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自身のプロフィールを書くっていうのは

何から書けばいいのかわからないので、


母の胎内にいた時から順にお話しすることにしましょう。






と思ったんですが、覚えておりませんので


結局は小学生の時からになります。




わつぃあh


あ、噛んでしまいました。


佐藤の幼少期


私は、京都府で生まれ、京都府で育った生粋の腹黒京都人です。



腹黒と言っても、お通じはよく、常に腸内はクリーンで、


焼肉屋の食べ放題のキャベツを、肉が配膳される前に食べ過ぎて、

下痢になってしまうほどです。



小学校からサッカーを嗜んでおりまして、

一応小学校では地区選抜、中学校では京都のクラブチームの選抜にも選出していただいたんですが、


中学から高校に進学する際、当時の監督に進路を尋ねられ、


「サッカーはもうやりたくない。これからはヒップホップダンスをする」



と言い放ってしまうほど気づいたときにはサッカーが嫌いでした。


ある時は、現実逃避甚だしく、高校から野球を初めて甲子園を目指そうとしていた時さえありました。



荒唐無稽なところがありましたね。



思春期の学生時代


高校に入学すると、特にやることもなかったので、なんだかんだサッカー部に入りましたが、すぐ辞めてしまいました。


いやいややることは続かないと悟りました。(パート1)


そこからは、たまたま、クラスの担任の先生が京大出身で、とても知的であったことに魅了され、自分もあのように学のある先生になりたいと思い、受験勉強を高2の夏から始めました。


そんな恩師は、今では、教え子に手を出したという噂が立ち、解雇されてしまっています。


知性を磨いても、理性には勝てないということを知らされた出来事です。



それはさておき、だからといって特に行きたい学校もなかったので、自分の学力でストレートで100%合格できる最も偏差値の高い学校を受験しようと決めました。


まあ、けど、これは大体の人がそうだと思います。


・目標を明確に定める人

・目標を曖昧に定める人

・そもそもなんの目標も持たない人


の3種類がいるとすれば、大学受験ではだいたいの人が真ん中でしょう。


この時点で目標を厳格に設定してしまうと自分の可能性を狭めることこの上ないと思います。


話がそれましたが、そんなこんなで最終的に神戸大学を選択し、見事合格しました。


しかし、入学してから、あの時、京大を無理やりにでも受験していればと考える自分もいて、それ以降は後悔のない人生を送ろうと決めたのです。


恥ずかしながら、入学してからの2年間の記憶がありません。


誤解される方もいるかもしれませんので、言っておきますが記憶喪失ではありません。


本当に何をしていたのか。


やりたいことがなかったんです。


しかし、そんな日々が3年生から動き始めます。



気付きをくれた出会い


3年生になって、大学内のバックパッカー好きが集まる飲み会に参加しました。


そこで出会った人たちの話が壮大すぎて、自分もその景色を見たいと強く思い、そこからはLACOSTEで販売のアルバイトをしまくり、その資金を集めました。


同時に、自身で洋服をデザイン・発注し、自身のブランドを立ち上げることもしました。


大学時代の後半の2年間は本当に有意義で新しい世界に飛び込むとまた新しくやりたいことが見えてくるような感覚でした。


どうして、早くこれに気づけなかったのか。


「時間」というものをとても大事にするようになります。




ある時、バイトの帰りしなにラコステの店長と就活の話になり、

仕事としてやりたいことのなかった私は、とりあえず、内定をいただいた業界1位のシェアを誇る積水ハウスにいこうと思っていることを話しました。


すると


「なぜ、もっと上を目指さないのか。そこが本当にゴールなのか。」


と質問をされました。


実はそれ以前に、

店長は、マネジメントスキル・コミュニケーションスキルともに高く、売り上げが常にトップにも関わらず、普段からアルバイトの私に対しても丁寧で、絶対に高圧的な態度を取らない人で、

そんな人がしたたかに何歳までにエリアマネージャーになって何歳までに全国統括マネージャーになるという野望を語ってくれたことがありました。


業界の中では下がいる


産業全体の中にはまだ上がいる


なら、上を目指すべきだろう。


それ以来

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

とは、本来、人の謙虚さを表す言葉ですが、つまるところ向上心を持ち続けるという風にとらえて、私の座右の銘にしています。



その後、世界一周のバックパッカーを成功させ、友人とアメリカ横断の旅をし、私の大学生活は終わりました。



社会人になって


結局、やりたいことの見つからなかった私は積水ハウスに入社し、賃貸住宅の図面を書いていましたが、2年目で見切りをつけました。


全く楽しくなかったです。


いやいややることは続かないと悟りました。(パート2)




それからは、自分の本当にやりたいことを探す期間とすると同時に、大学2年間の失われた期間のせいで大学時代に達成できなかった語学留学(社会人になってから経営に興味を持ち、海外でのMBA取得を視野に入れたものでしたが)をまずしようと思いました。



会社を辞めたおかげで、そのまま働き続けていたらおそらくご縁がなかったであろう自分の人生史の中で本当に大切だという人ともお付き合いすることができました。

(追伸:2020年11月3日、結婚しました)


何かを得るために何かを捨てるのはダサいと思うのですが、

それが不要なものならば容赦なく切り捨てるべきだと感じました。


私の場合、それはプライドと肩書きでした。


・大企業に入ることで社会的地位が上がる

・給料が安定して高い

・自慢できる


今思えば、とてもくだらない安易な考えだったと思います。


留学を終えた私は、経営に近い距離感でスピード感を持って仕事ができるように、就職先としてコンサルティングファームを選択しました。


イメージ通り、激務で、夜、帰宅するのが遅いのはもちろん、
休みの日もクライアントから仕事がかかってきたり、
クライアントのために県外に赴いたりの日々でした。


さらには、クライアントの会社の今後にも影響するひどくプレッシャーのかかる毎日でした。


ただし、そこには、しんどさだけはなく、やりがいもありました。


自分で言うのは憚られますが、
今、1社目の同期と比べて、私の方が圧倒的に知識や経験がある思います。

それだけたくさんの経営者と話してきました。

それに加えて、クライアントの心の底からの「よろこびの声」も聞くことができ、自分の努力が肯定された感覚も味わうことができました。


ただ、経営者に提言することはあっても、
実際に世にモノを送り出すのは、クライアントであって、
決して私ではありません。

それに気づいたときに
次は、自分が新しいものを生み出し、
世のなかにそれを提供していきたいと思うようになりました。


このたった5年間で新卒の会社を退職し、
語学留学をして、独立する。


自分でもわけのわからないスピード感で動いています。


多くの大人はこう言います。

そんな短い期間じゃ何もわからない


それに対し、私はこう思うのです。

寝ながら仕事してるんですか?


すいません。

普段はこんなに挑発的ではないです。笑


ただ、言いたいのは、
待っている間に人生は終わりに近づいていくということ。


ダラダラ働くことが経験とは思わないのです。


若いうちに挑戦するから意味があると思っています。


独立の準備に時間がかかって・・・とかよく聞くんですが、
本業の片手間で準備をすると3か月~4か月かかってしまうところ、
退路を断って、独立に専念すれば、たった1か月ですべて終えることだって可能です。


早まった3か月に経験する「未知との出会い」は、きっと勤めながら準備をする期間より濃いものだと信じています。


新婚早々で妻には負担をかけっぱなしなのですが、
夫婦そろってやりたいことに忠実に生きていくのが
私たちの在り方な気がしておりますので、
これからも大事な人と二人三脚で進んでいこうと思っております。



何年後かにこれを随時更新していきたいっすね~。笑


(最終更新日:2021/06/02)

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