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複雑性PTSDに気がついたきっかけ 複雑性PTSD治療日記1

私は基本的に、たまたま複雑性PTSDの本を読んでから「恥のフラッシュバック」「ADHDのような症状」の二つを元に複雑性PTSDを疑っていました。しかし確信はありません。今までも何度も様々な診断を読んではこれは自分では?と思うことがありましたが、いつも確信は持てなかったからです。

きっかけは私が始めて参加した複雑性PTSDの自助グループでした。私はそれ以前にADHDと診断されており、その前には不安障害の自助グループにも一度行っていました。なので自助グループ自体は初めてではなかったし、不安障害の自助グループの時には特に何も変化はありませんでした。ですがこの複雑性PTSDに参加した際、私は初めてだったのもありただ少し恥のフラッシュバックについて話をしただけだったのですが…その後とにかくものすごい疲労を感じまして、その日も次の日も疲れすぎてて何も出来ないくらいでした。とにかく疲れていて動けない。なのになんだか体に血が巡っている感覚がある。

たぶん私はその時生まれて初めて『自分が属している集団を見つけた』という感覚を持ったんですね。今までどこにも属せず、どこか無理をしながら生きてきた私が、生まれて初めて「あれ…?ここはもしかして…みんな私のことをわかってくれるんじゃないか?」と感じる事ができて、何かがぷつんと切れたように、一日中泣きつづけたり放心したり。

怖いのともっと色々知りたい、と思う気持ちが半々で、かつ頭がキャパ越えを起こしていて30分の動画を見るのに1日半かかったり…この時は自分の生きづらさの解決策を見つけたのではないかという期待と、ずっとこのままだったらどうしよう?という不安が半々でした。

ただこんなに劇的な変化があったことが本当に生まれて初めてのことだったので、物凄くど真ん中ストライクな感覚がありました。本当に参加するまでは、やっぱり違うんじゃないかという思いもあったのですが、ここまで来るとむしろ否定する方が難しいと思いました。そのくらいの劇的な身体的変化だったんですね。

とはいえ、繰り返し何度も自分は本当はトラウマなんかないのではないか、と思ってしまうのも複雑性PTSDの症状の一つであり、結局それなりに受け入れられるようになるまでに5ヶ月ほどかかりました。複雑性PTSDの専門家に診断されてもそのくらいかかったんですね…。

ただ複雑性PTSDであると気がついたおかげで、私は生まれて初めて「誰かにわかってもらえる」という経験ができたと思っています。

これが複雑性PTSDの悲しいところであると思うのですが、複雑性PTSDを持つ人はその多くが世界を危険な場所だと認識しています。これは頭ではそうでないと認識していても、体が危険な状態を記憶しているためです。本人は自分がそんなことを思っているとは気がつかないので(なにしろ頭では安全だと思っているので)、この緊張感や恐怖は当然他の人間も持っているのでは無いか?と思って話をしても全くわかってもらえず「気にしすぎだよ」「そこまで言わなくても…」「親・その人はあなたのことを思ってくれているんじゃない?」などと善意から宥められてしまう始末。こんなことを気にするなんて自分は恥ずかしい存在なんだ…と日々恥の意識を深めていくわけです。同時に世界は自分を理解しないと学んでいくわけですね。

私はかなり早い時点で「人にわかってもらう」ということを完璧に諦め、誰かと関わらなければならないときはひたすら相手に好まれるであろうと私が考えた人間を演じることにした回避型愛着スタイルのモデルハウスみたいな人間なのですが、そんな私が『もしかして言ってもいいの?私が考えてることを言っても怒られない??』と初めて感じたのは本当に大きかったと思います。とは言っても実際に行動や認識を変えていくのには時間がかかるので、スタートポイントに立った瞬間でしか無いのですが、私にとっては本当に大きな一歩でした。

ここから私は実は今までずっと感情が麻痺している状態だったのだと気がついていくことになります。(この自分の感情と向き合うプロセスは本当に本当につらかった。。。今もつらいと言えばつらいのですが、最初の一ヶ月は正直体がもたねえ〜と思いましたね…)具体的には、夜中に胸に走る激痛で目が覚め、あまりの痛みに声をあげて泣き続けたりしました…。この時は布団の中で数時間フォーカシングをしてなんとかやり過ごしたので、フォーカシングやってて本当に良かった!!!!と心底思いました。(フォーカシングについては下のポストでも紹介しています。)やってなかったらそれこそ何日も一晩中眠れなかったり、もっと長いこと感情のプロセスができず苦しんでいたと思われます。

複雑性PTSDの治療法は色々とあり、効果的なものも多いのですが、私個人の経験では一番劇的かつ持続的な効果があったのが自助グループだと思っています。その後また多種多様な治療法を試したのはこちらに書いています。

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