見出し画像

「また逢う日まで」

祖母①が亡くなったのは、それから2日後、土曜日に日付が変わってすぐのことだった。虫の知らせを感じたのだろうか。正月休み明けに出勤した父は、翌日の休みをもらい再び帰省していた。その晩の出来事であった。

危篤の知らせを受け病院に駆けつけたときには、すでに心臓が止まっていたという。脈拍が徐々に下がってくるであろうから、それが下がってきたところで最期を迎えた、とするとのことであった。ところが明け方まで待っても脈拍が下がらない。実は、機械の振動を拾っているにすぎなかったのだった。

それから数日の間、様々なことがあったのちに、親族のみの小さな家族葬を行うことが決まり、私は告別式に参加することになった。

告別式の前日のうちに、私は自分の大学のある地域から実家へと帰省していた。翌日の早朝、母と弟と3人で車に乗り、父のいる祖父母の実家の地域へと向かった。
つい3年前までは毎朝この時間に起き、弟とともに母に駅まで送迎してもらい、電車に揺られ朝練に向かっていた。この生活をしていた日々のことが急に懐かしく思い出された。

祖母②宅に着き身支度を済ませ、祖母②も車に乗せて式場へと向かう。式場で久々に再会した父は、あまり感情を外に出さない人間ではあるが、どこか虚ろな目をしているのが見てとれた。

式場に着き、自分の名字の記された「◯◯家 式場」の看板を目にしたとき、そうか私はお葬式に来たのか、とやっと理解した。物心つく前に親戚のお葬式に参列したことはあるそうだが、記憶のある限り、親族のお葬式はこれが初めてである。

祖母②の車椅子を押しながら中に入ると、そこには初めて会う親族たちが集っていた。挨拶をし、荷物を控室に置きに行く。間も無くして、告別式が始まった。

2人の僧侶が入ってきてお経を唱え、鈴を鳴らす。何を言っているのか全然わからないが、時折り聞こえる「南妙法蓮華経」の言葉に、そうだった、うちは日蓮宗だよと昔父が言っていたようないなかったような、微かに思い出される。特段何かを考えることもなく、ただ黙ってお経を聞いていた。

式は予定通り進み、お焼香をし、皆様方に頭を下げ、お経を聞く。この繰り返しであった。涙一つ流さない初孫の姿は、親族の目に異質なものとして写ったかもしれない。悲しみのあまり感情が無になっていたということでもない。今の私は、どれだけ泣いても、何をしても、亡くなった方が戻ってくることは絶対にないということを知っていた。

告別式が終わり、会場を調え、お別れの会が始まった。私は献奏を行った。祖母①が生前よく元気に歌っていた、尾崎紀世彦の「また逢う日まで」と、祖母の誕生日にちなんで「花は咲く」をつなげて演奏した。思えばこのヴィオラも祖母①が買ってくれたものだった。

献奏を行った後、喪主を務めていた叔父さんが泣いてお礼を伝えてくれた。後ほど火葬場で会ったときに、父にも感謝を告げられた。

人が亡くなったとき、特に若くして亡くなったとき、ときに「その人の分まで生きるのよ。」と言う人がいるが、それは違うと私は思っている。その人の人生はその人にしか生きられないものであり、自分が代わって生きることのできるものではないからである。大切なのは、大切な人の死に寄り添い、そのことを一生心に留めて自らの人生を歩んでいくことである。

音楽は、死者と生者をつなぐツールの一つである。このことを身をもって知ったのは、忘れもしない高校1年生時の冬の出来事である。そしてそのときツールとなった曲は、しばらく数年は心が拒絶反応を示し聴けなくなる。それだけ人の死というものは、身近なものであるはずなのになかなか受け入れ難いものである。

高校1年生の冬、大切な大切な大好きな方が亡くなったとき、私はただひたすらに泣くことしか出来なかった。彼女の死を受け入れるにはあまりにも未熟だった。彼女のために捧げることを決意した演奏会で弾いた曲や、追悼演奏会で演奏された曲を聴いたり弾いたりすることを、強く避け続けている心が今も存在する。今回捧げた2曲も、きっとそうなるのかもしれない。

あのときから早くも6年が経った。16歳だった当時の私と、今の私では死に対する捉え方に、きっと様々な違いが生じていることであろう。死を受け止めるのは、遺された人々である。人が亡くなる、という受け入れ難いつらいことが起きていても、世界は止まることなく進み、日は昇るし月は沈む。そして死は極めて偶発的に訪れる。今日も誰かが亡くなり、誰かが生き続ける。非日常的なものであると信じたい死というものが、日常の中で自然と生じるということに対して、遺された人は、なぜあの人には今後の人生が与えられなかったのに自分は生き続けられるのかと考え込むであろう。でもそれは誰にも分からないし、知る由もないことである。

火葬場で納骨をし、お弁当を受け取り式場を後にした。帰りの車でスマホを取り出すと、今日の聖書箇所の通知があった。

ひとつのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを。(詩篇27:4)

この世界には分からないことがあまりにも多すぎる。その最たるものが、「なぜ自分は生きているのか」ということなのかもしれない。
明日の早朝には、私は電車に乗り大学のある地域へと戻り、日常生活の中へと戻る。祖母の生きた日々を心に留め、神様に身を委ねて明日からの日々を歩んでいきたいと思う。