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日本人が「グローバル人材」なるための「漢文」素養に関する勝手な考察

「グローバル人材」という言葉が世に出て久しい。
いまやビジネス界だけでなく、教育の現場にも「グローバル人材」を売りにしているトコロが少なくない。
英語教育などに力を入れ、海外の先進的な考え方を取り込もうとする事業や教育がすごく多いのだが、しかし、生来にひねくれた性格の成果、時々「それって本当にグローバル人材になれるの?」と思う事が多い。
なので、今回はちょっと「私的なグローバル人材について」を書き出してみよう。

グローバル人材=外国語ができる人、でいいのか?

ではその「グローバル人材」とは何か?
ハッキリ言って明確な定義がない。
言葉にしようとすると、『機動戦士ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」のように、抽象的で理解しがたいものになってしまう。

結局、「海外との取引などで大きな成果を上げる人」という、まさに「ニュータイプ」と同様な捉え方をされている様にも思う。
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個人的には「他国および自国の文化やライフスタイルおよびそれに伴う価値観を理解したうえで、相互が納得しうるもしくは喜べるコミュニケーション(言葉選び、動作)ができる人」の事だと思っている。

その上で最近の「グローバル教育」や「グローバルビジネスマンの育成」を考えると、必ずしもそこに重点が置かれておらず、単に「外国人と外国語でコミュニケーションができる人」という認識でおり、英語教育を推し進めている。
しかし、結局それも「英検」、「TOEFL」、中国語であれば「中検」、「HSK」といった外国語のレベルテストで判断されてしまうケースがほとんどなのではなかろうか。

それが分かりやすいっちゃ分かりやすいので致し方が無い。

その延長線で出てくるのが「古典や漢文の授業は無駄」、「グローバル化のためにはもっと英語を」という議論が生じる根底になっているように思う(個人的意見)。

ただ、それによって本当にグローバル化した人材に成れるのか?というと、はなはだ疑問な今日この頃である。

日本人にとってのグローバル教養の基礎となる「漢文・古典」

個人的に勝手に決めたグローバル人材の定義は、上記にあるように、
「他国および自国の文化やライフスタイルおよびそれに伴う価値観を理解したうえで、相互が納得しうるもしくは喜べるコミュニケーション(言葉選び、動作)ができる人」の事
である。

ここのポイントは
「他国および自国の文化やライフスタイルおよびそれに伴う価値観を理解
だと思っていただきたい。
その中でも「自国理解」についてが最も重要だと考える。

なぜそう感じたのか。それは実体験による。

中国留学中、特にその学年では歴史学科大学院に在籍していたただ一人の外国人だったこともあり、学生たちから質問攻めにあったからである。
つまり「日本の政治体制(議会選民主主義や立憲君主制のしくみ)」などはもちろんの事、「日本の伝統文化」や「文学」、また「共産主義の影響」などについて、まぁ、なんだかんだと質問を受けていたのである。

おそらく、ほかの国に行っても同様のことは起こるのではなかろうか。

そうした経験から考えるに「グローバル化のためには自国である日本を知らなければならない」、そして「日本を知るためには何が必要か」という話になる。
私の中にまっさにき真っ先に思い浮かぶのが「漢文」である。

余談かと思われるが聞いてほしい。
私の父は団塊の世代で、高校の社会科(日本史専門)の教員であった。
彼が18歳で大学の「国史学科」に入学した時の最初の授業が「漢文」、たしか「史記・項羽本紀」だったらしい。

学生番号が「〇〇4(うろ)」であった父、ちょうどのその日は「24日」だったということで、講師から「読め」と父が指名された。
しかし、そのテキストは漢文、しかも「白文」であった。
それを高校出たての生徒に「訓読せよ」と、その講師は言ったのである。

父はしょうがなく「読めません」と答えた。

そしたらその講師は簡潔に一言。
「お前、荷物まとめて郷に帰れ」

つまり「漢文も読めないくせに、どうやって日本史を研究するつもりだ」ということだった。

日本史の記録は多くが漢文である。
「邪馬台国の記録」も『三国志魏書東夷伝』によるし、その後の「倭の五王」などに関しても、中国の史書が記録元である。

古代の歴史は言うに及ばず、『古事記』、『日本書紀』も漢文体で書かれたし、平安時代に立ってもNHKたがドラマでもあったように、紫式部は漢文に長け、『史記』なども読み空んでいた。
清少納言でも「香炉峰」の故事や「鶏鳴狗盗」の故事を読み込んだ「夜を込めて鳥の空音は~」の歌でも知られるように、漢文学には精通していたと思われる。

国風文化とは言われるものの、やはり「漢文」は日本における正当学問として記録や文学などに用いられてきた。
その後、戦国武将は言うに及ばず、幕末~昭和まで、その風潮は続いている。

さらに中国文学の影響は大きく、江戸時代に至っては近松門左衛門が『国姓爺合戦』を作ったり、滝沢馬琴が『水滸伝』の影響を受け『南総里見八犬伝』を作ったり、さらには『水滸伝』や『三国演義』の英雄が浮世絵に描かれたりと、中国文学の浸透は続いていた。

このように漢文学の影響を受けつつ、独自に進化してきた日本文化である「古典」も同様の価値を持つであろうし、それらを生み出す母体となった日本の歴史自体を深く知っていく必要があり、日本の歴史を知るためにも漢文教養は必須とめぐるわけだ。

参考図書『漢文の素養 誰が日本文化を作ったのか』(加藤徹・著/光文社新書)
参考図書『漢文スタイル』(齋藤希史・著/羽鳥書店)

つまり、海外の人に日本の深い分化や歴史の説明をするには、漢文および漢文学への教養が必要になって来るように思われる。
その上で、海外の文化や歴史、価値観を受け入れ、ベースとなる自身のバックグランドと比較研究、他者理解へとつなげる、ということが本当の意味でグローバル感覚だと思うのである。

日本におけるグローバル教育とは?

さて、少し偉そうなことを言おう。
上記のように考えていくと、以前話題にになった有名人の「漢文の授業より現代中国語を使った方がよりグローバルな教育」という言葉、それが実は「グローバル人材の芽を摘む」行為であると考える。

簡単に言えば「まず自分自身のバックグランドを深く知る」という事が、海外に目を向ける前の段階で必要なのであり、そのツールとして必要なのが「古典・漢文」の教養なのである。

ちなみに今、小学6年生の娘の社会科の勉強は私が見ている。
歴史、地理(産業含む)、そして日本国憲法(政治・財政含む)は、はっきりと「今後、大きくなって海外に出る、海外に関する仕事をするときに役立つ」と言い方をしている。
英語ができても、これらの基礎知識がないと海外でも「自分の国の事すら知らないやつ」で終わってしまいそうな気がするからである。

なので、我が家におけるグローバル教育は「小学校社会課」から始まり、「古典・漢文&英語」へと進む予定だったりする。

グローバル化、グローバル人材と声高に叫び、外国語教育を進めるのは結構であるが、その前にもう少し、グローバルの土台となる教育を見直してほしいものである。


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