見出し画像

100.文明という名の方舟

2004.1.13
【連載小説100/260】

僕たちの人生はまるで螺旋階段だ。
繰り返される日々を円を描くように巡りながら、気付くと徐々に元の場所から少しずつ高い場所へと到達している。

描く円とは時間的な循環のこと。
日・週・月・年の時間単位や季節の巡りはもちろんのこと、旅立ちと帰着、出会いと別れ、夢と現実、といった体験を繰り返す中でヒトは少しずつ成長していく。

連載の第100話。

『儚き島』という旅も循環の中に大きな節目を迎えることになった。
そして、それを誰よりも喜んでくれた彼が、3日前わざわざ僕を訪ねてきてくれた。
 
8ヶ月ぶりの再会を果たしたその人物はミスターG。

トランス・セブンのひとりで、トランスプロジェクトの総責任者だ。

思えば、前回彼に会った際にもらったアドバイスが、その後の僕の生活と『儚き島』に大きな転機をもたらした。

大いなる自然のリズムに自らを同調させる「トランスタイム」を通じて熟成させるパーソナルライフ。
主観と客観のバランスにおいて前者に重きを置く「物語的記録」の創作。

ミスターGが与えてくれたふたつのヒントにより、僕は移住以来はじめて長期に島を離れて日本への旅に出てトランスアイランドを客観視することができた。

そして、再び島に戻ってからも彼の目指す「低成長循環型社会」への共感と共に様々な思索と行動を重ねることができた。
(ミスターGがくれたヒントは第6465話

そう、「放浪」と「定住」が循環する人生の中にスパイラルアップ(螺旋的上昇)感と生きる喜びを改めて得たのも彼のおかげだといっていいのだ。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ミスターGが力を注ぐ国際的活動の中に動物園関連事業がある。

彼がニューヨークのWCS(野生生物保護協会)に対して行ってきた資金的、技術的支援の背景にある今日の動物園事情を興味深く聞くことができたので紹介しておこう。

動物園に対してエコロジーに反する閉鎖的な見世物小屋のイメージを抱き、ある種の嫌悪感を持つ人がいるとしたら、まずはWCSを知ることから始めるといい。

何故なら1980年に国際自然保護連合が発表した「世界環境保全戦略」の中で動物園の担う役割が「野生動物の繁殖」と「環境教育」の二点であると定義されて以降、動物園は文明側に位置する自然保護の最前線基地への変貌が求められ、その先頭を走ってきたのがWCSだからである。

Wild-Life
Conservation
Society

ニューヨークで4動物園と1水族館を運営するWCSは、以前「ニューヨーク動物園協会」という名の団体だったが、その活動が地域における動物園運営にとどまらず各地の野生生物棲息地保護活動に及んだため1993年に名称変更がなされた。

現在では世界50カ国以上で数100単位の調査活動や保護活動を展開しているという。

こういった分野におけるアメリカの先進性には驚かされることが多い。

動物園の使命が「人類の自然観育成」であり「共生のライフスタイル提案」であるという共有認識の存在に加え、そこに共感する多数の個人や企業・団体からの寄付が世界レベルの活動へとネットワークされているシステムに諸外国はおおいに学ぶべきだろう。

さて、実はミスターGの今回の来島もマレーシアにおける熱帯雨林保護のNGO横断会議出席を前にしてのもので、具体的プロジェクトレベルでの「動物園トランスビジネス」の可能性を島の各エージェントと議論することが目的のひとつだったらしい。

そして、僕との会話は動物園とトランスアイランドに共通するコンセプト探しとなり、「種の方舟と文明の方舟」なる結論をふたりで得ることになった。

旧約聖書で地球上の全生命を乗せて大洪水を逃れた「ノアの方舟」をもじっての表現で、自然から離れた「生命の方舟」が動物園、都市から離れた「人智の方舟」がトランスアイランドという意味だ。

共に悠久の時という大海においては不安定な浮き舟でありながらも、人類と自然が共生しうる豊かな地球の未来へと舵を取り、波間に揺らぎながら螺旋の旅を繰り返し、着実に上を目指せばいい…

そう語るミスターGが、またひとつのヒントをくれたような気がした。

と同時に、僕の中でさらに小さな「言葉の方舟」たる『儚き島』が新たな旅に出る支度を始めている感覚を得ていた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

僕は今、人生という旅を受け入れて充実した日々を過ごしている。
それは「旅の意味」らしきものが確かな感触とともに心の中にあるからだ。

人生をA地点からB地点を目指す線状の旅と捉え、その細く遠い先に「楽園」を求める限り、旅しても旅しても永遠に安住の地に到達することは叶わないだろう。

人生とは循環の概念の中にこそその意味を持つ「巡る」旅だ。

A地点から真っ直ぐに進んで、気付けばA地点に戻り、その過程で得たものを自らの糧として満足し、再び旅立ち、与えられる時間の中でただそれを繰り返す…

「その先」ではなく「プロセスとしての今」を旅の目的地と感じることができたなら、いかなる人生も成功体験になるだろう。

自らの手で舵を取り、魯を漕ぎながらも、大局としては海流や風にその身を任すバランス感覚。
文明という名の方舟に乗る僕らに求められる基本姿勢とはそんなところなのかもしれない。

螺旋する旅人の日々を真上から見れば円運動である。

2004年はその直径を少し小さくして、より積極的に「放浪」と「定住」を重ねようと考えている。

『儚き島』の第100話は、ひとつの節目であると同時に通過点でしかない。
新たな知の旅へと出かけることにしよう。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

INDEXに戻る>>

【回顧録】

螺旋的上昇という表現はよく使ってきたワードです。

60年の時間を重ねて思うのは、人生は堂々巡りだなというある種の無力感。
ただし、ネガティブな感覚ではなく定期的に振り出しに戻って再出発するポジティブ感。
何も変わっていないようで「遠くを見渡せるようになったな」という感覚が確かなものになることが人間的な成長なのでしょう。

20年後の今、『儚き島』の再アップを重ねながら気付くことは多く、この回に記した動物園をテーマとする思考などはその一例です。
ハワイでクジラ、ボルネオ島でオランウータン、ラオスでゾウ…と動物保護活動の現場取材を定点観測的に重ねる中で地球の捉え方をスパイラルアップさせてきました。

野生と遠く離れて暮らす彼らの日々は不幸なのか?
狩猟なしで日々の食糧にありつける肉食獣や外敵に恐れることなく伸び伸びと暮らす草食獣はある意味で幸福なのだろうか?
一方で現実世界では刻々と増える絶滅危惧種をどうする…

そんな堂々巡りの思考を20年にわたって重ねることが地球大のエコシステムに自らを位置付けるささやかな螺旋的上昇の取り組みであります。
/江藤誠晃

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?