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試験勉強の狭間で

ついつい先日まで公務員試験を受けていた。約半年にわたる期間で大学受験を思い出すように勉強していた。

大学受験は学校という場で、みんなが一斉に受けるという一種の強制性があったが、今回は就職活動という自由で、なんでもありという中受験していたので、孤独さを抱えながら純粋なモチベーションだけで勉強していた。

大学受験は鬼のように勉強していたので、15時間くらいはやっていた気がするけど、少し大人になった自分は、ただ勉強するだけでは、非合理で悪いと思い、メンタルケアもしながら毎日10時間を目安に勉強していた。(ただの言い訳にすぎないかもしれないけど…)

そんな訳で、意外にもモチベーションを維持しながら受験生活を送っていた訳だけど、流石に後半はバテた。一番きつかったのは大学受験と異なって、二次試験の専門科目が2科目しかなかったことだ。

工学専攻の自分は機械力学と熱力学を選択していたが、とにかくつまらなかった。割とどんな状況でも楽しめることが強みの自分でもきつかった。いうならば、スポーツ選手が基礎体力向上のために毎日フルマラソンを走らされているようなものだろう。

自分のやりたいことのためとはいえ、ひたすら過去問や問題集を何度も刷り込むように解き、答えを覚えてしまうくらいに反復する。こうして研ぎすまれた知識が身に付くのだが、その過程は非常に地味で辛い。

新しいことを身につける勉強は、新たな視点が手に入ったり、気づきがあってワクワクするものだが、ひとえに勉強と言っても色々な形があるのだと思う。

幸いだったことは、コロナで誘惑がほとんどなかったことだろう。飲み会も旅行もことごとく嫌煙されている世界線なので、勉強の世界に住む住人にとっては絶好の機会だったわけだ。


そんな公務員試験が終わったーーー!性格には面接試験がまだ残っているのでまだ完全には終わっていないのだが、できることがほとんどないので、一旦は一区切りである。

終わった解放感と共に何故か不思議な虚無感がある。多分目指すべき目標を持ってひたすらに頑張ることは、挫折もあるし、とにかく毎日地味に続けるという苦難がある。

しかし逆説的にその苦難が、人生の充足に繋がっているのだと思う。苦難を乗り越え、小さくても一歩ずつ前に進んでいる自分に自信を持てるし、そういう自分を誇りに思いながら毎日を送れる。

幸せは幸せだけでは存在し得ない。苦難や困難があってこそ、幸せを得られるというのはなんとも皮肉なことだ。


そんなこんなで解放された自分は、こうやって文章に向かっている。不思議なことに勉強で強いストレスを感じていた時は、反動でyoutubeとかamazon primeに食い付いていたのに、ストレスフリーになった瞬間興味がなくなった。

というか他にやりたいことはないのか!とツッコミたくなるくらい不思議なことに文章に向かっている。自分は本を読むのと同じくらい、文章を書くのも好きなのだが、その創作意欲が溜まりに溜まっていたようだ。

本当は就活が終わったらやりたいことは山のようにあるのだが、試験で溜まっていた学校の用事とか、他の就活のこととか、学生団体のこととか意外とやることもまだまだ完全に気を緩めることもできないので、文章を書くことが自分にとってはちょうどいい気晴らしになるんだなーと思った。


そういえば、少し話が逸れるが、フリーランスのライターの塩谷舞さんがこんなことを言ってた

インターネットの大波に揉まれて記事を量産していると、自分が書いているのか、大衆が求めているものを書かされているのか、もしくはアルゴリズムのマリオネットになっているのかさえも分からなくなってくるものだ

これは、バズライターとして魅力的な記事を作り続け、文章と真剣に向き合った塩谷さんだからこそ生まれてくるものだろうが、なんとなくこの気持ちはわかる気がする。


僕は当然ながら、文章でお金を稼げないかと考えたことがある。当時(今でもそうかもしれないが)フリーランスという言葉が飛び交っていて、個人の時代だから起業しろだの、ビジネスをしろだの、アフィリエイトで稼げだの、そんなのがSNS上で散乱していた。

僕は比較的周りに影響されやすく、文章を書くこと自体はそれなりにセンスもあると思っていたのでブログ記事を書いて稼いだりできたらいいなーなんて憧れはあった。

特に文章のいいところは時間も場所にもとらわれず、自分の好きなタイミングで書けることにあった。旅好きな自分にとってはこれ以上ない理想的な姿だったのは間違いない。

ブログ記事で稼ぐには、とにかくいろんな人に読んでもらう必要がある。そのためには、ブルーオーシャンのジャンルで、一目置かれるような、ちょっと詐欺まがいのタイトルとかつけて、twitterのSNSなんかもうまく使いながら、どの記事がバズったか分析して…みたいなことを繰り返します。

こういうことを楽しめる人はぜひやったらいいと思うし、マーケティングやSNSを批判するつもりは毛頭ない。だけど、自分にはとにかく合わなかった。そもそもこういった手法は稼いで、不労収入を作ることが目的なのでお金に興味がないとやってられない。

でも、こういう記事を書こうとする度に驚くほど手が動かなかった。やっとの想いで書けたのは本の紹介記事くらいで、こういう商業的な文章はとことん向いてないなと思った。

そもそも自分は驚くほど金銭的な欲望がない。もし自分が死ぬほど貧乏な生活とか、過酷な生活を送っていたら、死に物狂いでお金を稼ぐ方法を探すかもしれないが、幸いなことに恵まれた生活を送ることができている。

そういう訳で、塩谷さんの大衆の求める文章と自分の書きたい、届けたい文章の中での葛藤はなんとなくわかる気がする。


だからこそ、僕はお金のためではなく、自分のために、この文章を読んでくれる読書のために、純粋な気持ちで文章を届けたいなと思っている。

ちなみに自分は何でも恐れずにチャレンジできるという点では、明らかに起業家タイプなのだが、お金のこととかを一切気にせずに、とことん社会のこととか、この世界のあり方とかを考えることができるという点では、公務員という仕事ほど魅力的なものはないなと感じている。

いづれにしろ、自分の仕事は考えることなので、人よりは視座も深く、多様な視点から物事は眺めているつもりである。

そういうわけで趣味の範囲だけれど、自分の視点が誰かの新たな気づきとか共感を生む。そういうものを届けられる文章を目指して、noteを再開していこうと思います!

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