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学ぶ、と真似ぶ、とパクる。

よく学びは、真似て習得するのがよいと言われたりしますが。
https://gogen-yurai.jp/manabu/

ビジネスもまずはできるひとのやっていることを、真似てやってみる、というのが定石ですが、

ここ数年、ビジネス関連のひとたちや、対外活動してきて感じたある法則が。

「勉強させてください!」
「勉強させていただきたくて・・・」

という人は、たいていその後アイデアなり、名称などを

パクる

ということ。

最初数回は、考えすぎ?と思っていたのですが、なんどもそういう場に遭遇していくなかで結構な確率で。

ビジネスのアイデアやイベントごと、概念なんて、もちろん著作権とかないからどっちが先、ということもないし、いいんですけど、

・明らかに「勉強させてください」のあとの開催やスタート
・勉強させていただいたことを元にしました、の一報があるわけではなし
・たいてい、そのままノウハウとかも自分発信みたいに出す

もしかしたらこちら側が、実行するだけの時間や資金力がないものだったかもしれない。けれど全く知らないひとが同じアイデア持ってて、それがサービスになっていたりするのを見つけるのと違い、「勉強させてください」のあとのそれはモヤモヤがつのる。

真似ぶ、って先人のことを真似て、

自分なりに解釈して
自分なりの試行錯誤を繰り返して、
自分のオリジナルを加える


からこそ、真似ることが実現への近道になるわけで、この一番手間かかるところをすっ飛ばすと、それは「パクる」だと最近感じてる。

そして良識がありそうな高学歴のひとに限ってこれが多い。
なぜかなーと考えてみたとき、

得点をたくさん取る

答えのあるものを、それを覚えて再現することで、成績がよくなる

答えがあるものを覚えて、成果を出すことは当たり前(悪いことじゃなく点数をたくさん取れるように猛勉強するのと同じく褒められること)

答えを作ってくれたひとからパクったという意識はない

ということなのかなと。
だって、全然悪気がなくやってしまうひとが多いから、不思議で。
盗用を積極的にするほうがまだ理解できるというか。

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自分が真似ようとしたら、オリジナルがないことが申し訳ないと思うし、オリジナルを真似ることはそれを積み重ねた労力を考えると気軽にはできないし、「勉強させてください」と気軽に言えない。どうしても勉強したいものなら、いったん「どこがどうわからないか」「なにが知りたいのか」を自分のなかで探ってからじゃないと質問できない。

そう思うと、気軽に「勉強させてください」といえるひとには、ほんとにその学びは身についているのだろうか。
成果優先(成績)で、理解する・学ぶ、にはあまり価値を感じないのだろうか。

教材の分野でも、オリジナルを大事に組み立てて、紡いできたひとの知的財産というか、資産というか、簡単には真似られない年季の入った知識というか、スキルというか、そういうものがちゃんと価値あるものとして残っていくようなサポートをしていければいいなと。ビジネス上手だけが得をするのではなくてね。

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