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”マウンティング”という幻想

マウンティング。
その言葉を聞くたびになんだか違和感を覚えるなぁとモヤモヤしていました。

なぜ違和感を覚えるのか?その正体を完全には言語化できていませんが、マウンティングという言葉を聞くたびにもったいないと思うことが多いのも1つの理由かもしれません。

なぜマウンティングがもったいないのかを考えていくうちに、マウンティングは幻想ではないか、いやより正確に言えばマウンティングを幻想にできるのではないかという考えに至ったのでそれを整理してみたいと思います。

あるお母さんの悩みは「妹の子どもが優秀なこと」

個別指導塾の塾長だった時代に、とあるお母さんから「妹の子どもが優秀でその自慢をしてきて辛い」と相談を受けたことがありました。マウンティングなんて言葉が一般的ではない時代。よくよく話を聞いてみると、今は仕事がうまくいっていないこと、お子さんとのコミュニケーションがうまく取れていないこと、はたまた自分のほうが年上なのに昔から妹のほうが優秀だったことなど気づけば2時間ほど電話で話を聞いていたことがあります。お母さんはいつのまにか電話越しで涙。話を聞いてもらうだけでもちょっとすっきりしたようでした。

このときはひたすら話を聞いて終わったのですが、このお母さんの話を聞いていて学んだことが3つありました。

1つ目は、”他人と自分を比較して生きる人生は苦しい”ということです。他人の目の中に映る自分を気にしすぎて、本当に大切な自分自身を含めて身の回りの存在を見失ってしまうことってあるなと。自分の幸せはなにかを自分で定義ができている人は、人との比較で消耗することもブレることも少なくなるので、少なくとも精神的には人生が豊かになっていきます。だからこそ好きなことで生きていく」というキャッチは多くの人に刺さったのではないでしょうか。自分の理想といまの自分を比較する。比較するならそのほうが健全で前を向けそうな気がします。

2つ目は、”時には自分を甘やかす”ことの大切さです。心に余裕がないと普段はイライラしないことでも無性に腹が立ってしまいます。このお母さんは仕事に家事に育児に頑張りすぎているような気がしました。もちろん子育てをしていたら毎日がサバイバルで自然に余裕が生まれることはありません。だからこそ、ほんの少しで構いませんので、お母さんのためにもお子さんのためにも心に余白をつくる意識をもつこと。そしてそのコツは時にはご自身を甘やかすことだなと感じました。

お母さん方と話していて思うのは、お母さんたちも普段その頑張りをなかなか人から褒めてもらっていないことです。だからこそ、時には自分を甘やかしてささやかなご褒美をあげることが大事なのです。それは高価なものではなくても、自分の好きなことでいいd。(ちなみに私は深夜24時頃仕事を終えたあと、10分湯船に浸かって読書をするのがささやかな喜びです。)自分の好きなことをすることでほんの少し心に余白が生まれます。心の余白を自分自身で確保する、それがとても大事なのだなと感じました。

3つ目は、マウンティングを取ろうという意図を感じる場面にでくわしたら、”舞台から降りる”ことの大切さです。マウンティングを取るということは相手があなたを同じ舞台に立っていると認めていることでもあります。比較を手放し、心にちょっとでも余白を作っておいても、人間ですからイラッとすることもあるでしょう。そのときには同じ舞台に立たないこと、すなわち舞台から降りることを意識してみるといいのかなと思いました。人と比較せず、心に余白を持ち、自分の道を自分のペースで歩むこと、それがマウンティングを”幻想”にするために効果的なことではないかと思うのです。

今の時代は学生であっても、SNSのフォロワー数まで比較の対象になるようです。数字は一番比較しやすい道具ですね。学生時代ならテストの点数、学校の偏差値、付き合った人数、バレンタインデーのチョコレートの数などなど。大人になったら、年収はいくらか、いつ結婚したか、子どもは何人いるか、どれくらい高価なものを持っているかなどなど。比較すれば、上にも下にもキリがありません。

同じ志望校の子のほうが成績が良くてモヤモヤしてしまったら

多くの生徒や時には親御さんも勘違いしていますが、勉強や受験は他人と比較するものではありません。よく中学受験や高校受験では、自分の身の回りの人が同じ学校を受験するのを聞いたとき、しかもその人が自分より頭がよいときにどうしてもモヤモヤしてしまうことがあります。ときには人間ですから足を引っ張りたくなったり、その子がうまくいかないことを願う気持ちが出てくることもあるでしょう。しかし、そんなときに生徒に言っているのは他人の成績はあなたの合格には関係がないということです。

受験は過去の結果を見ると、だいたいの合格ラインがわかります。もちろん年度によって母集団や倍率も異なるので、合格ラインがぴったり同じとは限りません。しかし、だいたいの合格の目安は年度によって大きく変わるものではありません。要するに、自分が目指す学校の合格ラインを自分自身が超えられるかどうか、それが合否の分かれ目なのです。他人と比較して消耗するよりも、自分のやるべきことに集中し、過去の合格ラインを超えるように努力をすること。これが合格に近づく秘訣です。

自分の幸せを定義し、その理想と現実とのギャップを一歩一歩埋めていく。その過程に他人は関係ありません。周りではなく自分と向き合えた生徒は、自分の得意不得意を知り、得意を伸ばしたほうがうまくいくこと、かといって苦手を放置するのではなく最低限できるようにしなくてはいけないこと、易きに流れる自分と戦い苦手と向き合う方法、できないことができるようになる喜びなど、比較を手放すことでたくさんのものを勉強や受験を通して得ることができます。そしてこれらは決して受験だけで有効なものではなく、その後の人生でも役立つものになるはずです。

生徒には貴重な青春の時間を使う以上、勉強や受験を通して、ただ単に知識や合格という結果だけではなく、もっと今後の人生につながるような学びを得てほしいと常々思っています。だからこそ、他人と比較して悩んでいる生徒には、気持ちはわかるけれどもそんなちっぽけことで悩むのはもったいないよとあえて伝えています。もっと自分と向き合って、学びを最大化させ、成長していくことの喜びに気づき、学びことの喜びを知ってほしい。そして自分の人生を自分でハンドリングしていくことの自由と責任と楽しさを知ってほしいなと思っています。その第一歩は比較を可能な限り手放すこと、つまり他人に惑わされない自分をつくりあげていくことではないかと思うのです。そうなったとき、マウンティングという言葉は幻想に変わっていくのではないでしょうか。

”マウンティング”という言葉のもったいなさ

私もいままで一切他人と比較してこなかったわけでは当然ありません。うまくいっていないとき、失敗してしまったとき、心に余裕がないとき、なんでもないふとした一言が気になってしまうことがあります。余裕があるときには流せる言葉も、自分が意識的にせよ無意識にせよ気にしていることほど、イラついてしまうものです。

私はイラッとしてしまう事自体が悪いことだとは思いません。しかし、その自分の心の余裕のなさを、物事がうまくいっていないことを、”マウンティング”という言葉であたかも他者が悪いというように解釈してしまうことがとてももったいないことではないかと思うのです。

「マウンティングされた!」と瞬間的に思ったら、一度胸に手を当ててみるとそこには普段なかなか意識できない自分の感情があるはずです。なぜいま瞬間的にイラッとしたんだろう。なにが気に食わなかったんだろう。そんなことを考えることが、いまの自分を停滞させているヒントを見つけることになるのかもしれません。


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