見出し画像

人は語り部。

いらっしゃいませ。
今日は金曜日。

僕が僕の思いを吐き出す、
一週間に一度の大切な日。

今日もくだらないことを書いていこうと思う。
よかったら鼻くそでもほじりながら読んでいってほしい。


一週間の振り返り

さて。
僕の一週間を自分勝手に振り返っていこう。
新作「カオティック・クリエイト・セラピー」を出版して、
今週から動画の活動を頑張っている。

まぁ、そんな一週間だ。
動画、動画。
YouTubeやTikTokで動画について学びまくった。

僕の動画制作は、
これまでCanvaというサービスを使っていたが、
色々あってDavinci Resolveというソフトをメインに。

Canvaとの併用でより高いクオリティで
動画が作れるようになった。

ただ、作り方はまだわからない。
(学ぶことが多すぎてまだロクに扱えてない)

よって実験台動画モニター様を募集させていただいた次第だ。

この場を借りて御礼申し上げます。


……今年中にご対応ができたらいいな。


今週のテーマ

さて。
今週は、なんかこう。

僕が思う「創作」について語っていこうと思う。


ここまで動画のことを書いたので、
動画のことも書こうかなと思ったけど。

なんか気分はこっちなんだな。

創作。
人生は創作。
人も、生き物も、地球だって。

僕はすべて創作と表現したっていいと思っている。

そんな馬鹿げた話をふとね。
書きたくなった。

書き残したくなった。



創作の話

さっきね。
どっかで見た画像を不意に思い出したんだ。

それをネット検索で掘り出してみた。


その画像とは、
2人の人間と、りんごが描かれたものだ。


1人の人間は、りんごを見ながらこう言っている。

「赤い」
「くだもの」
「美味しそう」


もう一方の人間は、画面が吹き出しでいっぱいだ。

「椎名林檎」
「iphone」
「ウィリアムテル」
「万有引力」
「ピコ太郎」

りんごを見て、何を感じるか。
2人の人間を比較している。

連想力という側面から人の一面を切り取り、
揶揄したものだ。

調べ直したら、
どうやらちょっと炎上していた画像らしい。

まぁ。
あんまり書いちゃいけないよね。
そういうことは。


で。

まぁそんな画像があったことを思い出して、
僕が何を思ったか。


それは最終的に。

「創作ってこの世の全てじゃないか?」
ということだった。



クリエイターと創作

時を戻そう。

今は、一億総クリエイター時代だ。


何かを創作してネットにあげるという行為が割と身近になっている。

そんな時、クリエイターとしてどんなことが大事なのか。
どうしたら頭一つ出られるのか。

僕はふと、そんなことが気になった。


それが、件の画像につながる。

りんご一個からどれだけ連想できるか?
連想できる数が多いほど素晴らしいクリエイターだ。

とか、そんな小難しいことを書くつもりはない。
炎上したくないし。


まぁ、もちろん。
それはそれでクリエイターとしての実力ではあるのかもしれないけど。


僕の感性の中で、
爪が剥がれてもほっくり返したかったことは、
そこじゃなかった。


感じ取った情報群の中で、
僕らは新たなつながりを見つけ出し、
それを形にしていることは間違いない。


この感情だった。



情報と地球と歴史と

情報に溢れた時代。
今を生きる僕らは、
何にも影響されずに新たな創作を生み出すことは難しい。


創作者はいつだって、
誰かの創作とか。
どこかで見た風景とか。
映像とか。

そんなものを無意識にストックしていて。

それらを自分流につなぎ合わせて作品を作る。


そしてそれは、昔の作家も同じで。


なんらかの自然とか、
見たもの、感じたものを使っていたはずなんだよね。


言うなれば創作って、
気の遠くなるような過去から、
連綿と続いてきた「情報」の糸を少しだけ解いて、
自分なりに寄せ集めて編み込んだものなんじゃないかな。


と、僕は表現する。


そしてそれらに影響されて、
人は新たに創作する。


馬鹿げたような感動の人生も。
驚愕の人生譚も。
何もかも。
創作であってもなくても。

いろんな情報に触れた僕ら人類が、
それとなく選び、紡ぎ出したものと言えるのではないだろうか。




フィクションもノンフィクションも混ぜこぜになって。
人は生き、作り、描く。


子どもの頃に憧れたヒーロー。
子どもの頃に憧れた恋愛。
偏屈な主人公の話や、
穏やかな日々を綴るだけの物語。


世にあふれた創作に触れ、
人はまた新たに、
己の人生を描く。


それがいつしか、
「創作」という情報として描かれたりして、
また、新たなものが生まれていくんだ。


僕らが認識できる情報全てが「血」として
創作から歴史のすみずみまで、組み込まれていることだろう。



だから僕は、
「創作って、この世の全てじゃんか」
と安直に思ってしまった次第だ。


言語すら存在しなかった時代からだ。
「創作」が歴史の中で、ずっと人とともに在ったことには、
それなりの意味がある。


これまでも。そしてこれからもそうだ。



今を生きる人はみんな、
ある意味では「語り部」なのだと僕は思う。






作家を語るなんて、
まだまだ恥ずかしいレベルかもしれないけれど。

過ぎ去る秋の風を味わいながら、
そんな事を思ってしまった。



なんてね。



読んでくれてありがとう。
今日はここまで。

よしなに。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?