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「やって」は、彼の最大限の努力の結果[4歳男児育て]

子供の「やって」は、やっぱり寂しさの裏返しだから、やってあげていい、むしろ「やって」って言えたことを「伝えてくれてありがとう」って受け取るくらいでいいんだな、と実感した話。


我が家の4歳男児、今朝は1から10まで「かかやって」のオンパレードで、流石に疲れた…。
で、もう、白目むきながら保育園に到着して先生に引き渡したとき、先生が「お休みにママといっぱい遊んで楽しかったよね。寂しいんだよね」と言っていて、ハッとした。

そう言えば、昨日の夜も「今日の次の日はお休み?保育園行きたくないの…」と、いやにはっきり言っていたな、という印象があった。

一方で、今朝のあまりに多い「やって」の嵐に、「"子供がやって!という時はやってあげていい"っていうのを見るけど、このままずっとやってたら、"親がやるのが当たり前"にならないかな…」と心配にもなったりしていた。

だけど、「保育園に行くのが寂しい」彼の立場からしたら「(本当は、保育園を休んでかかとお出かけしたりしたい。だけど、保育園行けって言うから仕方がない。とりあえず保育園には行こう。でも、準備はせめて…)かかやって」ってことだったのかな、と思う。

そう言えば、保育園でのお別れの時、いつもは半分笑いながら私の服やカバンを引っ張ったりするけど、今日はいつになく真剣な表情だったな…

だから、彼の「やって」は、ただやりたくないだけの怠けてる「やって」ではやくて、いろいろ気持ちを整理した努力した結果の「やって」なんだ、と思えばいいのかな…。

その証拠に、「お布団たたもう」って言ったら「いいよ!◯◯がかかのお布団たたむから、かかが◯◯のやって」と、とても楽しそうにやってくれた。
直接的な保育園にいく準備(着替える、靴下をはくなど)じゃないことは、楽しくできるんだなぁ。

頼られているうちが花と思って、次からは、気持ちよくやってあげよう。


もうあと数年したら、かまわないで、になるんだしね。

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