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『赤土と太陽』第五章

病気になった訳じゃない。

 
脚が折れた訳でもない。

 
走りたい。病気になったって脚が折れたって最後まで走り切りたい。

 
でももう走らせてもらえない......

 
テキサスの荒野の真ん中で私に絶望を与える事に一体どんな意味があるんだ?


誰か答えて下さい。誰か......
 
 
 
 
 
◆第五章目次
 
「荒野の希望」
「一日一日を必死でこなす」
「Interstate40」
「不安から恐怖へ」
「みんなアリゾナにいる」
「標高2300mの高地砂漠へ」
 
 
 
 
 
【荒野の希望】
 
幼い頃、実家の二階の部屋の床に小さな穴が空いていてそこから下の階を覗き込むと家族が楽しそうに過ごしているのが見えた。私もその輪に加わりたくて必死でその穴を通り抜けようとするのだが穴が小さ過ぎてどうしても家族と合流する事ができない。そんな夢を繰り返し見る時期が定期的に訪れる。

「辿り着きたいが辿り着けない」「叶えたいが叶えられない」そんな夢ばかり見る理由について「辿り着いた事がないから」「叶えた事がないから」と自分なりに分析し、家族と合流しこの夢を打ち壊すためには“成し遂げる経験”を積み重ねていく必要があると仮定した。
 
私は長い人生の中で“成さない”を積み上げ過ぎた。まるで倒産したスクラップ工場の鉄屑の山のようで、その場所がいつの間にかクチナシの花が香る美しい公園に生まれ変わる事はない。負の上に正は育たない。現実を一つ一つ処理していかないと。
 
私はアメリカを走り切れなければ何も変えられないどころか一生かけても処理し切れない“成さないゴミ”を積み上げてしまうのではなかろうか?そんな事は断じて許されない。どうしてもそれだけは避けたいが私の前に進むべき道はもうない。あるのは退路と青い空。放り投げた自転車の上にリュックを置いてそれを枕に寝転がると私はいつの間にか眠りに落ちていた。
 
 
2013年10月5日
 
どのくらい眠っただろうか。少し落ち着きを取り戻した私は現実と向き合う事とした。アメリカ自転車旅を断念したとしてもこの荒野から抜け出さないといけないという問題になんら変化はない。

価値を失った自転車のハンドルに付いた砂を落として元きた道をだらだら走り始める。確か何キロか手前で高速道路が遠くに伸びているのが見えた記憶があるのでその土手沿いに進めばいつかはインターチェンジやサービスエリアに辿り着けるかも知れない。そこでヒッチハイクをして近くの街まで乗せて行ってもらいアムトラックや高速バスで帰国便が出発するロサンゼルスを目指せるだろう。そう考えていた。
 
希望に向かって走っていないというのはこんなに虚しいものなのか。しばらく進むとインターステート40(以降I40)という高速道路が見えてきたのでiPadで地図を確認してみると2miles先にサービスエリアがある事が分かった。それはいいが2miles(3.2km)も草の茂った土手を自転車を押して歩く訳にもいかないしどうやってこの距離を進めばいいだろうか。

道があればそもそもアメリカ自転車旅を断念していないので発想が振り出しに戻る訳だが、2milesであれば自転車なら10分程度しかかからないしドライバーが驚いて警察を呼んだとしても彼らの到着までにサービスエリアに辿り着く事ができるだろう。

私はタランチュラやサソリを警戒しながら土手を駆け上がり130kmph以上で車が走っている高速道路に進入し路肩を懸命に走った。不思議と私にクラクションを鳴らす車はいなかったが静かに通報されている可能性もあるし兎に角急いでサービスエリアに逃げ込んだ。
 
サービスエリアに着くと妙に安心した。人間が周りに居るというのがこんなに心強い事だと実感する日が来るとは思ってもみなかった。私は高台から自分が絶望した行き止まり地点より先がどうなっているのか確認してみたがその景色に驚愕してしまった。

“もしかしたらしばらく歩くとまた道が見えてくるんじゃないか?”なんて淡い期待を抱いてあのまま道なき道を歩いていたら確実に遭難していただろう。アメリカ自転車の完遂は諦めざるを得なかったが命を最優先に考えれば正しい判断だとしか思わない納得の光景だった。
 
私は駐車場でヒッチハイクを始めた。親指を立てて車が停まってくれるのを待つ訳ではない。ここは高速道路のサービスエリアなので全ての車は駐車状態にあり、ノースカロライナで脱水症状で倒れていた時に乗せてもらったような自転車を荷台に積載できるピックアップトラックを見つけてドライバーが戻って来るのを待つのだ。

濃紺から黒のシボレーのピックアップトラックに目をつけて持ち主を待っているとサングラスに口髭の優しそうなおじさんがやってきた。女性はヒッチハイクを警戒する可能性があるので男性がいいとは思っていたがそのおじさんに声を掛けて自分の状況を事細かに説明してみた。

格好が明らかに自転車旅なので怪しいと思わないのかそのおじさんはにこやかな表情で私の話にうんうん頷き、『アマリロにある病院に行く途中だから一緒に行こう!』とヒッチハイクを受け入れてくれた。
 
私は人様の金を当てにするヒッチハイクという行為を嫌っていたので人生ですすんでヒッチハイクをした事はなかった。何時間、何十人と交渉してついに乗せてくれる人に出会うという印象を持っていたがまさか最初の声掛けでアマリロまで乗せてくれる人が見付かってしまうとは。
 
私を助けてくれたのはNeil Toddさんという65歳の男性でアマリロの病院に入院しているお母さんに会いに行く途中だったようだ。日本の鹿島に三年住んでいた経験があり日本や日本人についても詳しい様子。

私が『何かお礼をしたいです。』と話すと『日本にいたのは1990年代だった。日本の皆さんにはとてもお世話になったしそのお礼ができて嬉しいよ。気にしないで。』と笑っていたがアマリロに着いて別れる間際に私は彼の住所を尋ねた。帰国後に手紙を書いたりおじさんが好きだと言っていた蕎麦を贈る事もできるかも知れないから。最後にToddさんの写真を撮らせてもらって我々は別れた。
 
何とかアマリロに着く事はできWi-Fiを繋いでこの先の道のりについて確認してみたがやはり何百キロと高速道路しかなく自転車が通れる一般道は農道のようなものが細切れに存在しているだけだった。

アメリカ自転車旅の続行が不可能だという事実に何ら変わりはない。

ニューヨークに住んでいる但野友香に連絡をしこの悲しい状況を伝えた。『もし先々の道のりまでしっかりと確認して計画的にルートを決めていたらこんな事にはなっていなかったかも知れないし自己責任だと思っているよ。』とテレビ電話で話すと彼女は少し含みのある変な表情を浮かべ『ちょっとその辺りの州の法律を調べてみるよ。』と電話を切った。

法律?日本でいう道路交通法のようなものか?それの何を調べるんだ?いつだって希望を捨てない彼女らしい行動だが期待もせずに私はモーテルでビールを飲みながらピーチをかじっていた。
 
何時間かすると但野から連絡があり何本目かのビールをツイスト開栓しながらメッセージを開くと衝撃の内容に鳥肌が立った!


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