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自分は壊れていなかったのだと気がつくこと。もう生き延びたのだと気がつくこと(複雑性PTSD)

幼い頃から、自分はどこかおかしい、と感じていました。感じていました、と書きましたが、複雑性PTSDの治療を始めるまでは、知っていました、と書いた方が私の感覚としてはより正確な感じがします。

心の奥底で、私は自分がおかしいと『知っていた』。だから私は、必死で『自分はおかしくない!普通に生きられる!いろんなことを頑張れば愛される!』と24時間自分に言い聞かせてなんとか生きていたようです。そうしないと、幼い私は生きていけないと体が認識していたからです。

この生きていけない、という反応ですが、どうして死を恐れるような状況ではないのに防衛反応がこんなに反応しているのか不思議に思う方もいると思います。と言いますか、私自身不思議というか、そんなにトラウマになるような出来事もなかったのに複雑性PTSDなんてそんなわけはないだろうと思っていました。

これはピート・ウォーカーが言っているように、複雑性PTSDが愛着障害と密接な関係にあることにもつながっています。

人間は他の動物と違い、とても未成熟な状態で生まれてくるので、子供のうちは庇護者と適切な愛着が築けないと、そのまま死の危険を感じるようになっているんですね。

この適切な愛着ですが、言ってしまうと条件のない愛情(Unconditional Love)というものになります。つまり、失敗しても、嫌なことを言っても、泣き喚いても自分は変わらずに愛されている、という安心ですね。

この安心が無いと、『失敗したら愛されない!絶対に失敗しないようにしないと!』、『文句を言ったら愛されない!いつも感謝の気持ちを持っていないと!』、『成績が悪かったら愛されない!頭がいい人にならないと!』と言う強迫観念に悩まされることになり、これが『自分はありのままでは愛されないのだ』と言う有害な恥に繋がっていきます。

つまり、そのままの自分は愛されない=そのままの自分でいたら庇護者に見捨てられ死んでしまうかもしれない、と言う恐怖です。

複雑性PTSDの人は、大体みんな承認に弱いです。承認されるとものすごく気持ちを揺さぶられますし、反対に少しでも拒絶されたと感じると内心パニックに陥ったり、防衛反応が高速で出てきて体を乗っ取ったりします。(回避型の人は、麻痺していてこれに気がついていないことも多いのですが、水面下では同じ反応が起こっています)

これは、体が今も幼少期に必要だった防衛反応をそのまま使っているからです。幼い頃は、私たちの体にとっては褒められないと死ぬかも、拒絶されたら死ぬかも、と言った状態だったので、防衛反応がいちいち過剰反応するのも当たり前だったのです。

けれど実際は、大人は少しくらい拒絶されても全然大丈夫ですし、庇護者を必要ともしていません。なので、複雑性PTSDの治療で最初に必要になるものの一つが『私たちはもう庇護者との愛着を必要としていた幼少期を生き延びたのだ』と言う理解になります。もうありのままで生きても死なないし、ありのままを愛してくれる人もどこかにはいるし、その人と一緒にいても危険ではないのだ、と言うことです。

しかしトラウマ持ちはよくトラウマの再演をしてしまい、今もDVパートナーと関係を持っていたり、危険を感じる状態に身を置いていることも多い。その場合も、もうDVパートナーとの関係(愛着)に縋らなくても自分は大丈夫なんだ、と理解すること、そして身の危険を感じる状態から比較的安全な状態に移ることが必要条件になります。危険な場所にいたら、その場所で生き延びるために発達した防衛反応が必要になってしまうのは当たり前です。まずは安全な場所の確保です。そしてそこから、体を安心させる治療ができるようになります。実家で暮らしている方も、家族が防衛反応をトリガーするようなら、可能な限り家族と距離を置いた方が良いでしょう。

この理解がないままで防衛反応を宥めようとしても、防衛反応も自分が頑張らないと私たちが死んでしまうと思い込んで真面目に仕事をしているだけですので、『何をする!殺す気か!』とますます命の危険を感じてしまいます。

私も治療を始めた初期に、体をリラックスさせようと奮闘していた際に、とても強い恐怖を突然感じ、自分は『リラックスしたら何か悪いことが起こる』と信じていたことに気がつきました。幼い頃に、リラックスしている時に突然身の危険を感じることが多々あり、『いつでも気を張っていないといつ爆弾が落ちてくるかわからない』と学んだのでしょう。

この『リラックスしたら何か悪いことが起こる』と考えている防衛反応のパーツと対話し、『実はもう大人になったからもう同じ環境にはいないし、何かあったとしてももう大人だから命の危険につながることはないよ!大丈夫だよ!』と伝えることをしないと、いくら他のエクササイズをしても一時的に改善はしても根本的な解決にはつながらず、『こんなに頑張ってるのに何故…』と苦しい思いをしてしまうことになります。私自身、複雑性PTSDを知る前に割と様々なことを試していましたが、大抵一次的な症状の緩和に留まるか、反対に自分を追い詰めてしまったものも沢山ありました。

この複雑性PTSDの治療の順番については、また別の記事で書いていこうと思っています。

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