見出し画像

「タイからこんにちは。ミャンマー」

世界一周136日目(11/11)

ビザランのためのミニバスを僕は待っていた。
次の目的地はミャンマーとの国境の町メーサイだ。

今年の8月から、タイからミャンマーへ陸路で入国する事が可能になったとの情報をゲットしたので僕はビザラン用のバスに乗り込んでそのままタイには戻らずにミャンマーを旅しようと考えてたのだ。

朝7時のミニバスに乗る段階で、運転手は困った顔を見せた。
本来ならビザランをするためのミニバスなので、バックパック、それもクソデカいヤツを持ってくる乗客なんて初めてみたいだった。バスのあんちゃんはスマホを片手に上司と連絡を取っている。「このバカどうしますか?」と。
これで乗せてもらえないと、僕としては非常に困った事になる。だって、ノービザでタイにいれるのは今日までだし、これでビザランしちゃったら、せっかく取ったミャンマービザがパーだ!
「じゃあ僕、立ち乗りでもいいから!」
と明るく笑顔であんちゃんに言う(内面必死なのを悟られないように... )

5分ほどモメたあと、なんとかバスに乗せてもらえることができた。
「バス満席!」なんて言われたときはどうしようかと思った。

画像1

一番後ろの座席に僕とバックパックは二つ分の座席を使っている。ちょっと申し訳ない気持ちだ。だが、ピックアップを済ませてチェンマイを出発する時点では、ばっちし空席があった。なんなんだよ…

前日夜更かししたせいで、バスの中はほウトウトしっぱなしだった。道がだいぶデコボコしていてすんなりと眠りにつくことができなかったことは覚えている。

途中によった休憩所には天然温泉があった。足湯ができるようだ。どれくらいバスがここに停まっているのか分からないし見るだけだな。タイにはこんな場所もあるのだ。

画像2

ここで急に便意を催した。トイレットペーパーを買って、有料トイレに行こうとした瞬間、運転手が「もう出発するぞ!」と言う。ぜったいアイツ、僕のこと嫌いだよ。
「すぐもどるから!」とトイレットペーパーを振り上げて、僕の頭に浮かんだ言葉は「うんち"巻き"で」だった。ウォシュレットから温泉が出た。

なんとか車に乗り込み、半目状態でウトウトしていると運転手に叩き起こされた。他の乗客たちはそそくさと外に出て行く。どうやらメーサイに着いたらしい。

画像3

(僕のことが嫌いな)運転手と一緒に、なんとかバックパックをミニバスから引っ張りだすと、そこには国境の町ならではの活気があった。立ち並ぶお土産物屋たち。露店を冷やかして行く外国人たち。道端では顔に「タナカ」を塗ったミャンマー人のおばちゃんが露店で買ってきた麺を食べてくっちゃべっている。これでタイの快適さとはお別れか…。たぶんミャンマーではここよりもっとハングリーな旅になってくるはずだ。

僕は近くのセブンイレブンでチーズカレー味のカップヌードルとおなじみの10バーツのクッキー、ペットボトル飲料を買って食べ、節約生活に貢献してくれたジャンクフードたちとお別れした。(そこまで節約できてたわけじゃないんだけどね…)

陸路での国境越え。イミグレーションを越えたら、そこはもうミャンマーだ。



画像4

「ミャンマー」という国名を聞く度に思い出してしまうのが、
「学校へ行こう!」だ。(知らないかなぁ…?V6の冠番組だったんだよ)

A:「みゃんまー!」
B:「みゃんまー!みゃんまー!」
C:「みゃんまー!みゃんまー!みゃんまー!」

ってな感じで次の人が一回分だけ多く言うことになっていて、つっかえたり噛んだりするとデコペン(おでこを鉛筆で思いっきりデコピンすること)というゲームがあった。(僕の地元には似た様な「ギュウタンゲーム」ってのがありました)。
「それでなに?」って話なんだけど、僕はどうしてもこれを思い出さずにはいられない。

別に自分がこのゲームにのめりこんでいたとかそういうわけじゃないんだけどね。
…僕は高校生くらいだったかなぁ?こういうくだらない遊びがやけに楽しかった時代だ。当時の教室の空気をまだ思い出すことができる。

画像5

国境を越えると、とりあえず3万円分ほどタイバーツを両替した。

だが、両替した後に気づいたのは、国境の町だからだろうか?ここではミャンマーの通過「チャット」よりもタイバーツの方がレートが良いということだ。10円くらい違ってくる。

僕は近くの時計屋さんで、ラオスで消息不明になったG-SHOCKの代わりに新しい時計を買った。シンプルなデザインで500バーツ(1,573yen)の防水性。別に時計がなくても困らないんだけど、時々左手首を確認してしまう。

画像6

時計を手に入れた僕は、とりあえず交通手段を確保しようと思った。どこに行くかも全く決めてない。マンダレーでも目指してみるか。

国境にいた胡散臭い客引きのおっちゃんの一人が言うにはタチレクの町に列車は通っておらず、他の町にアクセスする場合は飛行機かバスを利用しなければならないようだ。もちろん飛行機の選択肢は僕にはない。

6キロ先にバスターミナルがあるらしい。僕は20バーツでソンテウ(乗り合いタクシー)に乗り込んだ。ソンテウの一番後ろの席でバックパックを見ながら手すりにつかまって外の景色を眺める。

一気に感じが変わった。そして、ちょっとインドの匂いがした。どういうわけだか、かすかにインドの匂いがしたのだ。バングラディッシュを越えたその先にはインドがある。

画像8

バスターミナルに着くと、僕はマンダレー行きのバスの値段を調べようとした。

近くにいたバイタクのおっちゃんが「ここからマンダレーに行くことはできない!」なんて言っていたけど、どうせいつもの嘘でしょ?そうやって高額のツアーなんか組まそうとするんだから!

僕はおっちゃんを無視してバスチケット売り場の女のコにマンダレーへバスが出ているか尋ねたが、ミャンマーのスタッフさんたちは英語をあまり理解していないようだった。

画像7

「ちょっと!眉毛剃って来るの忘れたからやめてって!」(そんなことはもちろん言ってない)

なんとか単語だけのグロービッシュと筆談でマンダレー行きのバスの値段を訊いたが、なんと5,000円以上もすることが分かった。いくらミャンマーがあまり観光地化が進んでいないと言っても、この値段はさすがに払えない。

僕はマンダレーまで直接行くのではなく、一番近い距離にある鉄道駅にバスでアクセスし、そこから列車でマンダレーまで行けば交通費を浮かすことができるだろうと考えた。「じゃあどこに行けば列車に乗れるの?」とチケット売り場の女のコたちに訊いても、彼女たちは全く理解してくれなかった。図まで描いたんだけどなぁ…ここまでくると外国人を拒絶しているようにしか思えない笑。

他の旅行代理店に当たってみると、「Kengtong(チェントン)」という町に行けば列車に乗れるということが分かった。チェントンまではバスで約1,000円。これくらいならよしとしよう。

画像9

僕はさっきのローカルなバスターミナルではなく、もう少し大きなバスターミナルでチケットを購入した。よし!今夜はここに野宿させてもらうことにしよう。ラオスでもできたし、きっと大丈夫だろう。この先アホみたいにお金が飛んでいくことが予想される。安全なところで野宿したりして少しはお金を浮かせておきたいところだ。僕はバックパックを椅子に括り付け一時間ほどタチレクの町をうろついた。

だが、物事は思うようには進まない。
バスターミナルに戻り、荷物を置いて近くのテーブルでまったりしていると、案の定、英語の話せるスタッフの一人が僕に「今日はどこへ泊まるんだ?」と訊いてきた。

「えっと、ここで野宿したいんだけど…」
「NO!(即答)」
うっ…なんだよ…ここで寝るくらいいいじゃないか?

彼らからしてみたら外国人観光客はお金を持っているものと思っているのだろう。そりゃそうだ。でも、僕からしてみたら、いつもそれなりのお金を払って快適な宿に泊まって旅を続けるだけの余裕はない。そんな感じで毎日旅してたら世界一周なんてできっこない。

なんとかしてここに寝かせてもらおうと、しばらくねばってみたが、スタッフの心が変わる気配は感じられなかった。終いには「宿代出すからここにに泊まらないでくれ」なんて言われてしまい、僕としてはバスターミナルを後にするほかなかった。


画像10

日の落ちたタチレクの町を僕は重たいバックパックを背負って彷徨った。


辿り着いたのは寂れた遊園地だった。

画像11

集金係のお姉さんやヒマそうな大人たちが向かいの欧米人向けのレジャー施設のスクリーンに映るサッカー中継を見ている。

時折、子供を連れた大人がやってきてお姉さんにお金を渡すと、遊具は惨めな気持ちになりそうな音楽と共に動き出す。僕はベンチに座って、やることもなしにそれを眺めていた。

気づいたら買ったばかりの腕時計がなくなっていた。「えっ?いつ落ちたの?」ってくらい突然に。

考えられるのはバックパックを背負った時に、パックセーフにひっかかってとれたということ。もちろん足下には落ちていなかった。『た、たかが安物の腕時計じゃないか』そう思えたらどんなにいいことか...


20時を過ぎても、人が去る様子はない。僕はその場所を野宿候補に入れて、小高い丘の上にある近くのお寺に行ってみることにした。

ライトアップされて黄金に光る仏塔。下の暗がりでは若者たちがたむろしている。

画像12

僕は入り口で「アメリカ?オバマ?」と連発する男の子に話しかけられた。僕が寝床を探していると言うと、仏塔まで案内してくれたが、時間的に施錠。僕は諦めてさっきの遊園地に向かうことにしてみた。ここまで案内してくれた男の子が「マネー!マネー!」と囁いてきたのが僕をイラつかせた笑。

さっきの遊園地に戻ると、ライトは半分消え、子供たちの姿はなくなっていたが、今度は他のミャンマー人がたむろしていた。

僕は向かいのホテルの前に立って様子をうかがっていたが、それに気づいたおっちゃんが「ホテルならそこだぞ!」とばっちし僕の姿を認識していた。こりゃだめだ。

昼間はごちゃごちゃとしていた通りのお店はシャッターが締まり、静まり返っていた。僕は手頃なバリケードを見つけて、目隠し様にブルーシートをかぶせてこちら側が見えないようにして寝床を作った。

画像13

横になるとしばらく車やバイクの走行音や時折聞こえる人の声でまったく眠りに就くことができなかった。

野宿も楽じゃない。

画像14

現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。