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note17 : ホーチミン(2011.5.2)

【連載小説 17/100】

6年ぶりにホーチミンを訪れて驚いた。

前回泊まって気に入ったサイゴン川沿いのマジェスティックホテル・サイゴンを目指して空港からタクシーに乗って来ると、リバーサイドから見てその後方に超高層ビルが建っていたのである。

マジェスティックホテルは1925年創業のクラシックなコロニアル様式の建物で、作家の開高健が朝日新聞社の特派員として1964年から翌年にかけて100日間滞在したことを知り、前回の訪問では氏にならって少し長めにこのホテルに滞在して仕事をこなした。

フランス植民地時代は西洋人の社交場として、ベトナム戦争中は海外特派員たちの活動拠点として利用された歴史を持つこのオールドホテルは、内外観とも洗練された素晴らしいホテルだが、その中でもお薦めが5階にある「BREEZE SKY BAR」だ。

オープンエアのバーからは、目の前を流れるサイゴン川の風景を心地よい風に吹かれながら朝・昼・晩と違った趣で楽しむことができるので、早朝6時から始まるバフェ形式のブレックファストにはじまって、昼食のフォー、夕方のティータイム、夜のバータイムと、かなりの時間をテラス席で過ごした記憶がある。
※このレポートも今、BREEZE SKY BARで入力している。
そんなマジェスティックホテルの背後に68階建ての超高層ビルが登場したから驚きである。

「ビテクスコ・ファイナンシャルタワー」なるこの建物は、昨年の10月に完成した経済発展めざましいベトナムを象徴するビルで、蓮の花のつぼみをイメージしたところから「ロータスタワー」と呼ばれる外観が近代的な中にベトナムらしさを醸し出している。

49階にはホーチミン市を360度の見渡せる「サイゴン・スカイデッキ」がオープンし、観光スポットとしても注目を集めていると聞いたので早速訪れてみたが、サイゴン川を見下ろすマジェスティックホテルをさらに高い視点から見下ろす構図の中に見たものは、景色の素晴らしさよりもこの国のドラスティックな“進化”だった。


「わずか6年で都市はかくも変化するものか?」

そんな思いで街を歩いてさらに気付いたのが、道路を走る自動車数の増加だ。

6年前にこの街を訪れた時に強烈な印象とともに驚いたのは、道路を流れる濁流のごとき原付バイクの数と鳴り止まないサイレンの響きだった。

サイゴンリバー沿いの広い道でも、おしゃれなブティックやカフェが並ぶドンコイ通りでも、途切れないバイクの流れを前に道路の向こう側へ渡れないでいる僕に、地元の人が笑いながら「こうやって道へ歩き出せば、バイクが勝手に避けて走ってくれるよ」といったミュアンスを身振りで伝えてくれたものである。

とにかくバイク、バイクで自動車はほとんど見なかったイメージのあるホーチミンだが、今回は自動車が増えて相対的にバイクが減ったような感がある。

聞くところによると人口が9000万人に近いベトナムには2000万台以上のバイクがあり、その数は今も増え続けているそうだが、都心部に限っては車所有者が着実に増えていることに間違いないだろう。

ベトナムが社会主義国家ながら市場メカニズムや対外開放政策を導入する「ドイモイ政策」に移行したのが1986年だから今年でちょうど四半世紀を経たことになるが、その成果を高層ビルやモータリゼーションという“目に見える”かたちで体感できるところが面白い。

ただ少し不安を感じるのは何年か後にホーチミンを再訪した時、原付バイクの代わりに日本製の軽自動車が大量に走っているとしたらそれはいいとして、サイゴン川を見下ろすマジェスティックホテルとこのバーが変わらずここに残っているだろうか?ということ。

数々の名言を残した開高健はこんなことを言っている。

「何かを得れば、何かを失う。そして何ものをも失わずに次のものを手に入れることはできない」

>> to be continued


※この作品はネット小説として2011年5月2日にアップされたものです。

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