「環境保護とその意義」について
夏季休暇なので、久しぶりにnoteを動かします
やる気が続くなら、週1本ほどで投稿します
生物多様性についてです
1. 導入
生物多様性の維持が喧伝されていますが
似た概念として環境保護もあります
環境破壊は、土壌や大気を汚染し人のQOLを減少させます
そのことから考えても環境保護には十分な意義があるでしょう
しかし生物多様性を維持する意義はあるのでしょうか?
生物多様性が減少して、例えばイリオモテヤマネコが絶滅しても私は困りません
生物多様性の維持の意義として、生態系サービスというものがよく挙げられます
2. 生物多様性と生態系サービス
生態系サービスは"生物・生態系に由来し、人類の利益になる機能"です(wkipediaより)
例えば、蜂による受粉は農業を大きく支えています
これは生態系サービスの一例です
「天然のウナギを食べられる」これも生態系サービスです
面白いものだと、「クマゼミの羽の構造に着想をえた抗菌素材」といったものもあります
このように、「生態系サービスを与えてくれるから生態系や生物多様性を維持しなくてはいけない」という考え方はある程度正しいものだと思います
しかし、それだけが生物多様性を維持する意義なのでしょうか?
3. 生物多様性とノブレスオブリージュ
最近、ウナギの完全養殖が可能になりつつあるというnewsがありました
養殖の管理された美味しいウナギを食べられるようになれれば、天然のウナギは絶滅しても問題ないのでしょうか?
あるいは文明がさらに発達して、クマゼミから学ぶことがなくなればクマゼミは絶滅しても問題ないのでしょうか?
生態系サービスの観点は、上記の意見に対する反論を提供しません
しかし私はウナギもクマゼミも絶滅させるべきではないと考えます
勿論、絶滅したら悲しいという個人的な理由もありますが、その理由の際たるものはノブレスオブリージュです
ノブレスオブリージュとは高貴なるものの責務と訳されますが、「貴族などは社会に奉仕して寄付やボランティアなどを行うべきだ」という考え方です(実際の解釈と違ったら教えてください)
生態系保護でも同様の考えがあると考えます
高貴なるヒト(ホモ・サピエンス)は、他の種に対して、その存続を極力脅かさないよう配慮すべきである、これが私の考えです
ここでいう高貴とは
「神が与えたであろうニッチを、さまざまな幸運の結果として、本来より大過剰に得ている状態」と私は定義します
(ヒトを含むすべての生き物に、高貴や下賤、優劣などないという意見は同意しますが、ここではノブレスオブリージュの概念に準えて、ヒトを高貴とします)
少なくとも、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸の一部という元々の分布域より広く分布しており、他の多くの世界線より繁栄しているということは否定されないでしょう
ホモ・サピエンスがこのように繁栄している、そして繁栄のために多くの自然を人工に置き換えているからこそ、ノブレスオブリージュのように、ホモ・サピエンスは繁栄によって失われうる生物多様性を維持するべきだと考えます
生物多様性の維持にノブレスオブリージュの概念が無ければ、生態系サービスを与えないと判断された種から消えていくかもしれません
4. 懸念点
しかしノブレスオブリージュの概念があるからこそ、絶滅する種が生まれることも、危惧しています
例えばミヤイリガイは、日本のほとんどの地で絶滅しました
日本住血吸虫の宿主であるミヤイリガイを駆除する判断は真っ当だったかと思います
同様に、人類が危機(食糧危機や感染症など)に瀕した時に、ノブレスオブリージュの精神を踏まえた上で、「ノブレスオブリージュと言っている場合ではない、我々のためにその種を絶滅させる必要がある」として生物多様性を無視するでしょう
クマ被害の増加のニュースで、私はこの言説に類するようなものを見ました
「ヒトの味を覚え始めたのだから、クマも絶滅させるしかない」などの意見です
これは極端な意見かもしれませんが、絶滅させても構わない程度に思っている人は多いかもしれません
そのような人も、「ホモ・サピエンスがニッチを拡大した結果、クマと接触するようになった」という考えで、クマも絶滅しない道を模索してもらえたらな、とこの記事を書いています
他の生き物のことより、自身の生存を優先する個体が生き残りやすいのかもしれませんが、願わくばこの文章が、種を絶滅させることに利用されなければいいなとおもいます
推敲しても駄文なので、このまま投稿します
読みにくい文章に付き合ってくださりありがとうございます
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