持続可能を突き詰めていくと我々は不自由になっていく

コカコーラ社がペットボトルを使い続ける事に対して、環境を訴える団体が非難している。しかし、コカコーラを販売するには、ペットボトルは不可欠であり、止める事は現時点では非現実的だ。
さて、では一体どうするのが正解なのだろうか?

そもそもそ、ペットボトルが生まれる前は、コーラは瓶に入っていた。なるほど、では瓶に戻すのがいいのか?
それはナンセンスだ。何故なら瓶は非常に重く、結局輸送に際してペットボトルより多くの化石燃料を消費してしまう。
では、よりリサイクル可能なペットボトルを作るべきか?
これも最適解とは言えないだろう。何故なら「みんながルールを守る」事を徹底しなければ解決にならないからだ。
サッカーの国際試合で観客席のゴミを日本人サポーターが片付ける様が称賛される世界でだ。ルール本当に守られる?

では、どうすれば決定打になるか。答えはシンプルだ。コーラを売らなければいい。コーラを飲まなければいい。みんな、お茶やコーヒー、水だけ飲む世界に戻ろう!マックではハンバーガーとお茶を飲もう!

少なくとも、そんな事を言うやつが居たら、僕は殴る。
でも、今の世界の流れをそのまま実践したらきっとそうなる。
不自由な世界が待ち受けている。

東日本大震災で原子力発電所の事故により、非難地域になった場所では、野生動物が急激に増えている。
「人間は最大の癌」である事は明白である。残念ながら。
でも、僕たちは「地球のために」生きている訳ではない。
「地球のためになら人間は滅ぼしていい」なんて思想は、シャア・アズナブルだけで充分だ。

さて、ではコカコーラに話を戻す訳だけど、結局「売上を拡大し続ける」と言うミッションに対して、NOを突きつける。それだけで結局いい。
誰もコカコーラが飲めない世界は望んでいない。(一部な過激な人は知らないけど)

「どこまでなら不自由さが許容できるか」「不自由さの理由をしっかり理解する」事さえできれば、きっと持続可能な社会は出来る。
レジ袋の禁止も、個人的には「不便だなー」とは思うが、昭和の前半までみんな「買い物袋」や「買い物籠」を持って買い物するのが当たり前だったし、それで「困ってる」人はいなかった訳だ。
もちろん、同じ理論で行けば、ネットも必要では無くなるかもしれないが、レジ袋とネット、どっちが無かったら困る?と言われれば、即決でネットと言う。

つまり、「全てが便利」ではなく、「取捨選択」を社会全体で少しずつ行っていくしかないのではないか。

人間や社会は、そんなに大きく不便にされると反発される。少しずつ、少しずつ不便にしていくしか無いのだろう。

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