測れる観測儀です。20秒単位で時間を測れる小型のラグ・サムラート・ヤントラもありますが、ジャイ・スィン2世は大きいほど正確な数値が得られると信じていたようです。また、ジャイ・スィン2世が発明したラーシ・ヴァラヤ・ヤントラは、それぞれが12の星座を向いた観測儀で、占星家に利用されました。

天体観測に使っていたとのことですが、正直よくわかりません。でも確かに陰とメモリがあって、それが観測に使われていたんだろうという想像はつきます。数学的なアートを見ているような感じでなかなかすごいのですが、これをみて感動できるのは数学者と天文学者くらいなのではないかと正直思いました。(でも一見の価値はあります。)

ハワーマハル

次にすぐ近くのハワーマハルに向かいました。

ヒンディー語で「風の宮殿」と名付けられたハワー・マハルは1799年にジャイプールの王(マハラジャ)の第5代当主サワイ・プラテープ・シンによって建てられた。

シティパレスの東側の大通りに面して建ち、ピンク色の外壁の5階建ての建造物で、ジャイプルのランドマーク的建物。

風の宮殿と呼ばれるだけあって、結構いろんな穴が空いていて風が通るんですね。ここも全然出口がわからない。全部回れたのか全然わからないのだけど、とりあえず適当に探検をする。少し冒険感があって楽しいです。

さて、37度の灼熱を浴びながら移動しているので割と本気で熱中症のリスクを感じながら歩いておりました。こういう時に飲む炭酸飲料ってちょっと信じられないくらい美味しいですよね。

少しカフェで休憩しようということであんまり身近なカフェがなさそうだったので適当なレストランに入ることに。

コーヒー甘すぎる問題

リサーチ不足だったんですが、インドってコーヒー飲む習慣ないんですね。イギリス占領下だったのもあり、割と紅茶はありそうな感じだったんですけど、コーヒーとお酒はもうほとんどないです。

一応観光客むけに扱ってはいるのでアイスコーヒーを注文。そしてこれが劇的に甘かった。どうやらインドでのコーヒーは普通に注文すると砂糖とミルク入りらしい。きちんと砂糖、ミルクなしでと頼まないとブラックは用意されない。そして完全にインスタント。

インドのコーヒーはcoffee with milkではなくて、milk in coffeeという感じで、牛乳にインスタントコーヒーを混ぜているんですね。それだけで十分甘いんですけど、さらにそこから砂糖をぶち込んでるので、もはやコーヒー風味の砂糖でした。

割となんでも食べれることが自慢だったんですが、おそらくこれまで食べてきたもので一番甘かった。残念ながらほとんど口にできず断念(だって砂糖だもの)

インドではコーヒーを頼まないのが無難です。やむなく頼むときは、ノンシュガーにしましょう。

テキスタイル

ドライバーがどうしてもテクスチャに連れていきたいということでそこまでいうならと向かいました。そもそもテキスタイルってなんやねんと思って他のですが、アパレル屋ですね。いろんな布を自社工場で作っていて、それをパンツやら、シャツに仕立て上げてオーダーメイドで届けてくれるところです。

普段なら荷物になるし、いらないものは絶対に買わないんですけど、シャツは一枚くらい持っていてもいいなと思っていたのと、ユニクロとかで買うよりはきちんと雇用者にお金が落ちるはずなので、そういうエシカル的な側面も含めて一枚シャツをオーダー。デザインは素敵だったし、色々生地も触らせてもらってから決められてしっかり寸法も測ってもらったので割と良かったかな。その後他のお店で同じような案内をされて値段を教えたらびっくりされました。やっぱり良い値だったのかもしれないと思い、ぼったぐられ続けてきたので少し気分が良くなりました。

日が落ちる頃にナハラフォートに向かいました。一応城塞ではありますが、どちらかというと仙台城みたいな感じで、街の景色が見渡せるスポットという感じでした。綺麗というよりはインドの街ってこんな感じなんだなと観察する感じですね。

日本は三角屋根が基本ですが、天井が平らになっていて、洗濯物を干したり、子供達が遊んでいたりしていて文化の違いを感じました。

中に入ると不思議なモニュメントがあります。(これは後で写真で見ていただきたい)トリックアートみたいな感じで単純に面白かったです。

最後にジャルマハル(水の宮殿)に向かいました。なぜか水の上に浮いてい降り、中には入れないのですが外から見れるスポットは結構大勢の人が集まっています。

昼間に見ても美しいのですが、夜になるとライトアップされてかなりいい感じです。

ディナーは近くの有名そうなカレー屋に出かけました。インド価格で行けばいいとこな気がしますが、味は間違いなく絶品でした。

フルで観光できたし、なかなか充実した1日でした。

4日目

ここで問題が発生。今回のツアーに運転手の料金が含まれていないので料金の10%をよこせとのこと。これが自分達で捕まえたタクシーであれば喜んでお渡しするところだけれども、もうこちとら大金を払っているんよ。勘弁してくれという気持ちでなくなくお渡ししました。

というわけでかなりテンションを下げてからデリーに向かいます。

その前に有名なラッシー屋さんによってきました。老舗のお店でいろんな人がやってきていました。自家製らしき焼き物にラッシーを入れていただいてハッピーです。

そこからデリー行きの高速に乗って行きます。だだっ広い高速でインドにしてはあんまり車の通りが多くなかったです。朝出てデリーについたのが14時過ぎとかです。

クトゥブミナール

クトゥブミナールとその建造物群として世界遺産に登録されている遺跡群です。世界遺産検定で勉強していたのが懐かしい(特徴的な名前なので覚えました。)ミナレットが有名で写真で出てくるのはほとんどその塔になります。それはそれですごいのですが、ここの魅力は建造物群の方にあるなというのが個人的な印象です。

ニューデリーの南郊外約15kmに位置するインド最古のイスラーム遺跡群。1192年、後に奴隷王朝を打ち立てるクトゥブ・ウッディーン・アイバクが、北インドを制圧した記念に建立したのがクトゥブ・ミナールです。本来は礼拝の時を知らせるためのものですが、国内のヒンドゥー教徒たちに対するイスラームの勢力誇示という意味合いが強かったようです。

見上げるクトゥブ・ミナールの高さは約72.5m。5層からなる塔の壁には、コーランの章句やアラベスクが刻まれ、辺りを払うほどの気品と威厳を漂わせています。その傍らに立つのが、クワットゥル・イスラーム・モスク。破壊したヒンドゥー寺院の石材を再利用したため、偶像崇拝を認めないイスラームにありながら、回廊の列柱に女神像が残るという不思議。赤砂岩の塔やモスクは夕陽を浴びてさらに美しく輝きます。

モスクの中庭にそびえるチャンドラヴァルマンの鉄柱。4世紀に鍛造された高さ約7.2mの鉄柱ですが、雨ざらしにもかかわらずほとんど錆びていないのは、100%に近い高い純度の成せる業。柱を背に腕をまわして、両手が組めたら幸せになれるという言い伝えも。現在は柵があるため、直接触ることはできません。また、均整のとれた美しい門アライ・ダルワーザ、壁を覆うレリーフ彫刻が見事なイレトゥミシュ廟、未完成のアラーイ・ミナールなど、見どころが目白押しです。

なんというかザ遺跡という感じですね。日本だとほとんどの遺跡は修復されていると思いますが、壊れたまま残している感じがとても味があります。

フマユーン廟

廟(びょう)と読むらしいです。これもタージマハルと同じで墓です。ただし、墓のタイプはだいぶ違う感じがします。しかし、一応タージマハルのデザインの基盤になったらしいです。

最愛の妻に捧げた霊廟タージマハルが建つ100年前にも、インドでは配偶者の死を悲しむ王族の物語が残る霊廟があります。それが、インドの首都デリーの中心部東南端のプラーナ・キラーの南に建つ「デリーのフマユーン廟」です。

「デリーのフマユーン廟」はムガル帝国の第2代皇帝フマユーン霊廟と庭園から構成されるインドの世界遺産です。フマユーン霊廟はその名のとおり、ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンの遺体が眠る霊廟。

典型的な庭園霊廟で、庭園も建物も左右対称の「庭園の中の廟」といわれる、インド初のムガール様式の霊廟として、1983年にユネスコ世界遺産に登録されました。

ちょっとここら辺で遺跡慣れしてきて感動が薄れてきていますが、世界遺産
ですし素晴らしい遺跡なのは間違いありません。


ヘアカット

一度やってみたかったのが海外でのヘアカットです。髪は文化の一つですし、自分の魂のようなものなので、その国で切るということはある意味その国に染まるということです。

インドでは大きく路上カット、床屋、美容院の3タイプがあって、ドライバーさんが通っている床屋に連れてきてもらいました。

ちなみそれぞれ大体50、400、1000ルピーらしいです。路上カット以外は日本とほぼ同じシステムでわかりやすいですね。

インディアンスタイル、ショートカットとだけ伝えてあとは店員さんの思うがままに切っていただきます。

出来上がりは今後のお楽しみですがワックスをつけていないのでインディアンスタイルというとちょっと離れている気がしますが、かなりさっぱり切っていただきました。

ホテルはかなりカオスなニューデリーステーション付近です。駅近なので便利ですが、周りの雰囲気はかなりカオスです。エリアとしては正直おすすめできるかどうか。デリーは全体的にカオスな感じなので他がいいのか全然わからないですが。とりあえず2つ星の安宿に泊まりました。ちゃんとお湯は出ませんでしたが、まあ最低限のクオリティはあったと思います。(日本のクオリティは求めてはいけません)

5日目

ジャマーマスジド

少し早起きして、7時からやっているというジャマーマスジドに8時頃向かいました。ドライバーさんとは昨日でお別れしたので今回は初トゥクトゥクにトライしてみました。ちょっと勇気を持って交渉して安くなったら乗るという感じでやってきました。

着いたらなんとゲートが空いていません。ウロウロしているとこっちは空いていないからついてこいというインド人。すると真逆のゲートが空いていました。でも、無理矢理鍵開けてたけど大丈夫かな。そのまま中も案内してくれました。

中は裸足ですが立派な感じです。まあかなりインパクトのある遺跡にいき過ぎたのでインパクトはちょっと薄いですが、それでも素晴らしい建物です。

ジャーマー・マスジドは、インドのオールドデリーにあるモスク。インド最大のモスクのひとつである。オールドデリーの繁華街チャーンドニー・チョウク東端付近にある。

正式にはマスジデ・ジャハーン・ヌマー、つまり「世界を見渡す(ことができるほど大きな)モスク」という名称である。なお、この通称自体は「金曜(の集団礼拝に人々が集まる)モスク」といった意味であり、イスラーム圏各地の都市に同様の名称で知られるモスクが多数存在する。

中庭では25,000人が礼拝できる。また、北門のそばの収容庫には鹿の皮に書かれたコーランをはじめとする聖遺物が収められている。

そしてそのままラルキラーに行こうと思ったのですが、9時半からで空いていないとのこと。そしたらさっきのお兄さんが近くのマーケットを案内してからラルキラーまで送るとのことで送ってもらいました。

マーケットはカオスを極めていますがにぎわいはすごいです。ついでにバナナラッシーもいただきました。

全体案内していただいてからラルキラーまで送ってもらいました。お金はup to youと言われていて、いくら払う気があるかと聞かれたのでまあ500ルピーくらいなと思いつつ、とりあえず低めの200ルピーと言ったらありえないと言われ一万円寄越せと言われました。さすがに吹っ掛けられすぎて喧嘩して最終的には千円を置いて逃げ帰りました。(リキシャのいいところは逃げられるところです)

本当にいい人そうな顔をしてボッタグリをしてくるので、性善説で生きていた私もさすがにちょっと人を疑うことを覚えました。疑わなくていい日本は本当に素晴らしいです。

ラルキラー

レッドフォート(赤い城)とも呼ばれ、その名の通り大きな赤い外郭に覆われています。中は庭園という感じで、色々政治的に利用されてきた様子がわかります。

愛妃の死を悼み総大理石の白亜の霊廟タージ・マハルを建てたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン。その彼がアグラから都を移し、自らの名を冠した新都に築いた居城が、インドの首都デリーに聳える壮大な「赤い城」レッド・フォートです。隣接する先の時代のサリームガル・フォートとともに世界遺産に登録されています。

1639年から9年の歳月を費やし1648年に完成した居城は、建材に赤砂岩を用いていることからレッド・フォートと呼ばれ、「コーラン」に描かれた楽園を具現化した城内には、ナッカル・カーナ(中門)、ディワーニ・アーム(一般謁見殿)、ディワーニ・カース(貴賓謁見殿)、モーティー・マスジド(真珠モスク)など、ペルシャやヒンドゥーなどの影響を受けたムガル様式のイスラム建築が並びます。18世紀になるとイギリスによるインドの植民地化が進み、1857年にはインド大反乱が勃発。レッド・フォートはイギリス軍に接収され、独立後はインド軍の施設として使用された経緯があり、インド独立記念日の首相演説はここで行うのが恒例になっています。

レッド・フォートの完成から10年足らずで病に倒れ、息子によってアグラ城に幽閉され、愛妃の眠るタージ・マハルを眺め74年の生涯を閉じたシャー・ジャハーン。イギリス統治時代の建造物が混在し、創建当時の姿が失われてしまったとはいえ、城内にはムガル帝国全盛期の残り香が漂い、盛者必衰を思わずにはいられません。

アクシャルダム寺院

アークシャルダーム寺院は、インドのデリーにある、ヒンドゥー教の寺院。グジャラート州ガンディーナガルにある寺院とは、宗派を同じくする同系の寺院である。2007年に「世界一大きなヒンドゥー教寺院」として、ギネスブックに掲載された。祭神はヴィシュヌ派の聖人スワーミーナーラーヤン。

植物や動物、神々の彫刻が施された石造の寺院は、高さ43メートル、幅96メートル、長さ110メートルある。ラージャスターン州産の砂岩やイタリア・カッラーラ産の大理石を使用するなど、建築には鉄やコンクリートが使用されていない。他に象の彫刻やスワーミーナーラーヤンの巨大な絵が掲げられている。内部にある、スワーミーナーラーヤンの生涯を動く人形やジオラマで表現したアトラクションや、模型の間を進みインドの歴史を辿るボートライド、同聖人に関連した内容の映画があるのも特徴。

寺院へはメトロで向かいます。インドはメトロが発達していてわかりやすく、安いので長距離移動はメトロ、近距離はトゥクトゥクが個人的にはおすすめです。

かなり大きな寺院です。感覚的にいうと奈良の大仏とサグラダファミリアを合わせた感じ。宗教的に価値のある場所だったと思うのですが、サグラダファミリアの建築美を重ね合わせたような感じです。

入場するのにスマホやカメラが禁止なので写真は取れませんでしたが、美しい女神像や動物の像があり、我々を魅了します。

個人的にインドでNo1スポットと言っても過言ではありません。ついでにフードコートがあったのでランチとアイスをいただいてきました。

ラクシュミーナーラーヤン寺院

ラクシュミーナーラーヤン寺院あるいはビルラー・マンディルは、インド・デリーにあるヒンドゥー教寺院。ヴィシュヌ神の化身ナーラーヤンと、その妻、美と幸運と繁栄の神ラクシュミーを祭っている。1938年以来、インド有数の大財閥であるビルラー財団によって管理運営されている。

こちらも同じヒンドゥー教の寺院なのですが、だいぶ雰囲気の違う寺院です。なんだか可愛らしいです。とはいえ、これまでの観光地と比べると正直見劣りしてしまうので時間がある人やヒンドゥー教に強い関心がある人であれば楽しめると思います。

他にもインド門とか、ロータリー寺院などいくつか見所はあったのですが、今回は断念しました。インド門は調べた感じ夜ライトアップされるようなのでその時に見てみるのが良いかと思います。

ホテルで荷物を受け取って空港に向かいます。オンラインチェックインをしたらプリントされた航空券が手に入らず、セキュリティチェックで足止めされました。せっかくバックパックなのに荷物預け入れの長い列に並んで発行してもらいました。

こういうこともあるので早めに空港に向かうのが大切ですね。今回は余裕があってよかったなーと思います。

まとめ

優しそうなやつが一番怖いというのがこの国です。本当にもう人を信頼できなくなりそうです。何をするにも疑ってかかることから始めないと行けません。

ぼったぐられない、スリに合わない。治安がいいというのは国として本当に大事なことなんだと思い知らされました。これはこれで経験と受け止めて次の国ウズベキスタンに向かいます。

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