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必殺 熟年夫婦ライティング。

いらっしゃい。

何を隠そう、今日は金曜日。
日本のどこかに生息する冴えない男が、
独自の解釈でくだらない持論を展開する日だ。


よく分からないことを行き当たりばったりで書いているが、
このnoteも何だかんだ連続投稿30週に到達。

ひとえに皆さんのおかげです。
ありがとうございやす。


今日も書いていこう。
くだらない、よもやま話を。



今週の振り返り

さて、誰も興味がないのは知りつつも、
僕は今週の決算から入る。

今週もまた、作品に打ち込んだ一週間だった。


原稿が完成し、表紙デザインを見直す。
そしたらなんだか内容を見直したくなって、
それが終わったと思ったら、
今度は挿絵を入れたくなった。

挿絵を入れたら入れたで、
また内容を見直したくなって、

最後は会社のトイレにいる時に
ファー……とアイデアが浮かんでくる始末。


とっとと出版しとけばよかったな、
とは心の片隅で思いつつ、
浮かんだアイデアを新たな形にして
作品に投影していく。


そう、
僕の今週はこんな感じ。
そして、作品作りもこんな感じだ。

ぶっちゃけ、
3日くらい集中して書けりゃいいんだけどさ。

刻んで創作するからこうなるのかな、とか思っている。


僕は割と、勢いで創作するタイプだから。
間が空くと前回のテンションとちょっと変わってくる。
テンションが変わると作品のテイストも変わるから、
そんなこんなで複雑な感じになる。


でも、実はこれが持ち味と言えるのかもしれない。


繊細作家さん、寄っといで。

で、何はともあれ僕の作品はそろそろ完成すると思う。

今作のテーマは、「創作」と「メンタル」、「インターネット」。
大きく切り分けると、そんな感じ。


そして、ターゲットは「繊細作家さん」だ。

最近、繊細さんという言葉が流行っているらしい。
僕も繊細さんどうの、というタイトルの書籍を見かけたことはあるが、
ググってみたら意外にそんな作品は多い。

僕が思っていた以上だった。

ぶっちゃけ繊細さん〜の本は読んだことはないが、
HSPとかその辺のことが書いてあることは想像できる。

僕の新作はそんな、
繊細さん気質の作家さんと、作家になりたい繊細さんに向けたものである。



どんなことが書いてある?

まだ原稿は完成していないから変わるかもしれないが、
創作の「可能性」を伝える作品になる予定だ。


さらに具体的に書くと、
創作によって、メンタルがこんな風に楽になるかもよ?という話だ。


突き詰めれば、
創作はなぜ、楽しいのか。


という話。
そしてその楽しみは特に、繊細作家さんにお伝えすべき内容だと思ったから、
今回はあえてターゲットをしぼってみた。

もちろん繊細じゃない作家さんも読んでくれたら嬉しい。

いずれにせよ創作っておもしろいよ!という感じを貫いているから。
きっと共感してくれる部分はあるかと思う。


インターネットって何やねん。

今作のテーマ、「創作」「メンタル」はお伝えした。

もう一つ、「インターネット」というテーマがある。
これはなんぞや、という話だ。

これについては、もしかしたら削るかもしれない。

言ってみれば「創作とメンタル」から一歩外側の話になる。

僕の思いがこもりすぎていて、
ぶっちゃけ読者さんには関係のないことだったりする。

そうだな、いずれ。
このnoteで公開しようかな、とか思っている内容。
だから、ちょっと保留で。
なら書くなよ、という話だが、書きたかったのでここには書いた。

後悔はしている。



僕の創作スタイル「熟年夫婦ライティング」

さて。
多分誰も興味ないシリーズ第二弾。

僕の創作スタイルを無意味にお披露目して、
終わりにしたいと思う。



何を隠そう、僕は基本的にビビりだ。

だからなんていうか、作品を売るってことに対して恐怖を感じてる。
それでも創作は楽しいから作品を作るのはやめられない。

あれだ。

某国の若者がアホみたいな高さのビルの上を駆け回るのと同じ。
非日常なドキドキに飢えている、そんな側面がある。
もちろん、誰かの役に立ちたいという根源的欲求がメインだが。


そんな特性を活かして、
僕は作品作りに熱意を向ける。


僕は自分の創作スタイルにくだらない名前をつけた。
「熟年夫婦ライティング」だ。

肩の力は抜いて読んでいただきたい。


前作「己が足で富士を駆ける」もそうだったが、
およそ4万文字以上の作品を、少なくとも30回以上は読み返してから
完成となる。ぶっちゃけリアルに50回は読む。

一回読むのに15分として、
30回なら読むだけで450分。およそ8時間だ。
それに手直しを含むと、それこそ膨大な時間になる。

これくらい読み返すと、

誤字脱字はほとんどなくなる
違和感を感じる表現を減らせる
凡ミス(二重表現とか)が減る
自分の感覚に合った作品になる

もちろん自分の知識にないことは検出できないが、
読み慣れる」ことがポイントなんだ。

なんていうか、
「毎日一緒にいるからこそ細かいアラや癖、変化が見える」みたいな。
多分、熟年夫婦のそれに近い。

もしくは、何十回と読んだマンガで、
コマの端っこに意外なものが書かれているのを発見する感覚にも似ている。


なんていうんだろうな。
ちょっとだけ概念的な話で申し訳ないんだけど、
信頼関係ができるんだよね。

こうきたらこうだよね?みたいな。
お前そういうとこあるよな?みたいな。

そうして作品に信頼を感じると、
自分の感性が際立つ。余裕ができる。

これは人間関係も同じで、
他者を信頼すると楽になる。肩肘張らなくて良くなるのと同じだ。

だから、自分の感性が強く現れるようになる。


偉い人や初対面の人に自分の気持ちを伝えるのは簡単じゃないが、
何十年と連れ添った相手ならどうとでも伝えられるのと一緒。




何もかもがあやふやな世界で、
「信頼」ほど頼りになる感覚は、僕はないと思っている。


そしてそのイメージに一番近いのが、
仲睦まじい熟年夫婦の姿だった。


違和感は、信頼があるから気づける。
そういうことだ。
創作だって、おんなじなんだよ。
心の余白が大事。



まぁ、まだまだ修行中で偉そうなことは言えないんだけどさ。

もっともっと上手く書けるように、
地道に努力をするほかない。
そのためには、
人の作品を読むことも大事だけど、
自分の作品を読み返すことも大事だよ、と。


結局そんなことを書きたかった。
それだけだ。





読んでくれてありがとう。
今日はこの辺で。

よしなに。



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