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113.未来を読む機械

2004.4.13
【連載小説113/260】

「南の島で過ごす最も裕福な時間は?」

と、熟練の旅人に問うと

「椰子の木陰で心地良い風に吹かれながら1冊の本に向かう読書の時」

なる答が返ってくる。

「読書を行う上での最も贅沢な環境は?」

と、熟練の読書家に問うと

「仕事も複雑な人間関係も全てを置き去りにして旅立つ先の南の島」

なる答が返ってくる。

そう、空間的に日常を脱するリアルな行為である「旅」と、時間的に日常を脱するヴァーチャルな行為である「読書」は、相互に補完し合うことで我々を究極の至福へと導くのだ。

長旅から島へ戻って半月。
疲れを休めると同時に、暫くは知識の充電活動を重ねようと読書三昧の日々を重ねている。

そんな僕の手元に、未来の読書装置が届いた。

未来研究所とNEヴィレッジの有志メンバーによる共同推進企画で、僕がアドバイザーを勤めている「未来読書プロジェクト」の試作機だ。

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未来形の読書を可能とするユニットは、モバイル端末「nesia3」とオプションのリーディンググラス。
そのレポートをお届けしよう。

まずは「nesia」について振り返っておく。

全島民に支給される「nesia」は、携帯可能なサイズに必要にして充分な生活アシスト機能を持たせたPDAで、テクノロジーと自然融合の中に豊かな未来を模索するトランスプロジェクトの顔ともいえる端末だ。
(詳細は第51645話で解説した)

2002年4月の島開き時に初代ヴァージョンがリリースされ、各種機能が追加されたセカンドヴァージョン「nesia2」が2003年秋に発表された。
第76話のレポート参照)

サードヴァージョンの「nesia3」は今年の夏にリリース予定だが、そのモニター活動をエージェント達が行うことになっており、「未来読書プロジェクト」もその中に位置づけられている。

ちなみに、2周年企画として進行中の「ハンディ・ミュージアム」も同様の「nesia」向け事業計画だ。
(世界に点在する希少な博物館をネットワークする計画については第96話を)

では、ユニットの解説に移る。

「nesia」本体の最大の変化は、その見た目の部分。
つまり、デザインとしての洗練性といっていい。

従来のモデルはディスプレイ下部に幾つかのキーが配されたスクェア&シルバーの端末で、一見しただけでは各国で市販されている一般的なPDAとの差異がなかった。

これに対して、今回のモデルに採用されたデザインコンセプトが「ITアクセサリー」。

ストラップで首にぶらさげた状態を遠目に見ると、大きなペンダントを思わせるプロダクトデザインが採用されている。

具体的には、カードサイズのディスプレイ部は従来のままに、それを包む枠部分が掌で握る際にフィットする左右非対称な凹凸型にプラスティック素材で成形されており、5本の指先部に操作ボタンが配置されている。
いびつな勾玉型とでも表現した方が分かり易いかもしれない。

実際に手にしてみると、慣れないせいかぎこちない部分もあるが、従来よりも素早い操作が可能。

握ったままの指先で操作可能なスタイルは人間工学デザインとしても的を射ているということなのだろう。
似た感覚があったな、と考えてみるとデジタルストップウォッチがこれに近い。

次に、「nesia」本体と繋ぐリーディンググラス、つまりは専用メガネだ。

3Dの映画館に入場する際に渡される軽量のメガネをイメージしていただければいい。

接続は本体のジャックに差し込む従来のヘッドフォン形式ではなく、ストラップ自体がコネクター機能を持っているので、耳にかけたグラスの左側の蔓に付いた数センチの伸縮型コードを伸ばしてストラップの首筋部にあるジャックに差し込めばいい。

「nesia3」のメインスイッチをON。

MENUから専用アプリケーションを選ぶと、リーディンググラスをかけた眼前20cm程度の空間にヴァーチャルリアリティとして1冊の書籍画像が浮かび上がる。

親指部のキーで「環境設定」を選択し、書籍画像までの距離やベース色、文字の大きさと色などを調整する。

次に、「My Library」を選択すると、サンプル作品のタイトルが幾つか並んでいる。
ひとつを選んでキーを押すと、その作品が空間に立ち上がって未来読書のスタートだ。

主な操作は親指と人差し指。

親指キーを軽く押すとヴァーチャル本が本物の紙の書籍同様、「パラッ」という音と共に3次元的に1ページ分めくられる。
親指キーを押し続けると、「パラ、パラ、パラ…」と軽快にページがめくられて、人差し指のキーを押すとストップする。

紙の本ならではのアナログなページめくりの質感を損なうことなく、読み進めることができる技術が開発スタッフの最もこだわった部分であり、かなりの完成度を確認することができた。

もちろん、栞をはさむブックマーク機能や脚注に対する辞書機能など、電子書籍に慣れた読者にお馴染みの要素は整備されているし、ネットワークを通じて様々な作品がダウンロードできるから読書の自在性は高い。

このユニットさえあれば、「南の島でお気に入りの本を読む」という究極の至福の時が、手ぶらで出掛けながらも無尽蔵に可能となるはずだ。

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本に囲まれて死にたい…

日本時代?の僕が漠然と自らの終末に抱いていた理想像だ。

人生の豊かさが積み重ねた読書の量に比例するとの思いは今も変わらない。

実は、日本に残した僕の家は信頼できる友人に貸している。

無料かつ無期限で自由に住んでもらう条件として、2000冊程度の書籍が眠る書斎だけはそのままに、僕が不定期にオンライン書店でまとめ買いする書籍群のトランスアイランド宛転送作業や、それらを返送した後の保管作業の雑務を引き受けてもらっているのだ。

多くを持たないことをポリシーとする島の生活に、増殖し続けるかのごとき紙の書籍コレクションを持ち込むのは相応しくないと判断し、どうしても身辺に置いておきたい厳選100冊を移住時に今住む小屋に持参した。

今後は日本に置く資産としての書物を、計画的に紙からデータへと移行する作業を進めようと考えている。

私的蔵書の全てをこのユニットで読書可能な状態にすれば、何処にいても奥深き書斎が共にあることになるだろう。

一方で、知識のストックは重要ながら、紙資源を無駄遣いせず有効活用する道の模索が21世紀の出版や文芸市場全体に与えられたミッション。

リアルな書籍は共有財産として適正量の紙資源利用の中にとどめ、それ以外は電子書籍化することで万民に読書可能なシステムを整備する知の循環型モデルが「未来読書プロジェクト」だ。

地球環境と有機的に繋がった、明るい未来を読む機械。

それが「nesia3」とリーディンググラスのユニットなのかもしれない。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

Appleが今年ARグラスの「Apple Vision Pro」を発表するというニュース

これを見ると、僕が20年前に記した「未来読書プロジェクト」はマーケターとしてなかなか的を得た「空想」だったと思います。

この連載を重ねていた頃はiPhone発売前で、僕はiPodを使った旅の音声番組配信に取り組んでいた時代です。

いや、そもそもこの連載企画はマイクロソフトのスポンサードだったので、業界図そのものが変容したことになります。

30代から40代の僕はとにかく本を読みました。
「活字中毒」と言ってもいいほどの生活だったと思います。

掌に未来形の読書端末で豊かな読書ライフが実現したかと問われれば答は「No」です。

書に触れるより映像にアクセスすることが多くなり、端末に向かう行為のほとんどが情報検索と収集になっています。

20年前の僕が今のデジタルライフを見ると、がっかりするだろうな…

とはいえ、相変わらず僕は書籍に囲まれています。
大きな違いは、買ったまま読まずに積み上がった本があまりにも多いということ。
読書時間を取り戻すことがシニアライフの目標になるかもしれません。
/江藤誠晃

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