追悼:毎週金曜に来てくれるお掃除のおばあちゃん
人はいつも急に死んでしまう。今回もそうだった。
今朝、家事代行の会社から電話があった。そこは毎週金曜日にお掃除を頼んでいる先だった。「今週だけ木曜日に変更してほしい」というお願いをしていたから、その件についてだろうなと思って、軽い気持ちで通話ボダンを押した。それはいつも来てくれる、お掃除のAさんが亡くなったという連絡だった。
誰かの死に直面したのは、これが始めてではない。祖父母と祖父2人と、おじの死を経験したことがあった。でも冷たい言い方に聞こえてしまうかもしれないけれど、彼らはだいぶ前から私の人生から退場していた。私は東京にいて、育児と仕事と家事ががっつり入り込んでいて、そこにはどこにも彼らの入る隙間がなかった。
母方の祖父にはよくしてもらってきたが、彼がこの世を去るだいぶ前から、私は彼の死を感じていた。祖父のことは好きだったから、私は帰省するたびに、よく彼のいる老人ホームに顔を出していた。でもある日、子ども2人を連れて訪れた時、明らかに様子がおかしかった。
いくら話しかけても明後日の方向を見ていたし、向き合っているのが私なのか、私の母なのか、姪なのか、よく分からないという感じがした。私は気付いた。もう彼は既に死んでいて、魂は地球にないのだと。
老人ホームから実家に戻る車の中で、私は涙が止まらなかった。後部座席にいる子どもたちは、そんな私をじっと見ていた。幼い頃からよく面倒見てもらった息子はぽつりと「ひいおじいちゃん、違う人みたいだったね」と、娘は「なんだか死んじゃってるみたいだったね」と言った。
私は驚いた。大人が「心は薄々気付いてはいるけれど、頭では認めたくない」ということを、子どもは素直に受け止めているのだ。きっと彼らにも分かていたのだと思う。祖父の魂が、もう天国にあるのだと。だから数か月後に祖父は死んだと聞かされた時、私はそんなに驚かなかった。「やっと魂のある場所に帰れたね、よかったね」としか思わなかった。
でもAさんは違う。ほんの4日前まで、私の家を掃除してくれていた。彼女は80歳を過ぎたおばあちゃんで、おしゃべり好きで、よく自分の人生を話してくれた。北海道から美容師になるために東京に出てきたこと、美容師じゃ年金がもらえないと知って、スーパーの精肉売り場(ハサミが使えるから、肉を切る機械の資格が簡単に取れたらしい)に転職したこと。4人のきょうだいと仲が良くて、しょっちゅう電話でおしゃべりしていること。
彼女は自由奔放な性格で、お掃除中にも電話をしたり、「今日は娘とご飯があるから、ちょっと早めに掃除切り上げて帰っても良い?」と聞いてくるようなおばあちゃんだった。でもそんな性格だからこそ、私も彼女が家にいても何も気にしなかったし、指示を出さずとも分かって掃除をしてくれるから、すごく楽だった。
彼女には優しい一面もあって、子ども好きで、特に長男の病気のことを気にしてくれていた。「テレビで観たけどね、ヤクルトが良いって!」とヤクルトを買ってきてくれたり、「このパンが美味しかったから!」とパンを買ってきてくれたりもした。彼女は私の日常の一部に、がっつり組み込まれていたのだ。そういう人間を失ってしまうことは、人生で初めてだった。
家事代行の担当者の話によると、Aさんは病気でも事故でもなく、夜の間に眠るようになくなったらしい。私は葬式に行きたいということを伝えた。でも彼の口調から、多分それはできないだろうなということが分かった。「せめて住所だけ教えてください、ご家族に何か送りたいので」ということを伝えて、電話を切った。
人は本当に、あっけなく死んでしまう。さよならを言う時間なんて、誰もくれなかった。私はしばらく何も手につかず、お線香を焚いて、ぼーっと眺めていた。家の中はぐちゃぐちゃで、やらなくてはならない仕事は山のようにたまっていたが、何もする気が起きなかった。
ふと、朝永先生のエッセイを思い出した。彼が留学先のドイツにいた時の話だ。ある日の授業始めに、先生が「我々のクラスメイトの〇〇が、どうやら死んでしまったらしい。とても残念だ」と言って、そのまま黒板に数式を書き始め、何事もないように授業を開始したらしい。周りにいる生徒も、そのまま淡々と授業を受けていたという。朝永先生は〇〇と面識があったこともあり、授業どころではなかったそうだ。だから、ヨーロッパ人は自分のような日本人とは感覚がずれていると書いていた。
このような「欧米人は感受性が外についている」という話はよく耳にする。私はどちらかというと、そのタイプに近いのかなと思った。あまり人の悲しい話や嬉しい話に共感できないからだ。でも、そんなことはなかった。私は朝永先生と同じ日本人で、午前中はほぼ何もすることができなかった。
それでもお昼には約束があったから、近所のイタリアンに足を運んだ。仲良しのママ友と話していると、ありがたいことに、だいぶ気が晴れた。おそらく彼女との約束がなかったら、いつまでも家で線香の煙を見つめ続けていただろう。
彼女と別れて家に戻り、「今まで自分のことを不幸だと思っていたけど、実は幸せなのでは?」と思った。なんでもないイタリアンで、たまたま近所に来たついでに連絡をくれた友達と、お昼を食べる。それはAさんがやりたくてもできなかった未来だったかもしれない。同時に、いつ消えてしまうかも分からない日常なのだ。
Aさんは4日前に家に来てくれた時に「この後、娘とご飯を食べるんだよ」と話してくれた。次のお掃除に間に合わないから、娘さんの家でささっとおにぎりを食べるだけらしいが、それをとても楽しみにしていると言っていた。彼女の姿を最後に見たのが、その姿で本当に良かったと思った。
人はいつ死ぬかわからないとよく言うけれど、それは嘘だとずっと思っていた。さよならを言う時間くらいあるだろうと信じていた。でも本当だった。家事代行の担当者は「代わりに行ける者を探します」と言ってくれたけれど、無理だと思う。毎週、全く分かり合えない夫の愚痴を聞いてくれて、ちっとも思い通りにならない子育ての相談に乗ってくれて、ものすごい大変な人生を送ってきたけど泣き言を絶対に言わないおばあちゃんなんて、そんな簡単に見つかるわけがない。
Aさん、お疲れ様でした。天国でゆっくり休んで下さい。私もいつかそちらに行くので、また会える日を楽しみにしています。
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