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複雑性PTSD治療3ヶ月目 受けられるはずだった愛情、生きれるはずだった人生へのグリーフ

3ヶ月目の進捗です。

これを書くために当時の日記をチェックしていたのですが、この辺りから毎日きちんとスケジュールを書き留めておこうとしていた努力が見られ、私も頑張ってたんだな…と思いました。実際毎日書けていたわけではないのですが、普通の生活に戻ろうと努力していたのが皆見えますね。

はじめから読みたい方はこちらからどうぞ



Patrick Teahanのマンスリープログラム


YouTubeで複雑性PTSDについて発信している有名な方にPatrick Teahanさんという方がいるのですが、個人的にこの方の動画には非常に助けられました。このかた、複雑性PTSDを持っている人のためのマンスリープログラムというのをやっていまして、1ヶ月参加してみました。内容はとても良かったのですが、1ヶ月で有料のワーク全部終わってしまったので、それなら費用は本に回したいかな…ということで1ヶ月で解約に。(1ヶ月一万円くらいだったかと思います。こちらだと一回のカウンセリングより安い。)

このかたはインナーチャイルドとの対話を紙に書き出すという方法をおすすめしていて、インナーチャイルドの言葉は利き手と反対の手で書き出すのですが、私は書いていても「うーん…どうだろう…」とか「そうなのかな…?」とあまりしっくりこないことも多かったです。しかしこういった方法は、ハマる人にはハマるものですので、試してみるのは良いと思います。あと私はやっていた期間が1ヶ月と短すぎたという可能性も大です。

Patrick Teahanさんは主に自分の性格だと思っていたものが単なるトラウマ反応だったと気づかせてくれた存在です。そのうちの一つに『DOER』(生産的な人)というのがあるのですが、立ち止まることができず常に何かをしている人で、複雑性PTSDの人は結構な確率で「うん…」となります。疲れ切るまで止まれないんですね…。

内的家族システム療法(IFS)


『悪い私』はいない」という内的家族システム療法の神様みたいな本があるのですが、それを読みながらこの本に記載されているさまざまなエクササイズを試してみました。この本はとても良くて、試した治療法の記事でもおすすめしています。内的家族システム療法はたくさんの本が出ているのですが、個人的に沢山の本を読むよりも良い本を何度も読んだ方が良いという意見なので、気になるという方はぜひ。章の終わりで紹介されているエクササイズは、次の章に行く前に何度か試してみるのがおすすめ。読もうと思えば一日で読み終われる長さですが、できれば1、2ヶ月かけてゆっくり読みましょう。

エクササイズをすることで、自分の中の多彩なパーツを認識できるようになり、一人ぼっちで絶望したような気持ちになった時も、世界が恐ろしい場所に思えて怖くて震えてしまう時も、『あっ今はこのパーツが表に出てきているのか…』と一歩下がって見れるようになりました。

あと私の場合ですが、4つの防衛反応が肥大していて、それぞれが違う人格を持っているかのようにいろんな価値観や人生プラン?のようなものを持っていると気がつけて興味深く、かつ一時的にその部分が出てきているだけなんだと気づけるとそれぞれの言動に振り回されずらくなってきた気がします。

それまでは、たとえば逃走パーツが表に出てきた時はとにかく社会的に認められることをしないとと強迫的に生産性を追い求めたり、反対に別の国に引っ越して一からやり直そうという欲求が強く本気で考え始めたりしますし、現実逃避がメインのフリーズのパーツが出てきた時は人生の何もかもがどうでも良くなってチョコを食べながらひたすらに本を読んだりゲームをして、もうお風呂も入りたくないし誰とも会いたくない、今ある貯蓄でネット廃人として生きられるのは何年だろうか…と真面目に考えたりします。

以前ならなぜ私はこう意見が変わるのだろう?と恥を感じたり、自分はおかしい人間なんだ…と感じたりしていたのですが、今はそれぞれのパーツはありすぎるくらいに一貫性があることに気づきました。

なのでこれらのパーツが表に出てきていても、今こう感じているのはこのパーツが刺激されて出てきているからであり、しばらく待てばやがてまたこのパーツは後ろに下がりこんなふうに強く感じることは無くなるんだ、と思えるようになりました。

ちなみに私の場合は、逃走パーツはお金や社会的地位についての不安が刺激されると出てくることが多く、現実逃避の場合はもっと深い、根本的な部分が傷つく可能性があると出てくることが多いです。なので現実逃避したい欲求に逆らえない時は、自分に対する憎悪や有害な恥がより強く刺激されているんだな…と考えられるようになりました。

別々のパーツが認識できるようになると、自分の体の状態にも気づきやすくなり、以前だったら反射的に行動していた時でもちょっと立ち止まって考えることができることが増えました。

グリーフ


グリーフは、複雑性PTSD治療をしていると絶対に避けられないフェーズなのではないかと思います。

私の場合は、ずっと幼い頃に作り上げた『私の家族は良い家族で、私の生きづらさは全部自分のせいであり、それは自分が変わることで治すことができるし、家族の問題も全て私が素晴らしい人間になればなんとかすることができる』というヒーリングファンタジーを信じて生きてきました。

しかし複雑性PTSDの治療は、その多くが多種多様な治療法を通して『あなたが苦しいのはあなたのせいではなかった。あなたはただ生き延びようとして、人間として正常な防衛反応を身につけただけだ』ということを受け入れ、自分に対して『あなたは悪くないよ。よく頑張ったね。もう休んでいいんだよ。もうリラックスしていいし、やりたいことをやっても大丈夫だよ』と言ってあげる作業になります。そうなると、どうしてもそれまで持っていた『良い家族、良い幼少期』として頭の中に作り上げた記憶を、『本当はつらかった。話を聞いてもらいたかった時に聞いてもらえなかった』と言ったものに書き換えることになります。そうなると、『理想の幼少期は自分には無かったし、これからも永遠に得ることはない、という気づきと同時に喪失感をもたらします。

また、今までは『両親は愛情深い人間であり、自分がちゃんとすればいつか愛される』または『両親は愛情深い人間であり、私を愛してくれていた。私が両親との関わりの中で傷ついたことは全て、私の責任であり、両親の愛情不足では無かった』と信じることで生き延びてきたのに、それを否定して、『私の両親は私が必要としていた形で私に愛情を与えることができない人間だった』と認めると、今まで信じてきた母親像を失うことになり、それこそ大切な人を失ったような喪失感を感じることもあります。

最後に、今まで『こういうものだ』と受け入れようとしていた幼少期を手放し、『本来なら子供は皆こういった愛情が与えられるべきだった』『本来なら親に見守られ、安心できる環境で育つ権利があった』『本来ならちゃんと話を聞いてもらえ、感情を受け止めてもらえるべきだった』ということを受け入れることは、本来受けられるはずだった愛情、本来過ごせるはずだった子供らしい喜びに溢れた幼少期、本来生きられるはずだった、不安に苛まれ苦しんでばかりでない暖かい人生や人とのつながりへのグリーフにつながります。

(この時点ではまだわからなかったのですが、これを乗り越えることで子供の時の自分が信じていた、必要としていた両親の姿ではないけれど、『今ここにいる人間』である家族に対して思いやりを持てるようになったり、健康的に距離を置けるようになったりするので、ぜんぜん悪いことではないです)

この時期は、自助グループで出会った友人もたまたま同じフェーズにいて、中々『自分で自分を愛する』ことを始めることに抵抗感があるのは、それを始めてしまったらそれこそ本格的に幼少期の自分が必要としていたような形で『親から愛される』ことはもうないのだと認めてしまうことでもあるから、と言ったような話をしました。

たとえば自分の弱さを見せることで親からの愛を待つ傾向がある人は、治療を進め自分の力で立ち上がってしまうと『もういくら泣きながら待っていても親から愛されることはないのだ』と認めてしまうことになる…と言った感じですね。

家族


私は元々頻繁に家族と話すことはなかったのですが、複雑性PTSDの治療を始めてからはメンタルが不安定で家族に連絡が取れずにいました。ですがそれはそれでつらくなり、この辺りで電話をしたのですが、感情のジェットコースター状態でした。それまで気にも留めなかった親の言葉に深く傷ついたり、不安になったりして、これは幼少期の私も感情麻痺させて適応しようとするわ…と改めて思いました。

働きたくない


非常に恥ずかしい話なのですが、私はそれまでとてもガツガツとして世界で生きてきたので、複雑性PTSDの治療ももはやタイムアタックのような感覚で臨んでいました。頑張れば3ヶ月で元気になれる!みたいな…(本当にすみません。)

なのでこの時期は少し動けるようになってきたのもあり、パートナーやパートナーの家族の目も気になるし、何より仕事をしていないことにとても不安を感じ…。仕事を始めればまあ元気になるだろうと言った感覚で一瞬だけまたエンジニアとして求職活動をして何社かとお話したのですが、これがもうメンタルにきて、夜も眠れないし頭のぐるぐるが止まらず…結局こんな状態では仕事を始めても一瞬でバーンアウトするのでは、ということでまた休止状態になりました。

今思うと、おそらく私は以前と全く同じ考え方(稼げるうちにガツガツ稼ぐ、多少の無理は必要悪、能力主義)の世界に戻ろうとしていたので、私の体が全力でNOを突きつけていたのだと思うのですが、当時はこれが正しいことなのかわからず(逃げてるだけでは?向き合うべきでは?など)、というか正しいってなに?みたいな感じになっていて、これからどうしよう…と困惑していた記憶があります。

あとこれはどこの業界でもそうかもしれませんが、近年Tech界隈はとてもレイオフ(大規模リストラ)が多く、界隈の知人から頻繁に『レイオフされた〜』という話を聞いていて、治療中メンタルの身にはちょっとつらかったのもあったと思います。平穏に生きたい。。。(以前は進んでストレスフルな環境を求めていたので、こう思えるようになったのも治療の効果なんですかね…)


今まで試した治療法のまとめ

 


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