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アヤワスカ合宿 in ペルーのアマゾン 2回目「全ての過去・トラウマの旅」

ペルーのアマゾン奥地、知る人ぞ知る、シピボ族の村にて、6泊7日のアヤワスカ合宿。

YouTube の方に前編・後編の動画が上がってるので、まずはそちらをご覧ください!

https://youtu.be/Y1dg_E_zBDE


下記は、アヤワスカ体験2回目のメモです。生々しいです。どうぞ。



Ayahuasca 2nd Ceremony


アヤワスカ体験、2回目が終わった。


1回目、マロカの中で効果が抜け始めてきた時にメモを書き出したが、それはあまり良くないよ。と、アヤワスカ経験が長い他の参加者たちに指摘されたのでそれを守って今回は朝の11:30にこれを書き始めている。そして、確かにこれが正解だと実感できた。学べた。


2度目のセッションの中で、何を見て、何を感じて、何を学んだのかなどを1回目との比較も含めてつらつらを書き綴っていこうと思う。ただ、うまく順序立てて説明するとか、分かりやすい文章にするとかは2の次にして、思い出したことから順に書き殴っていく。アヤワスカ日記みたいなものだと思えてきた。





1度目のセッションを”自己肯定・自身の獲得”と題名するとしたら、2度目のセッションはおそらく”全ての過去・トラウマの旅”みたいな感じだと思う。





・時系列



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2度目のセッションは、Aさんとの相談の末に、特に何も準備しないで臨んだ。どのようなセッションになるのかは全く予想できない。


セッションが始まる。呼吸を整える。1度目と同様、恐怖や緊張はほぼ無い。今回も何を学ぶことが出来るのかと楽しみの方が大きい。


アヤワスカを飲む。1度目よりも何故かまずく感じる。こんなに不味かったっけ。自然と出てくる唾液をバケツに吐き出す。


徐々にお腹がグルグルしてきた。体が、トリップへの準備を始めた。


マテオがイカロスを歌い始めた。まだ、トリップは全く始まっていない。少し時間が経って2度目を歌い始めた時もまだ効果は来ていない。



アヤワスカを飲んでからおそらく1時間強、マテオの2度目のイカロスが中盤に差し掛かった頃に、徐々にビジョンが見えてきた。



1度目のセッションと同様に、最初は文字通り”ビジョン”て感じ。思考はまだそこまで回転していないが、目の前にたくさんの模様が見える。1度目と似ていると言えば似てるし、全く違うと言えば違う。ものすごく美しい景色が無限に広がっている。万華鏡のようにゆっくり動きながらいろいろな模様を見せてくれる。正確にどんな模様を見ていたかなどの鮮明な記憶は残っていない。この模様・ビジョンが、トリップへの道。掛橋なんだとわかる。やはり蛇はときどき出てくる。今回はカエルも出てきた。ぼくがみるアヤワスカはすごく爬虫類と繋がりが深いのか。


模様は、このあともセッションを通して時々出てくる。感覚としては1つのことについて考え終わって、次のことを考え始める時のトランジションとしての役割を担っているんだと思う。


ジャングルの中の田舎に来た。だいぶ暗いが、サンセットの直前というような感じで、うっすらと明るい。ペルーなのか、日本の田舎なのかとかはわからない。将来の家?めちゃめちゃ古民家ですけど。笑


そして、世界地図が出てきた。シピボ族をはじめとしたペルーの先住民族たちは、あらゆる文明が始まる前に北(現在のロシア、シベリア、アメリカ大陸)を通ってペルーに辿り着いた東洋にルーツを持つ人たちなんだと実感した。科学的根拠・歴史的根拠などはないが、そう確信した。メキシコから続く中南米の先住民族にどこか近いものを感じるのは、ルーツを辿れば近い民族的なんだと理解した。ぼくはこの場所に来るべくして来たんだなぁ。



そして、気付いた時には過去にタイムスリップしていた。



まずは小学校の時の記憶。2、3年生ぐらいだろうか?毎年夏休みになると、半強制的に小学校のプールに行かないといけないみたいな行事があったんだけど、その時の記憶。泳ぎ始める前にプールサイドでみんなが集まっている。1こ上か2こ上の女の子の先輩がいる。スク水を着ているんだけど、乳首が立っていて、なんか、エロい、セクシーだなって感じた。恐らく年上の女の子っていうのもあって大人の色気を感じたんだと思う。(向こうもまだ小学生だけど笑)この時、人生で初めてエロスを感じたんだと知った。


その後も、時系列はバラッバラだったけどたっくさんの過去・トラウマを見た。絶対に全部は思い出せないけど、思い出した記憶から書いていく。


最初は高校のサッカー部の記憶。一度、先生に連絡を入れずに練習をすっぽかしたことがあって、その次の日に練習場の顧問室の中で先生にめっためたに叱られている時の記憶。人生で1番激しく怒られたんじゃないか。その先生もめちゃくちゃ恐い先生として有名だった。メンタルがずたぼろになった。そこから1ヶ月、練習・試合に参加せずに自分と向き合わされた。それを親に伝えたときも辛かった。一通りその先生に怒られた記憶が終わったあと、ワニが出て来て、(というか自分がワニになって?)その記憶をバクっと食べた。Aさんが牛でやったことを自分もやった。笑


トラウマの旅はまだまだ続く。ぼくの遅刻のせいで同級生と2年生の先輩含めて全員で猛天下の中ダッシュをさせられた。あの先輩の目やこの先輩の罵倒。ちがう時の記憶で3年生のキャプテンにもまた遅刻で怒られた。めっちゃ遅刻してるおれ。中学校のサッカーでの挫折なども蘇って来た。中学校も高校でも、サッカーでは挫折続きだった。完全に競争に取り残されていった。Aチームで先発で出るなんて不可能な場所にいた。チームメイトからの罵倒。先生からの罵倒。すべてが自分のメンタルに重くのしかかってくる。体力もなかったけど、メンタルも弱かった。怠惰だった。無責任だった。


トラウマの旅は続く。まるで、過去の世界を旅しながら、「次にいま見ておかなければいけないトラウマはどこだ?」って探しているような感覚。トラウマを探す。すると、また記憶が蘇ってくる。


今度。高校2年の時の記憶。1年生のときのクラスメイトが、週末に倒れて亡くなった。1年生の時のクラスメイト全員と、2年のクラスメイト全員がお葬式に参加した。全員、泣いていた。ものすごく、悲しんでいた。特別仲がよかった彼の友達以外も、全員。ただ、自分は泣けなかった。自分でもめちゃくちゃ驚いた。自分はこんなに冷酷な人間なのか?と自分を疑った。めちゃくちゃ仲がよかった友達ではなかったとはいえ、涙が流れなかった自分が嫌いになった。泣こうとしても、泣けなかった。帰りの電車で、1年の時のクラスメイトの女の子がぼくに「なんでゆうくんは泣かなかったの?すごいね」みたいなことを聞いてきたときに「実感が湧かなかった」とか適当な言い訳をした。悲しくなかったわけではない。彼が亡くなったと聞いた時は衝撃だった。



次。家族の中でのトラウマ。



これもいくつかのトラウマが蘇って来た。小さいときにお母さんに怒られた思い出。お父さんに進路について相談したとき、ちゃんと自分の選択・将来に責任を持て!誰も決めてはくれない!と叱られた思い出。いろいろあるが、おそらく1番強いトラウマは、高校1年ぐらいの時の記憶。ある夜部活の練習から帰って来てなぜか不機嫌だったぼくに、お父さんはブチギレて、キッチンで少し取っ組み合いになった。そのまま2階の自分の部屋まで行き、お母さんとお姉ちゃんが仲裁に入る事態にまでなった。お父さんは、お母さんに対しても「お母さんがちゃんとしないからだ!」とキレた。それに対してお姉ちゃんが「お母さんはちゃんとやってるよ!」とお母さんを庇った。全ては僕のせい。お父さんの怒り、お母さんの悲しみ、今なら痛いほどよくわかる。そして叱ってくれていたのも、全てはぼくの為を思ったものだと実感した。そこには愛しか無かった。全ては僕のせいだった。思春期・反抗期真っ只中だった。そのあと、ひとり自分の部屋で、紙か何かをビリビリに破りながら泣きじゃくった。なんで泣いていたんだろう。部活でのつらい日々だったり、いろんなことが悶々としていた時期だったから、自分でも何かわからない強い感情で泣いていた。


これを書いている今、当時のお父さんとお母さんのことを思えて、泣けて来た。早くお母さんとお父さんに、あの時はごめんなさい。そしてありがとう。と伝えたい。


あと、ぼくはずっと兄の背中を追ってきたように思う。常に兄と自分を比べている自分がいた。ただ、自分は自分なんだという気づきも得れた。


お父さんは、自分の人生に責任を持て、ということを教えてくれた。言い換えれば、自分の人生は自分次第で、自分の選択・意思によって何者にでもなれることを教えてくれた。


お母さんは、人に優しくして、感謝の気持ちを持つことを教えてくれた。他人のせいにしてはいけない。悪いことをしたら自分の行いを顧みて、反省し、次に生かすことを教えてくれた。



「優」という名前は、素晴らしい。優勝・優秀というような強い意味はお父さんから、優しさという意味はお母さんから引き継がれている。



自分が生まれた瞬間が見れた。実際に見れた、というわけではないが、まだ小さい僕の姿を、お父さん、お母さん、兄、姉が見て、微笑んでいる。僕は、本当に愛されていた。


それ以外にも、書ききれないほどの思い出・トラウマが蘇って来た。家族という絆の強さを実感した。無償の愛を与え合える家族という関係は素晴らしい。こんなに愛に溢れた家庭で生まれた僕は、なんて幸せ者なんだと実感した。




これらを見ることができて、トラウマを全て忘れて、吹っ切れた!というワケではない。むしろ、様々な過去のトラウマ・人生体験・家族。それら全てが今の自分を形成しているんだと実感できた。弱い自分、無責任な自分、怠惰な自分、などなど欠点だらけの自分だけど、それらはひとつひとつ勉強したり、旅をしたり、人生体験を通して少しずつ克服・成長していければいいんだ。と実感した。



一通り過去を旅し終えて、家族の愛に浸っていたころぐらいだったろうか。前兆のない、急激な吐き気が身体を襲い、バケツに猛烈に吐いた。固体はほぼない、水っぽい黒い嘔吐。アヤワスカの薬草っぽい匂いがする。キツい。ただ、一通り吐き終えると、スッキリした。過去のトラウマなどの悪いことを全て吐き出した。1度目のセッションでは全く吐かなかったから、やはり精神と身体は繋がっているんだなと思った。おれ、アヤワスカで吐けた。めっちゃアヤワスカ体感してるやん。すごい経験だ。


そのあともお腹がグルグル鳴り続け、また吐くんじゃないかという恐怖はあったが、結局このセッションでもう吐くことはなく、のちに効果が薄れて来た頃に排便としてデトックスした。


嘔吐から少し時が経って、今度は過去の全ての元カノのことが出てきた。1回目の彼女と、別れを切り出されてなんとなく別れたこと。2回目の彼女と、別れる話をすることもなく自然消滅したこと。リバプール時代、1年半ほど遠距離恋愛していた彼女のこと。あーあんな別れ方して申し訳なかったなとか、喧嘩しながらも一歩ずつ関係を深めていったことなど、様々なことを思い出した。元カノとか、彼女になりそうだった女の子とか、全員、いま幸せだといいな。いまどうしているんだろう。あとで連絡してみようかな。


そのあともかすかに残るアヤワスカのビジョンに任せて、いろんなことを考え、思い出し、朝4時頃、排便をして、自分の部屋に戻って寝た。





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ざっくりとこんな感じだったかな。ただこれ以外にも、アヤワスカがどういう原理でこういうビジョンを見せているのかとかを考えたり、最初にイギリスに行った時のワクワク感だったり、人生最初のバックパッカー体験(フィリピン、ベトナム、カンボジア、タイ)だったり、留学中実感した自分の精神的な未熟度だったり、たっくさんのことを見て、考えた。全てを思い出すことは不可能。


1度目のセッションでは、根拠のない自信が湧いてきていた。そして、完全に異次元世界にぶっ飛ばされた。臨死体験という感じ。その感覚が初めてだったということもあり、現実世界に戻って来れるのか怖くなってブレスレットや腕を噛んだり、マパチョを吸って現実世界にしがみついたりしていた。


ただ2回目は、自分の人生をタイムスリップしていたので、異次元の世界というような感じではなかった。それもあってか、現実世界に戻ってこられるか不安っていう恐怖はなかった。単に、1回目でちゃんと最終的に現実世界に戻ってこれたからもうその恐怖はなくなっていた、という可能性もあるけれど。


1度目のセッションで「なるほど、アヤワスカってこういうものなのか!」って分かったような気になってたけど、2回目を終えてみて、全く違う体験だったから、いやまだまだアヤワスカのことなんも分かってないわ。アヤワスカって奥深いー!ってなった。いや、奥が深いという言葉じゃ説明できないような深み。


自分が考えるアヤワスカで得られる体験は、


  • 頭でわかっていてもなんとなく腑に落ちていなかったことなどが、ストーンと心理レベルで理解できる感覚。

  • 向こう10年で起こる心、精神的な変化、気づきを、1発のアヤワスカでバチーンと実感できる感覚。

  • かと思えば、見たこともない美しい世界、模様、アートを見ることができる感覚。アーティスティックなインスピレーションはすごすぎる。

  • 過去の忘れていた・奥底に眠っていた記憶を見て、それら全てがどう今に繋がっているのかを実感できる。

  • 愛。世界は愛に包まれている。愛の連鎖で形成されている。

  • 知らなかった知識を得られる感覚。

  • ただ全てを教えてくれる超常的な存在ではなく、「コツコツ勉強して、体得していきなさい」と教えてくれる感覚。


などなど。まだある気がするけど、いま思いつくのはこの程度。


アヤワスカが「サイケデリックな世界にぶっ飛ばしてくれるモノ」という解釈は完全に間違いである。もちろんそういう側面もあるんだけど、そんなレクリエーショナルなモノではない。


一回一回のセッションが勉強であり、旅であり、ストーリーであり、快感であり、修行である。マテオが言っていた。「アヤワスカとは、まるで本のようなものだ。1回やるごとに1ページずつめくれていき、勉強ができる」。。。。。いやいやいや、おれからすれば1回1回のセッションがそれぞれ1冊の本になるぐらいの厚みおびてるわ!ってつっこみたくなった。


以上。




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