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note9 : サンダカン(2011.4.5)

【連載小説 9/100】

もう10年以上前になるが、僕が生まれ育った兵庫県の神戸市にある王子動物園に4頭の小さなオランウータンが運びこまれ、ちょっとしたニュースになったことがある。

なんとその子どもオランウータンたちは密輸業者によって日本に持ち込まれた上、大阪市内の繁華街にあるペットショップを通じて珍ペットとしてインターネットで売りに出されていたのである。

オランウータンはワシントン条約で取引が禁止されている絶滅危惧種であり、素人がペットで飼うことなどありえないことに疑問をいただいた一般人の通報によって環境庁や警察が動き、ペットショップの経営者は逮捕され、従業員のマンションで発見されたオランウータンたちが王子動物園に送られたというのが事件の顛末。

「オオサカ-4」と呼ばれた4頭のオランウータンは、発見時かなり衰弱していたが王子動物園スタッフの献身な介護によって回復し、4ヶ月ほど後に故郷であるインドネシアのカリマンタン島へ帰ることになった。

そのカリマンタン島が、今僕のいるボルネオ島である、と記すと混乱されるかもしれないので解説しておこう。

東南アジアに赤道をはさんで浮かぶ大きな島がボルネオ島(=カリマンタン島)だ。
世界第三位の広さをほこるこの島は、大きく北部マレーシア領(ブルネイという小国家も含む)と中南部インドネシア領に分かれ、マレーシア側では「ボルネオ島」、インドネシア側では「カリマンタン島」と呼ばれているのである。

熱帯雨林が広がり「生物多様性の宝庫」と呼ばれるこの島は、近年エコツーリズムのデスティネーションとして注目を集め、数多くの旅人が訪れている。

さて、「オオサカ-4」が故郷のカリマンタン島で戻った先はタンジュン・プティン国立公園。
「オランウータンの森」として世界的に有名なこの地のリハビリセンターで自然に帰るためのトレーニングを受けることになったのである。

幼くして自然から連れ去られ、親ともはぐれた子どものオランウータンたちをいきなり森へ返したところで生きていくことはできない。
そこで“野生”を取り戻す訓練を施すリハビリセンターが必要になるという何とも皮肉な現実があるのだ。

それも日本で見つかった4頭のようなケースだけでなく、計画性の乏しい計画の下に行われる森林伐採や観光開発によって数多くのオランウータンたちが生息地を人間に奪われてきたため、同様のリハビリセンターはこの島に幾つも存在する。

4月2日から滞在しているボルネオ島北部の「セピロック・オランウータンリハビリセンター」もオランウータンのリハビリセンターとして世界的に有名な場所で、リハビリ活動の他に環境教育や調査研究、絶滅の危機に瀕している他の動物種の保護事業なども行っている。

僕は既に先にここへ来ていたATJスタッフのふたりと一緒に、リハビリ現場を見学したり豊富な調査資料を読んだりしながら、アジアの森でおこっている深刻な実態を知ると同時に、意義あるセンターの活動を学んでいる。

ここで出会ったふたりはRM君とSK君。
ふたりとも野生動物に関する知識が豊富なので自然科学系の学生かと思ったが、共に某大学の観光学部に学ぶ3回生で「エコツーリズム」を研究テーマにしているという。
明るく楽しい“冒険好き”なナイスガイで、知り合ってまだ3日目ながら旧知の仲のように世代を越えて付き合っている。この後15日まで行動を共にする予定なので楽しみだ。

さて、「エコツーリズムの未来を考える」というボルネオ滞在中のミッションだが、これはなかなか難しいテーマだ。

まず、「エコツーリズム」の定義自体が国際的に多様で、一本化されたものではないという問題がある。
さらに、ツーリズムの一形態であるために最も密接に関わるのが旅行産業だが、“商業主義”と相入れない概念ゆえに摩擦も多い。

僕もこれまでに幾つかの「エコツーリズム」を取材しレポートを残してきたが、どこかに違和感というか後味の悪さを残してきた感がある。

イルカに触れ、一緒に泳ぐ体験プログラムが人気だが、果たしてイルカたちにとってそれが“自然”な活動なのか?文明から遠く離れた少数民族の村を訪ねる体験は貴重なものだが、そこに対価が発生し間接的に彼らを貨幣経済に巻き込むことは許されるのだろうか?

といった素朴な疑問に対して、僕は明確な回答を持ち合わせていない。

オランウータンのリハビリセンターは素晴らしいものだし、そこで働く人々に対しては純粋に敬意を払いたくなる。
が、最も望ましい姿は、こういった施設が世の中に不必要となることだろう。

エコツーリズムの未来とは「あえてそういった定義がなくとも人々が自然の摂理に従った旅ができる時代のこと」と言ってしまえばそこまでだが、ことはそう簡単にいかないだろう。
旅というものが他者の土地に踏み入ることである以上、そこには大なり小なり“侵略”の要素を伴うのだ。

まずは、この島の豊かな自然の中に身を置いて、ここへ至った“コンテキスト=文脈”をじっくり考えてみることにしたい。

“オランウータン”とはマレー語やインドネシア語で「森の人」を意味するらしい。
これに対して僕たちは彼らの対局に位置する「都市(まち)の人」だ。

「都市の人」が「森の人」にしてきたことは何だったのか?「森の人」にとっての幸福とは何か?
「森の人」と「都市の人」が共有可能な幸福はあるのか?
そもそも「幸福」とは何なのか?

文脈を奥へとたどればジャングルのように複雑で先が見えにくくなる。

自然の森に暮らし、思考の森を探検する…
そんなボルネオの旅になりそうだ。


>> to be continued

※この作品はネット小説として2011年4月5日にアップされたものです。

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