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「お祭りのお父さん」

世界一周218日目(2/1)

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ばあちゃんがベッドまで持って来てくれた甘いブラックコーヒーで僕の一日は始まった。

ここはネパールのコホルプルという小さな町。そして泊まっているのはビジェイというお兄さんの家。昨日国境で奥さんのお父さんを迎えに来ていたビジェイ。出入国の手続きをお世話になり、さらにはホームステイまでさせてもらっている。ネパール到着初日からおもてなしを受けているのは一体…なぜ?
だって、国境を挟んだそこにはインドがあるんだぜ?

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ビジェイの家にはじーちゃん、ばーちゃん、奥さんに2歳の息子:ミーマンと1歳の娘:ビパスナの6人で暮らしている。ビジェイの家は周りの家よりも大きく、彼がそれなりに収入のある人だと分かる。それでも僕は『もしかしたらお金を要求されてしまうのでは?』というインドの毒気が抜けていない部分もあった。「とりあえず一泊だけお世話になります」と言うと、「何日いてくれても構わないよ」とビジェイは言ってくれた。


朝食にネパールのフライド・ライスをいただいた。

ビジェイさんが両替をしてくれるとのことなので、とりあえず10,000ルピー(16,000yen)分のネパール・ルピーに両替してもらった。ミーマンとビパスナはまだまだ幼いので、全然僕のこと警戒しない。1~2歳の子供って可愛いな。

ミーマンなんて手を掴んでジャイアント・スイングかましてやるとかなり喜んだ(あとから知ったけど、これは肩が抜けてしまう危険性があるのでやらないほうがよい)

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朝食を頂いた後はベッドに座って56日間旅したインドの出費を清算してみた。5万円ジャスト。一日900円以下。そんなものかぁ…。これに列車のチケットをクレジットで買った分のお金が加わってくるけど、バスキングで稼いだお金8千円分で相殺して、雑貨の仕入れ/郵送費用を除けば、旅にかかったお金はもっと低くなる。

別にお金を使い過ぎてるわけじゃないけど、「5万」という数字は僕の胸に影を落とした。1年半~2年の時間をかけて世界を旅する計画の世界一周資金は230万。大学卒業確定からフリーターとしてバイトして1年4ヶ月働いて貯めたお金だ。

日本を去年の7月1日に出発したから、今日で7ヶ月ちょうど。使ったお金は40万円。ということは残り190万円。中東以降どんどん物価が上がってくるわけだけど、果たしてやっていけるのだろうか?ビビリの僕はどうしても不安を感じてしまう。

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「ネパールガンジ行こうか?」ビジェイが声をかけてくれた。言われるままにpatagoniaのフリースとアウターを着込んでバイクに乗った。

外は寒い。霧でモヤモヤしたままだ。

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「ここがミルク工場で、あっちが国際線の空港」そんな風にビジェイは僕に町を案内してくれる。拡張工事中の道路は大型車が通る度に砂煙が舞う。

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「道路よりまずはライトを作った方がいいんじゃない?」
「政治家は利権に走るんだ。ストューピッドさ」
「町を案内してくれるのはすげえ嬉しいんだけどさ、仕事は大丈夫なの?」
「僕は世界中で仕事をしているんだよ。世界中にオフィスがある。電話やEメール、SNSで仕事ができるんだよ。だから他の人みたいに毎日オフィスに行く必要はないのさ」
「はあ…」

聞き慣れない英単語に完全に理解できなかったが、とりあえず彼がグローバルに働いていることは分かった。


ちょっと親戚の元に立ち寄る。

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昨日の夜通り抜けたネパールガンジの町を抜け、ネパールのお寺やインドのお寺を見て、ちょっとごちそうになった。僕がお金を払おうとすると「いいから!いいから!」と受け取ってくれない。これで最後にお金請求されたら一体どんななんだ?インド/ネパールの出入国手続きだろ。ついでにビザだろ?国境からバイクでここまで連れて来てもらったし、宿代、メシ代etc…。

うだうだう考えているうちにビジェイが声をかけてきてくれる。
「ヨスケ、次はどこに行きたい?」
「う~ん、これといってそこまで行きたい場所はないんだよね。着いた町を自分の足で歩くのが好きかな」

一通り町をバイクでまわって、コホルプルへと戻る帰り道、人でにぎわう場所にバイクが停まった。観覧車が見える。どうやら地元のお祭りらしい。

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ビジェイはここでバイクの駐車代を払っただけでなく、入場料も払ってくれた。

近くにいたお兄さんに聞くと、入場料は40ルピー(41yen)らしい。50ルピーを渡そうとしたが、ビジェイは受け取ろうとしない。

「お祭りなんだね。でも僕なんかよりもミーマンたちと一緒に来た方がよかったんじゃないの?」
「ああ、家族はもうここに来てるんだよ。連絡してないけどね」

人で押し合いへし合いする中、様々なブースを抜け、特設ステージやアトラクションのある場所へ抜けた。ステージではバンドやダンスライブが行われている。

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やっぱフェスっていいなぁ。

それでも僕の目はビジェイの家族を捜してしまう。だってお祭りは家族と一緒に過ごしたいじゃない?


僕の「お祭り」の記憶。そのほとんどは夏祭りだ。

楽しい思い出もあれば、楽しくない思いでもある。遠くから聞こえるスピーカーから流れる夏祭りの音楽。誰か友達はいないかと海上をうろついたり。一緒に来た友達とはぐれてしまい、そのまま再会できないまま一人で出店を歩いたり。好きな女のコが来ているかもしれないと淡い期待に胸を躍らせたり。お祭りが終わった後に何かあるんじゃないかとソワソワしたり。歳を重ねるにつれて、だんだんと地元の友達は夏祭りに姿を見せなくなった。もう夏祭りに遊びに来る年齢じゃない。

小学生の時はあんなに楽しみだった夏祭りも、ティーン・エイジャーになってみるとすごくちっぽけに見えた。

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ビジェイがこのまま家族と再会できないのは嫌だな。幼いミーマンとビバスナと一緒に過ごして欲しい。

ビジェイはケータイで連絡とってるみたいだけど、家族の姿は見あたらない。会場内のメリーゴーラウンド。遊具に乗った子供。それを笑顔で見守る大人。ついにもと来た道を引き返し始めたビジェイ。なんだか申し訳ない気持ちだ。


ブースが軒を連ねる道で、近所の親戚がビジェイの姿を発見した。

娘のビパスナはお母さんの背中で寝ている。新しいおもちゃを買ってもらったミーマンは大事そうにそれを抱えている。会えてよかったかな?子供と一緒に過ごしてもらいたかったけどね。

ビジェイは息子のミーマンと手をつないで歩く。

僕はビジェイの手荷物とヘルメットを代わりに持って、後ろから来る来場者がぶつからないようにミーマンをカバーしながら歩いた。仲間とふざけながら、よそ見をして肩をぶつけてくる若造。

「チッ、おい…!」相手を睨みつける僕。
はっ…いけない!ここはインドじゃないんだったぁ~!!!

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家までの帰り道。ミーマンを前に乗せてバイクに三人乗り。

途中まで走った所でバイクを停め、ビジェイが言った。

「息子が寝そうだ。息子を真ん中に乗せるからヨスケは腕でロックしてくれ」

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すげえな。よくこの状況で寝れるよ。

ビジェイと僕に挟まれてミーマンはいつの間にか寝てしまっていた。

「ねえ、ビジェイは海外でどれくらい働いていたの?」
「うちはね、とても貧しかったんだ。その日に食べる食べ物にも困るくらいでね。僕はなんとか学校に行って、その後アーミーに入った。アーミーを辞めたあと、叔父さんからお金を借りてマレーシアに職を探しに行ったんだ。それが2004年くらい。そのあといくつか職に就いて、ようやく今の職場に巡り会えたんだよ。2009年にネパールに戻って来て、今は隣りのインドや他にも色んな国で仕事をしている」

り、リスペクト…(涙)!!!マジでガッツあり過ぎる!こんなでっかい漢が宿代だのなんだの請求してくるわけがない!

てか、この人になら騙されてもいい気がしてきた。

左腕のミーマンの頭が重い。

風を切るバイクでかじかんだ僕の手。ビジェイのジャケットのポケットが温めてくれた。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。