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結果が全てだ。

「結果が全てではない。そこに至るまでの過程に価値があるんだ」

自分なりに努力を積み重ね、臨んだレースで結果が出なかった。
そんな時、コーチにかけてもらった言葉だ。

「結果が全てや」

そして、帰宅した僕に父がかけた言葉だ。
ああ、なんと血も涙もない。
落ち込んでいる我が子にかける言葉がこれか。

あなたはどう思いますか?

過程が大切なのでしょうか。
それとも、結果が全てなのでしょうか。

実はコーチの言葉には続きがある。
「結果が全てではない。そこに至るまでの過程に価値があるんだ。ただし、真剣に結果を出そうとしてたなら」

実は父の言葉にも続きがある。
「結果が全てや。結果が全てやと思って努力することに意味があるねん。はじめから“結果はどうあれ頑張ろう“とか思ってやってることに意味なんかないやろ」

どこかで言い訳をしていた。
一生懸命やったんやからいいやんって。
でも、そうじゃない。
「一生懸命やったんだからよかった」って言えるのは、結果を真剣に求めた人だけだ。

コーチの言葉は慰めではなかった。
父の言葉は血も涙もない言葉ではなかった。

「今ここに向き合ってきたか?」ということを問われていたのだ。

日々の選択の積み重ねが今だ。
そして、今の積み重ねが未来だ。
自分の未来を作るのは、今この瞬間なのだ。
一生懸命頑張ったんやからいいやんって思ってやってる時点で、今ここに集中できていない。

父の仕事は消防士。
一つの失敗で、命が失われるかもしれない。
自分だけでなく、他の人の命まで危険にさらしてしまうことがある。

だから、結果が全て。

どれだけ努力しようが、どれだけ手を尽くそうが、結果がダメならダメなのだ。
だが、結果が良かったからといって、過程が正当化されるわけではない。
より良い結果を求めるためには、過程を磨かねばならない。

僕の仕事は小学校の先生だ。
一つの失敗が命取りになることはない。
むしろ、失敗を重ねながら、より良い自分に向かって成長を促していくことを大切にしている。

だから、過程が大切。

どれだけ良い結果が生まれようが、過程がダメならダメなのだ。
だが、結果が良くなかったのなら、過程を徹底的に分析しなければならない。
自分なりに一生懸命やった、で終わっていては、同じ結果になってしまう。

過程にも意味があるなんて考えながら努力した過程に意味なんてない。
結果が全てだと信じて努力した過程が全てだ。

「カテナチオ」より

どちらの仕事も、いや、世の中のどんな仕事も同じかもしれない。
より良い結果を出すという一点に集中して重ねた過程。それが全てなのだ。

結果から目を逸らすな。

同時に、その過程から目を逸らすな。

自覚しろ。磨け。

そんなことを思い出した年末。

このnoteが、あなたの何かのきっかけになれば嬉しいです。
それでは。
Good Luck!!

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