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「カンボジア。目の当たりにした負の遺産」

世界一周71日目(9/7)

カンボジアへの入国は一筋縄ではいかないかもしれない。そう思っていた。

・アライバルビザの申請の手数料を多くとられてしまったり
・国境の手前でおろされてしまったり
・パスポート用の写真を割高で取らされたり
・有り金全部をリアル(カンボジアの通貨)に換えさせられてマージンを取られたり
・さらには入国時の賄賂の要求

あの手この手の入時に待ち受ける難問を旅人たちから聞いてきた。

僕はカンボジアへのビザを国境で取ることにしていた。ベトナムからのバス会社によってはビザ取得の代行をしてくれる会社もあるみたいだったが、僕の行ったバス会社はチケットは安かったものの、代行まではしてくれなさそうだった。


朝7時。サイゴンの宿でパッキングを済ませると、僕は宿の前に停まったバスに乗り込んだ。これでベトナムともお別れだ。プノンペンまで11ドル。全席リクライニングシート。思っていたよりも快適った。さらにはバスの中で乗客に水が配られた。

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「すごい!この会社けっこういいんじゃないか?」と僕は思った。

さらにいいことに添乗員のお兄さんが一人一人にカンボジアのビザを持っているか尋ねてまわる。持っていない人は25ドルを支払うことでビザの代行をしてもらえるのだ。なぜか顔写真は要求されなかった。ベトナムにいる時に旅人たちから聞いた情報によるとカンボジアビザの相場は20~25ドル。幸先がいい♪

数時間後にバスはカンボジアの国境に到着した。

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各バスごとに乗客がかたまり、出国審査員の前にパスポートの束が置かれる。審査員は単純作業に飽き飽きしたような顔で流れ作業的にパスポートにスタンプを押していく。乗客中には自分のパスポートを早く返してもらおうとお金を挟む者もいたが、僕はそんなことしなかった。出国審査も入国審査もあっという間に終わってしまった。入国時に両手の指紋をとられたことにはちょっと驚いた。

バスは途中国境近くのレストランに立ち寄った。インフレが進んでいるのかベトナムと食べ物の値段が違わない気がする。むしろコーヒーになどに至ってはカンボジアの方が高かった。

国境付近ということだからなのだろうか?13時には首都のプノンペンに到着した。

世界一周6カ国目。カンボジアに僕はやってきたのだ。



バイタクの客引きたちが乗客を待ち構えていたかのように一斉に声をかけてきた。東南アジアでは見慣れた光景だ。自分がどこにいるかさえ分かっていれば、客引きにそそのかされず自分で目的地にいくこともできる。

僕はいつものようにオフラインのマップアプリで宿のありそうなところに健闘をつけバックパックを背負って歩き始めた。

途中、CANADIA BANKのATMでお金をおろしてみた。ベトナムで楽天と戦って以来、初めておろす。出て来たのはアメリカンドル。100ドル札。ここカンボジアではカンボジアのお金、リエルと一緒にアメリカンドルが基本通貨として流通している。リエルは小銭みたいなものだって誰か言ってたっけ?


安宿街につくと僕は一件ずづ値段を訊き始めた。どうやら最安値は5ドルのようだった。

僕がチェイックインしたのはHong Phann Hotelという宿だ。ここではドミトリーは存在せず、あるのはシングルのみ。近くにあるCapital Guesthouseも5ドルだったのだが、2階への階段が急でやめた。バックパックで階段を登るがいちばん足にくるんだ。

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ちょっと広めのレセプションのあるこっちのホテルでチェックインして案内されたのは5階だった…。僕の鍵には404と書いてあったのだが、何故かこのホテルはフロアのナンバーが2階から101が始まる。

シングルルームの扉を開けると「むわっ」とした空気のこもったにおいがした。天井に大きなファンがひとつ。窓もはひとつしかなかった。



荷物を置いくと僕は地球の歩き方を繰ってある場所を探した。「トゥール・スレーン博物館」だ。日本で買った旅漫画「ディープなアジアの歩き方」にも主人公の杉田くんがこの博物館を訪れている描写がある。

カンボジアの名前を聞くと僕は世界遺産の遺跡か陰鬱な歴史しか思い浮かべない。歴史の授業で覚えたポル・ポト政権の大虐殺くらいしかこの国に関する知識がない。

博物館はポル・ポト政権が監獄として使っていた建物をそのまま博物館にした作りになっていた。外からでも重たい空気がただよってくるのが分かる。

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2ドルのチケットを買って、僕は監獄のひとつひとつを見てまわった。

時を越えても生々しさは色あせない。当時はもっと酷い状況だったのだろう。

高級官僚の監獄以外はレンガ作りのものだったり木造の物だったり程度は様々だったが、そのどれも非常に狭く日の光が全く届かない息の詰まる様な場所だった。ひとつの監獄へ自分も入ってみたが、1分間も耐えきれなかった。

こんな場所に人間が入れられていたなんて…。人が人として扱われないそんな場所だ。ここは。

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気づくとスコールが降り出していた。ベトナムの時もそうだ。負の遺産が生きている者へ何かを訴えかけるように雨が降る。

雨の中を走る上半身裸の男の子とすれ違った。

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この場所がどんな場所かなんて今はまだ分からないんだろうな。

いや、分かってても彼がこの世界を生きることには変わりはないんだ。

一応、ここへくる前にざっとポル・ポトについては勉強してきた。

国の補助金でフランスに留学したこと。帰国後、教師の職に就いたこと。共産党のグループに所属していたこと。毛沢東に感化され自分の理想社会を創ろうとしたこと。猜疑心の固まりだったこと。そしてポル・ポト政権下でカンボジアの4分の1の人口が失われこと。そこまでして彼は何を創りたかったんだ?


「国は人だ」と僕は思う。

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今の日本だってそうだ。震災が起こったあと、長いことモヤモヤが消えなかった。今だって自己矛盾みたいなものを抱えてる。

良い方向に変わっているのか?本当に守るべきものは利権だとかそういうのじゃないだろう。人がいてからこその国なんじゃないのか?

権力を持った人間が国を台無しにしてしまった事実。国と言うものは個人の意識を越えてしまうのかもしれないな。きっと。自分には理解できない世界の狂気に悶々としながら、僕は雨の中宿に戻った。世界を旅するといることは勉強でもある。


宿に戻るとバイタクの客引きのおちゃんたちがいつもの様に陽気に声をかけてくる。

「キリングフィールドに行こうぜ!」と声をかけてきたおっちゃん、ヴァンタンと値段交渉の末、5ドルの約束を取り付け、僕のおごりで商談成立の祝杯をあげた。

凄惨な歴史をぬぐい去るかのような彼らのポジティヴな態度にちょっとだけ嬉しくなった。

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現在、自作キャンピングカー「モバイルハウス」で日本を旅しながら漫画製作を続けております。 サポートしていただけると僕とマトリョーシカさん(彼女)の食事がちょっとだけ豊かになります。 Kindleでも漫画を販売しておりますのでどうぞそちらもよろしくお願いします。