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元ボンボンの地団駄vol15

バカボンのアメリカ留学編も今回で最後になるかと思います。多分。。。

約7年半生活してきたアメリカともお別れする事を決めたバカボン。僕の中ではアメリカに残るという選択肢もあったし、そうする為に就職先を探したりもした。結局のところ、父の事業の一部を助ける事を選んだ。その際、少し父と衝突もあったが、7年以上も楽しい生活を送らせてくれた父への感謝と恩返しという意味もあったし、どうやら僕は何かに縛られることが異常に嫌いなんだとこのアメリカ生活を通じて感じた。なんなら、さっさと起業でもしようかとも考えたが、バカボンもそんな無計画にはなれず、手っ取り早く学生ではない社会というモノを知る為に一旦父の会社に入る事にした。

帰国の日程も決まり、アメリカ生活も残すところ1ケ月。引っ越しをしなければならない。7年間の生活雑貨、車、などなど。。。とりえあえず日本に持って帰るもの、、、サーフボード、スノーボード、木彫りの置物、レコード、、、、そんな時、弟が友達とアメリカに遊びに来た。弟にはとにかくスーツケース2個で来い!中身は空っぽで来い!と伝えて、サーフボード、スノーボードは勿論、木彫りの置物まで持って帰らせた。あとは、車を売ったり、家具を売ったり、家電を売ったり、、、とにかく大変だった。大変というより面倒だった。多分、面倒臭すぎて最終的には車は友達にあげた(笑)さすがバカボン。

残りの期間で僕はお世話になった人に挨拶に行く事にした。クラスメイトやサッカーのチームメイト、特に書いては無かったが、僕は野球チームにも入っていたのでそっちのチームメイトなどなど。まず向かったのはホストファミリーのお家。引っ越してからはほとんど会ってなかったし、急に行ったのですごくビックリして、奥さんのアダはあつーーーーい抱擁の後、ほっぺにキス。そして、帰国することを伝えると泣いて悲しんでくれた。次に向かったのは、アメリカに来た時に色々とお世話になった父の友人。ここは結構あっさりとした感じで、また戻ることはあれば連絡してねと。。。で、サッカーチームや野球チームはお別れ会的なことをしてくれた。

そして、一人、なんとなく会っておきたい人がいた。

1年ほど前に付き合った日本人の女の子。その彼女は家族でアメリカに住んでいて、付き合う事になったのだけれど、、、ある、僕の勝手な理由で別れてしまった。その別れ方も電話で「ごめんなぁ」とだけ。。。その別れ方や別れた理由が自分の中でちょっとモヤっとしていたところもあって、なんとなく会っておこうと思った。電話を掛けて会いに行っていいか伝えると「いいよ」と。

勿論、僕はそのご家族(父、母)とも面識がある。付き合っていた時、ラスベガスに旅行に行く事になり、、、彼女がちゃんと父と母には行く事の了解を取ってねと言われた。そういう部分、結構アメリカ的だったし、ご家族も公認のお付き合いをしていた。なのでご両親とも面識があり、会いに行くのも彼女の実家に行く事になった。帰国することを伝える。彼女は結構すっきりしてる感じで頑張ってねと。すると、父に急に庭に呼び出された。。。

キャッチボールをしようと。。。彼女とは話しができたし、とりあえず居づらいし、さっさと帰りたいんだけど。。。(笑)

キャッチボールをしながら、、、

「帰国するんかぁ。体に気を付けて頑張れよ。」と言って投げられたボールがまあまあキツくてビックリした。

「ありがとうございます」と投げ返す。

「なんで、別れたんや」と直球な質問と共に豪速球が返ってくる。

ちょっと怒ってるやん。。。

「すんません。。。」としかいえずへなちょこボールを返す。

そんなやり取りがありながらも、核心を突いた答えは言わず、、、いや、言えずにキャッチボールは終了。そして僕は帰途についた。

ここで白状します。

別れた理由は、彼女がメイクを落とした時、まゆげが平安時代の人みたいにちょこっとしか無く、、、メイクとすっぴんのギャップが、僕のキャパを超えてしまった、、、若かりしバカボンの何ともムゴイ別れ方、、、なぜか僕はそれを受け入れられなかった。。。彼女にも本当の理由もそうだけど、気の利いた理由も話さずに別れた。そのことがなんとなく心に引っかかっていた。悪人になれないバカボン。そんなこんなで、彼女には会っておきたいと思ったのだ。久々に会った、メイクバッチリの彼女は綺麗だった。。。(まだいうか。。。)

そんなこんなで、一通り全員に挨拶を済ませたバカボンのアメリカ生活が本当に幕を閉じる。

7年半前、奈良の田舎モンがカッコええやんという理由でアメリカに降り立ち、右も左も英語も分からない状態で英語学校に入り、、、チンチクリンのルームメイトやお馬鹿4人組とのエロ本大作戦、大事故の時心配してくれたちょっと臭めのホームレス3人、サーフショップの白髭、サッカーのチームメイト、ジェシカとゴリ男、僕をナンパしたゲイ達、50m走をした黒人クラスメイトと、その50m走をみて僕に興味をもった黒人女性、僕に恐怖をあたえた白人ポリス、、、勿論、これ以外にもたくさんの人が僕のアメリカ生活を彩ってくれた。そして、僕はこのアメリカ生活で色々な場所にも行った(なんとなく旅行記みたくなりそうだったので特に書かなかった)、ニューヨーク、サンフランシスコ、シアトル、ポートランド、マイアミ、ラスベガス、サンディエゴ、ハワイ、メキシコ、グランドキャニオンetc....

僕は7年半のアメリカ生活で経験という大きな宝物を手に入れた。日本にいたら経験できなかった事もたくさんあった。日本が悪いという事ではないが、海外で一人で生活をし、大国で、たくさんの人種が入り混じるロサンゼルスという町で生活した事が僕の今後の人生にとって大きなモノになることは間違いなかった。

そう、僕の未来は明るい!!!!!!!!!!!!!!!!!

一点の曇りもない、明るい未来を僕は想像していた。

まさか、日本に戻った僕に待ち構えているのが、あんな人生だとはその時は思いもしなかった。

アメリカに向けて飛び立った7年半前と同じようなワクワクした気持ちで、僕は日本に向けて新たな出発をした。



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