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"言葉"とは何か

「"言葉"ってなんだと思う?」

上司の口から発せられたその質問の意味を

その"言葉"の意味を

僕は暫く理解できなかった。

なぜなら

その問いについて深く考えたことがなかったから。

その問いに対する答えを今の僕は持ち合わせていなかったからだ。

「"言葉"は言葉です。それ以上でも以下でもないと思います」

生意気にも、そう僕は答えた。

上司は悪代官様のような、悪魔のような含みのある笑みを浮かべながら

「ほう……じゃあ、お前にとっての"言葉"は、ただの文字情報なんだな?」

と更に問う。

頭の中が、

バックから引っ張り出した2980円のイヤホンコードみたいに、ねじれだす。

それから、上司は言葉の可能性や魅力について話してくれた。

「"言葉"は魂だよ」

「"言葉"は心の叫びだよ」

なるほど、、、

何を言わんとしているかは理屈としては理解出来た。

僕だって

リアルワールドでは

"言葉"というものを通じて、22年間生きてきた。

人と生きてきた。

人と接してきた。

コミュニケーションと呼ばれるものを取ってきた。

ここで自分に疑問を投げかける。

「はたしてそうだろか?

本当に人と繫がり、”言葉”をかわしてきたか?」

いや、避けてきたかもしれない。

他の人の考えに触れ、

自分の考えや自分自身が否定される事が怖かった。

"言葉"を交わすというよりは、相手の言葉を受け入れるだけだったように思う。

考えが合わない相手からは、傷つく前に距離を置いて自分の殻、安全圏に閉じこもりながら生きてきた。

オンラインでは

Twitterという文字情報がベースとなるソーシャルメディアを去年の末から始めた。

多くの無責任な"言葉"を広大なネットワークの世界に投じ、多くの人の無防備な"言葉"を受け入れ、拒みながら泳ぎ続けてきた。

Twitterはオフラインとは違って

心を痛めながら向き合う必要は無い

そう思って半年以上

タイムラインで流れてきたその"言葉"を目に入れる

顔の見えない「誰か」の事なんて考えずに

言いたい事も
言わなくていい事も
自分の本心ではない事も

ツイートしてきた。

反応を求めるあまり

嘘をついている自分を許容していた。

無意識になっていた。

どう見えるかを気にして
どう思われるかなんて気にした事がなかった。

誤字も脱字も
ご愛嬌

こんな薄っぺらい”言葉”で
細かいところに気を使えない自分を守ってきた。

受け手に対しての配慮が足りない自分を正当化してきた。

慮る?(´・ω・)ナニソレ

お・も・て・な・し?(´・ω・)ナニソレ

自分さえよければそれで良くない?(´・ω・)

そんな風に

社会を

人を

”言葉”を

舐め腐っていた。

自分自身さえもだ。

”言葉”は

凶器

”言葉”は

麻薬

”言葉”は

希望

”言葉”は

絶望

”言葉”は

その人の今までの経験やそれに伴う痛みや喜びも表現することが出来ると最近学んだ。

僕にとっての”言葉”

それは

今はまだ

自分の内面を吐露する手段でしかない

でも、これからの人生をどう生きるかで

僕にとっての”言葉”の役割

”言葉”の重みも変わってくると思う。

『親に感謝しろ
身の回りに感謝しろ
そうすりゃお前の才能は死ぬほど伸びるよ』

ある人の”言葉”を胸に刻んで

今日も”言葉”で生きていく

あなたにとっての”言葉”はなんですか?

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