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ハンデと親友になる生き方とは②

前回でお話したとおり、私は「出血が止まりにくい慢性疾患」と足首の「関節障害」を持っています。見た目ではわからないし、家の中にいるかぎりは日常生活を普通に送れますが、やはり「活動」という面では制限アリ。

「やりたくてもできない」という日常が続くと、だんだん前向きな気持ちも失われていきますし、自己肯定感も失われがちです。きっと、いろんなハンデを持っている方は、理解していただけるんじゃないかなと思います。そんな中でどうやって誰かを幸せにできる生き方ができるのか?

それは=ハンデと親友になる生き方なんじゃないかなと思うのです。

誰かを幸せにする必要、ある?

まず大前提として、なぜ誰かを幸せにする必要があるのか?ということについて。

冒頭でも述べた通り、「やりたくてもできない」ことが多いハンデ持ちにとって、自己肯定感をキープするのはたいへんなことです。他人に何かを言われることに加えて、自分自身でも「どうせ自分なんか」と考えてしまうことは日常茶飯事。

頭では仕方ないこととわかってはいても、「どうして自分だけ?」と考えずにはいられなくなりますよね。そうやってひとりで考えていると、だんだん周りが敵に思えてくることもあります。

行き場のない気持ちから、なんとか自尊心を守るため、やむを得ず取る心理的行動とも言えるでしょう。

とはいえ、もちろんその状態では健全な精神をキープすることは難しく、自分の不幸を誰かのせいにして、自己嫌悪をし、さらに自尊心を傷つけ、また誰かのせいにしたくなるという、悪循環に陥ってしまいます。

だからこそ、誰かを幸せにする生き方は、このループから抜け出し、陥らないために必要なことなのです。

小さいことはいいことだ

誰かを幸せにするとはいっても、大それたことはする必要がありません。そもそも、人並みにできないことが多いですからね。

きっとみなさんも、なにげなく言われた一言が、大きな支えになった経験があると思います。言った本人は、覚えてすらいないかもしれませんが、間違いなくその言動は、自分を幸せにしてくれたはずです。

誰かを幸せにするとは、ちょっとした一言、笑顔で挨拶すること、小さなことでも感謝すること、小さな褒め言葉を伝えることなど。そんなことでOKです。

実はこの「小さい」というのがとても大切なこと。

「小さい」「少し」「わずか」。こうした小さなことに価値あると認めるのは、意外と難しいことです。ハンデを背負って生きてきて、もどかしい思いをたくさんしてきたのなら、なおさらです。

「自分のせいでできなかった」「相手に負担をかけてしまった」など、そういった負債のような感情が溜まりに溜まっているので、小さな気遣いなどではとても返済しきれず、全く価値がない、無駄なように思えたりしませんか?

でも、自分が感じている心の負債と、言動による相手への贈り物は、同じ天秤の上にはありません。自分が相手に「してあげたこと」は、まっさらなもので、相手にとってプラスにしかならないのです。

諦めることが大切な理由

私にとって「諦めが肝心」は座右の銘のようなものです。といっても、これは消極的な意味でなく、「無理をしないとできないことはやらない」ということです。これは同時に、現状を認めるということでもあります。

現状を認めると、今の自分にできることと、できないことがハッキリするはずです。そうすれば、今の自分にできることから、「自分のためにすること」「誰かのためにできること」を見極めることもできるようになります。

そうして仕訳けた「誰かのためにできること」を実行に移し、健全な自己肯定感をゲットしましょう!

結局自分のためなの?とクレームが付きそうですが、それでOK。なぜなら、先ほども述べた通り、誰かのための言動は、相手にとってプラス要素でしかないからです。

帰ってきた自己肯定感でゲットしたエネルギーから、また「自分のためにすること」と「誰かのためにできること」に仕訳ければ、株の配当金のように自分にとっても相手にとっても利が生まれていきます。

そう考えると、諦めることすら幸せへの投資と言えるかもしれません。

ハンデとの親友になれたなら

ここまでくると、だんだん自分を受け入れられるようになってきます。自分にできることと、できないことだけでなく、やろうとしたけどできなかったことや、やろうと思わなくていいことも見えてきます。

そのうち、「やろうとした」だけで自分にOKを出せるようになるかもしれません。

そうして心に余裕が出てくると、今度は視野が広がります。元気に見える人でも、やりたくてもできずにもどかしく感じていることに気付くかもしれませんし、スマートにこなしているように見えても、大変な苦労を重ねていることが分かるかもしれません。

それはきっと、自分がハンデを持っているからこそわかることなのかもしれません。であるならば、相手にとって、唯一無二の理解者になれる可能性だってあるわけです。

相変わらず、もどかしい気持ちや苦しい気持ちは残ったままかもしれません。それでも、「ハンデがあったからこそなれた自分」が心の中にいるはずです。

自分を好きになるのは難しいかもしれませんが、ハンデを持っている自分と親友になることなら、できるかもしれません。

後ろ向きだってかまわない

皆と同じような生活がしたい。

他人に迷惑をかけたくない。

誰かと比べて落ち込む自分が嫌。

無駄な時間ばかり流れている。

ぶっちゃけ自分の好きなところなんてひとつも無い。

そんな後ろ向きで負の感情がグルグルするときありますよね。ハンデがあろうとなかろうとそうだと思います。

私から伝えたいことは、「それでも別にええやん」ということ。関西弁の感じで「別にええやん」です。

「前向きにならなきゃ」「そんなことばっかり考えてちゃダメ!」「いろいろあるけどみんながんばってるんだから」とかなんとか。そんなのは「うっせぇわ!」です。

後ろ向きでもいいんです。自分がそう感じたなら、それでいいと思います。

ただ覚えておいて欲しいのは、自分が感じている心の負債と、相手になにかしてあげることは、同じ天秤には乗っていないこと。あなたが誰かのためにしてあげたいと思うこと、してあげたことは、自分が感じている心の負債が干渉することはなく、ましてや相殺されてしまうことなどないんです。

自分がもらう「ありがとう」は、混ぜ物のない純粋なもの。

できないことを諦めた後、気が向いたときに誰かの幸せをちょっとだけ作ってみるのはいかがでしょうか。そうやって、ハンデを感じている自分との友情を積み上げていけば、明日のゴハンが少し美味しくなるかもしれません。

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