見出し画像

115.時空を旅する研究所

2004.4.27
【連載小説115/260】

せっかくの機会だから、かなり以前に訪ねた地を選び、記憶を辿りながら「変化」と「不変」の比較を楽しむ旅をすることにした。

出発地は成田国際空港。

香港行きキャセイ・パシフィック航空のチェックインと出国手続きを済ませる。

アテンダントの笑顔に迎えられて機内に入り、ビジネスクラスのシートに落ち着く。

機内誌にざっと目を通していると離陸のアナウンスが聞こえる。

いよいよ旅のスタートだ…

「また旅に出たの?」

そんな声が聞こえてきそうだが、そうではない。

これはヴァーチャルトラベル体験の報告。
コペル社が世界に誇る空想旅行プログラムだ。
(トランスアイランドと提携関係にあるコペル社の解説は第97話)

離陸までの時間を簡略化して記したが、ゴーグルをかけてのシミュレーションは速度調整が可能だから、実際には2時間弱かかるここまでの行動がビデオの早送りのように10数分でこなせる。

空港到着から機内に入るまでを10倍速で体験し、機内誌最新号の乱読は3倍速に設定して行った。

離陸後は機内食を目で楽しむことも映像プログラムを楽しむことも出来るのだが、ワープボタンをクリックして着陸体制に瞬間移動。

ランディング独特の緊張感と振動も味わえる専用シートに座ってのヴァーチャル飛行で、僕は約20年ぶりの香港へと降り立った。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

昨年末に発表されたコペル社とトランスアイランドの業務提携の第一歩として、2月上旬に同社のラボ(研究所)がNWヴィレッジに完成した。

その中に出来たVR(ヴァーチャル・リアリティ)システム搭載のモニタースペースに招かれて、僕は疑似香港旅行に旅立ったのだ。

ちなみに、この臨場感溢れる専用シートとゴーグルには、未来研究所のスタンが進めるハイパープラネタリウム計画の技術が提供されている。
(詳細は第84話)

コペル社のゲーム版空想旅行は既に体験済みであったが、よりリアルな旅を味わえるこのデモシステムには驚かされるものがあった。
オンラインゲームがVRプログラムに進化するという、この一例を見るだけでも今回の提携は意義深い。

この他にも、スタンとドクター海野の「ハンディ・ミュージアム」計画や、ナタリーの環境博物館が監修するエコツーリズムソフトが具体的な提携プログラムとして進行中で、トランスアイランド発の知的ソフトがコペル社のネットワーク力によって世界レベルに広がる今後が楽しみである。
(「ハンディ・ミュージアム」は第96話に詳しい)

さて、ラボにおいてコペル社のビジネスを支える地道な活動を知ることが出来たので紹介しておこう。

10数人のスタッフが日々こなすメインの業務は、リアルタイムのコンテンツ更新作業。

世界中に点在する特派員から送られてくる最新のトラベル情報と映像をオンラインプログラム上に反映させるクリエイティブ部門の中枢機能がこのラボにはある。

ロンドン、パリ、ローマ、ニューヨーク、ロスアンゼルス、シドニー、ハワイ、バンコク、マニラ、ホーチミン、シンガポール、クアラルンプール、バリ、ソウル、台湾、香港、上海…

各地在住の現地契約スタッフがリアルタイムで更新する情報は、旬のイベントからレストランやショップのオープニングといった観光情報はもちろんのこと、天候や経済情勢、治安問題まで多岐に及ぶ。

それらのチェック作業に加えて、デジタル映像素材の編集とヴァーチャルプログラムへの組み入れ作業がここで迅速かつ効果的に行われているのだ。

さらには、このフローコンテンツの一元管理が世界レベルの旅のデータベースとして蓄積されることで、旅行業界に対する各種コンサルティングビジネスを可能としているのだ。

コペル社とコミッティによると、VRシステム搭載のデモ設備を段階的にNWヴィレッジ内に増やしていく計画があるらしい。

エージェントや有識者向けに自由研究スペースとしてオープン化することで様々な研究を可能とするだけでなく、トランスアイランドを訪れる旅慣れたツーリストにモニター体験してもらうことが目的だという。

トランスアイランドへ旅してきた旅人が、そこを中継地として世界中への空想旅行へ旅立って行く…

リアルとヴァーチャルの旅が交錯する研究所は島の名物になるだろう。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

さて、ヴァーチャル香港旅行に話を戻そう。

実は、僕、真名哲也の初めての海外渡航先が香港だった。
1985年のことである。

当時、大学で国際経済を専攻していた僕は、ゼミナールで行う視察旅行の参加で初めて海外を体験した。

20世紀前半の各種戦争とその後の国家間支配関係。

発展途上にあるアジア諸国家とその経済。

東西冷戦構造と資本主義社会の可能性。

為替変動と拡大する国際観光市場。

それらの学術テーマを凝縮して観察可能な香港をライヴに体感しようというのが目的だったと記憶している。

もっとも、僕が惹かれたのは、屋台街に流れる混沌とした民俗的空気やスラム街に見え隠れする抑圧された民衆パワーといったヒューマニティに関わる部分で、学術的成果を得るよりも、その先に広がる世界の広さと多様さを、その後の人生の駆け出し部分として直感した旅だった。

今回のヴァーチャル再訪においても、新空港や当時はなかったアトラクションの数々という「変化」に驚かされること多々ではあったが、同時に、当時と変わらず街に流れる「不変」なる濃密なアジアの空気のようなものを懐かしさの中に味わうことが出来た。

ところで、ご存知のとおり、香港は1997年にイギリスから中国に返還された。

僕が訪れた85年は、英中間の香港返還交渉が大詰めの段階であり、活気溢れる観光都市香港の未来に対して多くの不安の声が多かった。

「返還前に香港を旅しておこう」

という風潮が確かにあり、イギリスの下に洗練化された香港の中国への返還が、まるで歴史の退行であるかのごとき認識が世間にはあったと記憶している。

が、その後の歴史はどうであったか?

極論すれば、香港が中国化したのではなく、中国が香港化したというのがこの20年ではなかっただろうか。

例えば、今の上海の映像などは、かつての香港の未来像として充分に通用するイメージである。

きっと、時間と空間を越えて様々な地を旅することで見えてくる世界や時代というものがある。
そして、それを居ながらに体験可能なシステムとしてVR技術の果たす役割は大きい。

コペル社の空想旅行情報データベースが蓄積される先には、歴史の検証作業さえ可能なのである。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

INDEXに戻る>>

【回顧録】

20年前に連載した近未来小説を再度オンライン上(note)にアップロードし続けるという作業。

そこで面白いように感じるのが、僕の仕事が巡り巡って同じところに戻ってくるな…という感覚。

※この2月に久しぶりに仕事で香港を訪れていたのも奇遇

スマホ登場期だった20年前に出てきたバズワードの「モバイルファースト」。
それが今や「ヴァーチャルファースト」に変わりました。

『儚き島』連載開始の2002年からさらに5年遡った1997年に僕は「ヴァーチャル作家プロジェクト」と題して“真名哲也“を産み出し?ました。

インターネットが大衆化されてから数年の時代、ノートパソコンという武器を手に入れた僕が目指した「世界各地を飛び回りながら執筆活動を重ねる」という夢のような思いが不思議なご縁でこの作品に結びついたのですが、この回に記したVRやハイパー旅行計画は20年を経て実現フェーズに迫っています。

実は今、某プロジェクトに絡めて「時空旅行」の調査を進めています。

20年前によくもこんな荒唐無稽な小説を連載していたな、と恥ずかしくなること多々ではありますが、意外と自分が未来を的確に予想していたなという自負もあります。
/江藤誠晃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?