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101.大きくなり過ぎた島国

2004.1.20
【連載小説101/260】

少し大きめの地球儀が僕のデスク上にある。

多くを持たず可能な限りの身辺品をパソコン内のアプリケーションで代行させる僕も、こと辞書と地球儀に関してはリアルな実物を手放せないでいる。

革表紙の使い込んだ国語辞典は四半世紀の友人で、五十音別のページ頭なら目を瞑ってでも僅かな誤差で開くことができるし、無数にひかれたラインマーカーが「知の紀行録」のごとく私的思考と学習の痕跡を残している。

地球儀の方は10数年の付き合いになるだろうか…

陸海の地形が微妙な凹凸の中に表現された球径30cmの立体成形型で、転々とした住処で常にデスク上に位置させて生活を共にしてきた。

実は、仕事ではマイクロソフト社のデジタル総合大百科「Encarta」のダイナミック地球儀を利用している。

経緯度確認や距離測定が可能な上、世界各地の詳細地図が随時更新される史実や統計データと連携しているので創作上の地理情報収集にはこれだけで充分なのだが、それでも地球儀は手放せない。

地球という巨大な存在を俯瞰可能な縮小体として捉えることのできる地球儀は、ごく情操的な部分における机上のブレーンだ。

神の視線を得たかのごとく球体をあちこちから眺めたり、その上に指を這わせたりすることで、僕は様々な旅の夢想と回顧を何度となく重ねてきた。

そして今も、その地球儀を前に、故郷日本を眺めている…

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以前に受けるか否か迷って断った仕事を引き受けることにした。

日本のネイチャー雑誌の連載企画で隔月発行。
日本国内の島々を旅して、その地の歴史や風土に触れる中で思い感じることを写真と共に紀行記としてまとめるというのが概要。

これだけならよくある連載だが、この企画の興味深いところは観察する対象が訪問する島の側ではなく日本という島国全体であるという点。

つまり、報告者としてのライターには辺境を旅しながらも常に国家としての日本総体を考える客観視座が求められる。
小さな島を覗き穴として、現代日本という文明国家を鋭く観察するのだ。

で、僕、真名哲也がその観察者の候補になった。

仕掛け人は、この手の企画では出版業界でその名を知られたフリーランスの女性編集者、香山波瑠子である。

彼女とは10年来の付き合いで、僕がハワイと日本を行き来しながら創作活動を重ねていた頃は日本におけるマネージメントの全てを任せていた関係だ。

トランスアイランド移住に際して日本の出版社とのレギュラー執筆を全て終了させたため、その後は時折連絡を取り合う程度の関係になっていたので久しぶりのコンビ復活ということになる。

実は、最初にこの企画のオファーを受けたのは昨年の7月だった。
石垣島や竹富島を訪ねたあの長期日本滞在の最中である。
(第66~80話)

その時点で一旦辞退したのは、僕の視線が別の場所を向いていたからだ。
つまり、観察したい対象が日本ではなくトランスアイランドや文明から距離をおいた島々の方だったのである。

香山波瑠子は、自身に対しても作家に対しても決して無理を押し付けない。
僕の辞退を受けて慰留することも代役を探すこともせず、「期が熟したらまた…」とだけ返答を残して別の企画をスタートさせた。

が、これが彼女の有能なエディターとしての戦略であり魅力なのだ。

そう、彼女が僕のために立てた企画を他者に譲ることなく保留状態にしてくれることで、僕自身がその企画の孵化装置と化すのだ。

知らず知らずのうちに暖められる創作意欲の卵は、やがて小さな生命の躍動のごとく動き出す。

その後、長旅を終え、トランスアイランドへ戻って様々な思索を重ねた僕の中に、今度は自然の側から文明を観察してみたいとするポジション転換が生まれることを彼女は予想していたのかもしれない。

「半年遅れでも引き受けること可能だろうか?」

とメールした僕に対して

「少し早かったけど、予想通りの回答」

とのリターン。

ちょうど編集企画改編期の4月スタートを照準にプロジェクトが組まれることになった。

仕事の進め方はいたってシンプル。

訪問対象の島々を2月上旬に東京で関係者が集う編集会議で決定。
その後は僕のペースで自由に取材旅行を重ね、誌面演出のあれこれや原稿のやりとりは全てネットワーク上で行う。

合理的かつスピーディーなこの推進法は以前にコンビを組んでいた時と同じで、最も取り組み易い仕事スタイルのはずなのだが、今回は僕の中に何故か不思議な緊張感が生まれている。

その緊張感が何処から来るのかを掴みかねて香山波瑠子に尋ねると、これまた明快な回答が返ってきた。

「あの頃と違って、その足場を明確に日本の外に置いた日系作家?としての初仕事だからじゃないかしら…」

彼女とのコンビ復活に胸躍る今日この頃である。

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「大きくなり過ぎた島国」

連載企画のタイトルを仮にそう決めた。

トランスアイランドの日々を重ねるほどに、日本という国に抱くのは「巨大だな」との思い。

文明化とは、ある種、物量的な大陸化なのだろう。
日本は島国本来の特性を置き去りに20世紀の発展を重ねてきたようだ。

できるなら「旧き良き日本」が残る、無名に近き小さな島々を選ぶことにしよう。
そして、身軽な旅人としてそれらの島に上陸し、じっくりと大きな祖国?を観察してみようと考えている。

------ To be continued ------


※この作品はネット小説として20年前にアップされたものです。

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【回顧録】

当時、郊外で暮らしていた家のアティックにあった僕の書斎に置いていた地球儀は10年前に引っ越した今の家でもコンパクトになった書斎で同様に飾っていますが、あまり見ることはなくなってしまいました。

地図データはもっぱらGoogleMapをで見るようになり、「Encarta」のようなアプリはパソコンから消えて「検索エンジン」が辞書の替わりになり、今や生成AIの時代です。

「創作の友」とでも言える存在は明らかにリアルからヴァーチャルに移行した20年です。

さて、フリーランスの女性編集者・香山波瑠子の登場を読んで「懐かしい、久しぶり!」と再会を喜んでいる自分を面白く思います。

香山波瑠子は『儚き島』より前に、某新聞社の文学コンテストに応募したオムニバス小説に登場した人物で、僕がパートナーとして希望する編集者像を具現化させたキャラクター。

今も現役なら彼女は幾つになったかな?などと想像する楽しみは、僕にしかわからない創作業の魅力です。
/江藤誠晃

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