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城内に駅が建っている? 近世最後の城・福山城(広島)

「サイコロきっぷ」で「倉敷」の旅。
その時にフリーきっぷを使って、足を伸ばして行ったのが、瀬戸内航路かつての要所だった鞆の浦(広島)でした。

その様子はコチラ…


鞆の浦行きの拠点となる福山駅。
その北側はすぐに城になっています。

特に、一番北側にある福塩線のホームからは城が間近に見えます。

それもあって、福山城からは、駅の様子がよく見えます。
また、一段高い所を走る新幹線が行く様も眺めることができます。

城好きで、かつ鉄道好きな私にとっては、二度おいしい場所です。

でも、ここまで駅が近い城は珍しいです。
他に…と言われると、三原城(広島)くらいです。

通常は、鉄道駅ができるのは、城下町の外になります。
建物も何もない城壁の外側に建てる方が敷地があるため、その方が鉄道を敷きやすいからです。

しかし、福山駅は、かつての三の丸を横切るようにして建てられています。
城の敷地どころか、城下町のど真ん中を突っ切って、鉄道が建てられている町が当時としては珍しかったのです。


しかも、福山城は「新しい城」でもあるのです。
復元されて「新しい」という意味ではありません。

建てられたのが、1622(元和8)年
大坂夏の陣が終わった後の話なのです。

この頃には既に一国一城令が出されており、新規の築城は基本的には禁止されていたため、例外中の例外で建てられた城なのです。

というのも、江戸時代に入ってしばらくは、福山周辺を含む備後国も広島藩の一部として福島正則の統治下にありました。しかし、福島正則の改易に伴い、譜代の水野氏が備後に入った際に、神辺(かんなべ)から新たに今の福山に城を建てることになったのです。


これは、「西へのにらみ」の意味合いが強かったのです。
神辺城は何度も落城をしている城でしたし、海から遠かったことが理由だったと言われています。

もっとも、福山城が防衛上しっかりした城だったか…と言われると、そういう訳でもなかったようです。
というのも、急造の城だったこともあり、北側の山は「未完」の状態で二百年余り放置されていたのです。そのため、幕末にはその北側を新政府軍に突かれることになります。


この福山城ですが、戦前までは天守閣が残っていた城でした。
しかし、第二次世界大戦の空襲により、城下町も天守閣も焼けてしまいました。

今あるのは、戦後に復元された福山城になります。
2022年に築城400年を迎えるにあたって、訪れた際にはまだ改築工事中でしたが、8月末には再び公開されている状況です。

鞆の浦に行く際に、少し寄ってみてもいいかも知れません。
眺めはやはりいいですから。


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