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『砂上の月 君の声』前編

◆目次

「巡礼と砂漠」
「滞在登録」
「新幹線の運転士」
「駒形どぜう」
「遭遇と覚醒」
「Ulugbek Asrorov君」
「心の旅」
「サマルカンドの再会」





【巡礼と砂漠】

旅の背中を追う人生の途中『星の旅人たち』という映画に巡り遭った。あらすじを読むと800kmに及ぶサンティアゴ巡礼の旅を描いた作品らしく、日本で言うとお伊勢参りが映画化された様なものか。

昔から宗教を理由に旅をする人は多くキリスト教徒でない私でさえサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路とその旅が如何なるものか気にはなる。

ここ5年程、アメリカやアラスカ等、北米大陸を中心に自転車旅を行ってきたがそろそろ大陸を変える必要性を感じていて次の旅ではスペインを走ってみようか。

ただ国が密なヨーロッパを旅する上で一国集中というのはあまりに勿体ない気もするので、隣国でありユーラシアの果てとして日本とは特別な関係にあるポルトガルを起点にするのがいいかも知れない。この2ヶ国だけに集中すれば3週間程度の旅でも十分に楽しめそうだし未だ経験のない“越境”も体感する事ができる。

2016年のニューヨーク-シカゴ自転車旅の最中バッファローでナイアガラの滝観光をしたが、そこで見掛けた越境サイクリストが未来の旅の妄想を限りなく広げた。

過去の旅やそこでの出会いに導かれていく訳でその瞬間に感じた事に従順になって旅の計画を立てていけばいい。

私は航空券を買いにHIS新宿本社営業所へ向かった。「それだけ旅を重ねている人が旅行代理店へ?!」と思われるかも知れない。実際身の周りの旅人からは『手配手数料もかかるし自分でチケットを取ればいいじゃん!』と半ば呆れ顔でアドバイスされる事も多いのだが、多くの街道が日本橋を起点とする様に私の旅も始まりはHIS新宿本社営業所と決まっている。

家から近いのも理由だが何よりこの店舗には旅の変人が集まっており私になかった発想を提案してくれる様な期待感がある。受付で旅の方面と時期を聞かれ担当カウンターに案内されるシステムだが『それが決まっていなくて...』と答えると恐らく新人だろう店員が「変なの来ました...」といった感じでインカムで助けを求める。

私はそういった訪問が多いが結果的に旅や旅行を決めていくので冷やかしではないと分かっているベテラン店員が対応してくれ彼らの提案に心を躍らせるのだ。

HISにとっては本意か分からないが私はそういった付き合いをしていて旅は彼らとのトークセッションから始まる。

ただ今回の旅はポルトガル・スペインと行き先が決まっているので受付から専門カウンターに案内され担当者が就くのをテーブルで待った。やってきたのは外国人の男性。HISで働くスタッフは多国籍なので日本人以外の担当者が就く事はよくあるし極自然な事として今回のポルトガル・スペイン自転車旅の相談を始める。

具体的にはどこを起点終点に設定するかという話で3週間程度の短い自転車旅ではそれが非常に重要になる。3週間の旅で実際に走行に充てられるのは2週間、つまり14日間で、1日100km走るとすると1400~1500kmが限界となり、出入国の都市を慎重に選ばなければならない。

その上、自転車積載に関する規定も路線や航空会社によって全然違うので一番レギュレーションが緩い航空会社を探さないと最終的にかかる金額が何万円も違ってくる。私はそういった事を調べるのが大嫌いなので手配手数料を払って彼らにお願いするのだがその外国人店員は全てを迅速に調べ上げ、リスボンIN/バルセロナOUT、総走行距離1300kmという完璧な枠組みを決めてくれた。

一旦トイレ休憩を挟んだ後、続けて航空券購入手続きに入ってもらった。満足感の中、パソコン画面を眺め作業を進めるその外国人店員に『そう言えば出身はどこの国ですか?』と聞いてみると端的に『ウズベキスタンです。』と答えたので作業が終了するまでウズベキスタンについてぼーっと調べていた。

なにせ「~スタン」と語尾を共有する親戚みたいな国は多くウズベキスタンがどこにあるのかもよく分かっていないのでGoogleMapを眺めているとその店員が『パソコンの調子が悪いので少々お待ち下さい。』と言って席を立った。

時間の余裕はあるのでその間ゆっくりとウズベキスタンについて調べているとかの有名な交易路・シルクロードの途中にある国だと知る。世界遺産も多く治安も良い事から日本人の旅先としても俄かに注目を集めている様で大変興味深い国ではないか。

私は先程のウズベキスタン人店員に声を掛け『今後の旅の参考のためにあなたの国について教えてくれませんか?』とお願いすると、母国ウズベキスタンに興味を持つ日本人旅行者が少ない事を実感する日々に寂しさでも感じていたのか大変詳しくその魅力を語ってくれ、その中で出た「砂漠」という言葉に私は大きく反応してしまった。

『砂漠?砂漠とは?』そう尋ねると困った様に『砂漠です...』と答える。これは私の質問の仕方があまりに悪かったが砂漠の種類について聞いてみたかったのだ。

アメリカを自転車で走っていた時、テキサス、ニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアの砂漠を1ヵ月走ったがあの「荒野」も「砂漠」と呼ばれておりサハラ砂漠の「砂漠」とは違う色んな砂漠がある事を知った。北米大陸や今までの自転車旅ではサハラ砂漠的な砂漠を経験する事はなかったし“いつか”はそこを走ってみたいものだ。

しかしその時「その“いつか”はいつなのか?」とても気になってしまい頭の中で行った事のないポルトガル・スペイン、ウズベキスタンの両方を旅してみた。

そう長くはない。恐らく20秒ほどの時間だったのではないだろうか?

私はパソコンの不調と闘っているウズベキスタン人店員の手を止め旅の計画について話した。

『色々作業を進めてくれているところ悪いんですけど、ポルトガル・スペイン旅は無しにしてウズベキスタン自転車旅に変更します。航空券を手配して下さい。』

こうして北米大陸縦横断(2013年)、ハワイ島(2015年)、ニューヨーク-シカゴ(2016年)、チェジュ島(2016年)、台湾(2017年)、アラスカ(2017年)、カンボジア(2017年)、ニュージーランド(2018年)に続く9回目の海外自転車旅はウズベキスタンに決まった。

過去の旅やそこでの出会いに導かれていく訳でその瞬間に感じた事に従順になって旅の計画を立てていけばいい。





【滞在登録】

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路やポルトガル・スペイン自転車旅は幻となり、結局気になっていた『星の旅人たち』も観る事なく、俄かに中央アジアについて調べ始めるようになった。

9月に旅をすると決めていたがウズベキスタンという行き先は突発的に決まったのでその頃のウズベキスタンがどんな気候かも分かっていない。「まだ少し残暑が気になる時期かも知れないな」なんて悠長な事を考えつつ世界の天気予報で首都・タシケントの予想気温を調べてみたが私は思わず絶句してしまった。

連日40℃を超える猛暑が予想されるという...  

砂漠に惹かれてウズベキスタン行きを決めたのだから冷静に考えればそのくらいの気温で当然かも知れないが、適当に決めたこの旅は今まで通りかそれ以上に困難な旅になる事をそこで初めて覚悟する。

次に旅の様式についても現実を見極めたい。2017年のアラスカ自転車旅以降、キャンプという要素を旅に取り入れているが、今回のウズベキスタン自転車旅は全てホテル泊が可能か、それともキャンプが必須となるのか、それによって荷物の量や自転車の車種も変わってくる。自転車旅のパートナー「GoogleMap」と「booking.com」を使って徹底的に調べた結果、以下の様な行程に落ち着いた。


《ウズベキスタン自転車旅 行程》 

★事前予約済み

08月31日(金) 成田→タシケント 宿泊:タシケント(Hotel Ideal) ★
09月01日(土) 自転車セットアップ 宿泊:タシケント(Hotel Ideal) ★
09月02日(日) タシケント→ヤンギュリ(28km) 宿泊:ヤンギュリ(予約なし)又はキャンプ
09月03日(月) ヤンギュリ→グリスタン(103km) 宿泊:グリスタン(予約なし)又はキャンプ
09月04日(火) グリスタン→ジザフ 104km 宿泊:ジザフ(予約なし)又はキャンプ
09月05日(水) ジザフ→サマルカンド 103km 宿泊:サマルカンド(Hotel Ideal) ★
09月06日(木) サマルカンド滞在(Hotel Ideal) ★
09月07日(金) サマルカンド滞在(Hotel Ideal) ★
09月08日(土) サマルカンド→カッタクルガン 74km 宿泊:カッタクルガン(予約なし)又はキャンプ
09月09日(日) カッタクルガン→ナボイ 87km 宿泊:ナボイ(Garden House Mini-Hotel) ★
09月10日(月) ナボイ→ブハラ 104km 宿泊:ブハラ(Hotel Al Bukhari) ★
09月11日(火) ブハラ滞在(Hotel Al Bukhari) ★
09月12日(水) ブハラ→ウルゲンチ 432km 宿泊:キャンプ1
09月13日(木) 宿泊:キャンプ2
09月14日(金) 宿泊:キャンプ3
09月15日(土) 宿泊:ウルゲンチ(Navro'z) ★
09月16日(日) ウルゲンチ滞在(Navro'z) ★
09月17日(月)~09月18日(火) ウルゲンチ→タシケント→インチョン→成田


今回は首都・タシケントからM39、M37、A380という道で西進し約1000km先のヒバ(ウルゲンチ)という街を目指す。

ウズベキスタンの都市はシルクロード沿いに理想的な間隔で栄えているためホテルを繋ぐ自転車旅が可能だがそれはブハラまでの話であってブハラ-ヒバ間の430km区間に宿泊施設の情報は見当たらなかった。そのためGoogleMapをデフォルトから航空写真に切り替えてみるとその区間こそが本当の砂漠だという事が分かり施設情報の無さにも納得する。この辺りは荒野ではなく本当の砂漠なのだろう。

430kmと言うと東京の自宅から実家のある滋賀までと同じで自転車での距離感は理解できているが、その区間が全て砂でできていてそこを貫く一本道をひた走るというのはまるで想像がつかない。これはまた未知の旅の予感がする。

次にキャンプ旅では下調べが必須となる危険動物だが特にシルクロード沿いを走っている分には問題はなさそうだ。狼がいるらしいが生息域を調べると遭遇の可能性は皆無に等しいだろうし、HISのウズベキスタン人店員が教えてくれた巨大なトカゲについて調べを重ねても人を襲う様な情報は見当たらない。

砂漠ならではの危険な爬虫類や昆虫のリスクはあるかも知れないが、それを除けば最も危険な動物は同じ人間という事になるのかも。つまり今までの旅と同程度のリスクと考えて問題はなさそうだ。

「主な言語はウズベク語とロシア語」という記述を目にしこの国の歴史についても少し調べてみた。1991年のソビエト連邦解体によって生まれた国という事なのでロシアの多大なる影響を今でも受けているのだろうか。情報を集めていく内に今までの旅には無かった注意点が目立ち始めこの国ならではの事情を感じる。

・駅、空港、橋などの公共施設の撮影は禁止
・観光ビザで入国した際は滞在登録が必要

こんなルールは初めて聞く。公共施設の撮影が禁止されているというのはテロやスパイ行為に目を光らせているという事だろうが一体何者の脅威を感じてか?不可解には感じるも私はただシルクロードを走る自転車旅をするだけなので公共施設の撮影機会は少ないだろうしこの点はあまり関係ないが滞在登録に関しては不安を感じる。

じっくり調べてみると滞在登録というものはホテルなどの宿泊施設で「確かにうちに泊まっていましたよ」という証明として発行されるものでウズベキスタン政府は旅行者にその受け取りを強いているようだ。そしてその発行は主にホテルで行われる様で民泊に近い施設では発行できない可能性もあるらしい。つまりホテル予約サイトでホテルを選ぶ際も滞在登録ができる事を確認しないといけなくて個人旅行の場合注意が必要となる。分かり易く言うと「まともなホテルに泊まって常に居所をはっきりさせておけ。それがこの国を旅する条件だ!」と警告されている様なもの。

ならばキャンプに問題が生じるのでは?

滞在登録は出国審査時に必要となるのでブハラ-ヒバ間の430kmを走る数日間の滞在登録がない事で帰国時のトラブルに繋がる事があるのだろうか。この国の旅事情を全く分かっていない中、HISのカウンターで即決した旅だけあってこんな風に後から問題が見付かってくる。

恐らく法律的には旅行者がキャンプをする事は許されていないが、ブハラ-ヒバ間の砂漠に宿泊施設はないのでこの国を自転車で横断する旅を遂行するためにはキャンプをするしかない。

ならば430km区間に宿泊を伴わないよう1日で走るかという話になるがそれはトップ・オブ・トップのアスリートがロードバイクでならできる芸当で荷物を積載したマウンテンバイクベースの自転車では絶対に不可能だ。

ウズベキスタン自転車旅を決めたはいいが全てのルールをクリアしてこの国を走るのは無理な様子で規則がどこか形骸化している事を祈るばかりだ。

調べる事は大体調べたのであとは体力作りをして出発の日を迎えよう。





【新幹線の運転士】

2018年夏。ニュージーランド自転車旅を経て梅核気を克服し始めていた私は充実した時を過ごしていた。岳臣と礼文島にキャンプ旅へ行ったかと思えば次は家族とイタリア旅行に出掛けたり...  そしてそんな生活ができるほど仕事面も充実し理想の自由を謳歌していた。

人生のどん底を味わった2012年以降腐らずにがんばってきた事がやっと花を咲かせてきたようで代々木公園内に溢れるサルスベリの花と比べても我が人生は見劣りしない。

色彩感覚を失いどんな一日も曇天にしか感じなかった日々は懐かしく明治神宮の巨木にぶら下がっている奇妙な果実も見掛けなくなった。心の快晴率の高い朝を迎える事ができて目覚めるという“希望”を実感できる。

これを幸せと呼ぶのだろうか。

しかしある日突然、足元の地面が崩れ竪穴を滑り落ちる。予想だにしなかった出来事に自分が地底の世界へ戻ってきた事すら俄かに自覚できない... そんな感覚だった。

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