自慢にならない自慢――これまでの記事の紹介

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 自己紹介という言葉が嫌いだ。自己PRという言葉はもっと嫌いだ。紹介すべき自己などない。紹介することがないのだから、もちろんPRする自己などあるはずがない。

 しかし、新しい環境に身を置こうとすれば、自然とそれを求められる。受験、就活、転職、あるいはマッチングアプリなんかを利用したりするにも。1日わたしと働いたり、ご飯でも食べたりしたらわかりますよ、などといってもだめらしい。効率がわるいんだろう。

 昔話と自慢話は「老害」の悪い癖だ、と言われる。それは傲慢な振る舞いで、嫌われる、と。しかし、就職の面接でも、マッチングアプリの自己紹介でも、求められているのは、「あなたはなにをしてきたか」、そして、「あなたにしかできないことはなにか」、ということである。要するに、昔話と自慢話をしろ、との仰せだ。

 われわれは、相手に自慢話と悟られないような仕方で、自慢話をしなければならない。

 私は、自分には故郷がないと感じてきた。「ふるさと」がない、と。東京のマンションに生まれ、祖父母の家も小学校を卒業するころには、なくなっていた。母方の祖母は養護施設に入り、父方の祖父母は我が家の階下の部屋に移り住んできた。父の実家への帰省は、階段を降りて15秒で完了することになった。

 お盆や年末年始の帰省ラッシュというものを、忙しなくも、どこかうらやましいものとして眺めるようになった。友だちの話やテレビで流れる映像から、「青き山、清き流れ」に囲まれた一軒家で家族団らん、というイメージを作り上げ、漠たる憧憬の念とともに、その不在というものが私のなかに刻み込まれた。

 いうまでもなく、そのようなイメージは、イメージでしかないことを、その空疎さとともに、認識しておく必要がある。

 しかし、そのイメージを成員に流布させ、共有させることは、一方で近代国家の課題である。

 そして、「ふるさと」がない、あるいは自己自身が「空洞」であるような感覚は、単に帰省先がないということだけから生起するものでもない。

 自己の存在の基盤を形作るのは、「地元」への帰属意識にかぎらない。現代の私たちが帰属意識を持つ対象は、地縁や血縁だけではない。
 


 近頃は、権利主張の応酬である。自己PRとは別の次元で、「自分が自分であるところのもの」を主張しなければならない。「アイデンティティ・ポリティクス」というやつである。あらゆるバックグラウンドを持った人々が声を上げ、これまでに告発しようのなかった不当な抑圧や差別を訴えることが可能となった。それはすばらしいことだ。

 しかし、たいていの場合、われわれはマジョリティにならざるを得ない(ここでいっているのは、単に、あるひとりの人間が「多数」派と「少数」派のどちらに属する確率が高いか、という話でしかない)。マイノリティの運動や言論には力強いものがある。すると、マジョリティであるところの自分の尊厳が危機に陥っているかのように感じられる。不安になる。自分は、いかなるマイノリティたり得るか、ということがアイデンティティの深刻な問題になる。

 こんな逸話がある。多様なマイノリティ運動が勃興し、運動が個別化していくなかで、今後の運動の方向性に悩んでいたとある「活動家」の話だ。その人に子どもができた。しかし、子どもは障害を持ってうまれてくることを宣告された。すると、そのとき、当人は「助かった!」とさけんだ。

 ひどい話だが、それは、あたかもマイノリティでなければ主張はできない、政治運動はできない、とでも言うかのような現代の潮流にあってみれば、理解できないことではない。「活動家」はこれによって、「障害者」運動に連帯するパスポートを手にしたのである。

 われわれはその活動家のように、みずからのなかに、マイノリティ性を発見しなければならないような感覚を無意識に植え付けられている。発見できないなら、常に(マイノリティを(無意識に)抑圧している加害者たる)マジョリティとして、他者の要求に応答していかなければならない。

 しかし、たいていの人は、PRすべき自己も、アイデンティティ・ポリティクスの文脈に則した自己も持ち合わせていない(これも相対的な多寡の話である)。

 そのとき、マジョリティとしての自己に、何ができるか。何を乗り越えなければならないのか、それが問題となる。

 ここでは、「革命」を信じるかどうかは問題ではない。しかし、私たちは、大小は問わず、そして、日々何らかの行動や決断を迫られる。そのとき、自己の空虚さから来るニヒルな感情とどう折り合いをつけるのか。

 日々新たなカテゴリーから、新たな他者から突きつけられる自らの存在の「アイデンティティ」の欠如に、どう向き合うのか。

 しかし、空洞だ、虚無だ、などといっても、私たちはこの世界で生きていかなくてはならないのである。淡々と。軽やかに。

 だが、悩める精神は、そんな能天気に暮らしてなどいられない、と言うであろうか。実際、他者とコミュニケーションをとることさえ困難になっているではないか、同じ言語を話しているのに、言葉が通じなくなっているではないか、と。

 しかし、ひとつ決まって(しまって)いることは、私はここで生きていかなければならない、ということである。世界が近代化され、都市化され、醜悪で息詰まるようなものになっていくとしても。

 それは諦めである。しかし、「明きらめ」からこそ、生への意志は生じる。一度、自己を諦めなければ、真の意味で自らの生を生きることはできない。

 それは、極めて初歩的な意味で言えば、まず自分のおかれた環境にたいする認識である。しかし、諦めとは、それを甘受することではない。その変革を望むにせよ、いやそうであるならば一層、現状をありのままに知り、諦め=明きらめなければならない。

 都会に生まれたなら、近代化と都市化の果てに生まれた空間の醜悪さを嘆いているだけでは始まらない。そこで、流れに抗ってでも、生きていく意志を持たなければ。

 しかし、それはいわばネオリベ的なマッチョイズムであってはならない。自助努力によって、自分の利益を確保し、それを増大させていくのだ、というような。

 稼ぐことが正義であり、勝利であるというゲームルールに乗るのではない。社会で理想とされるステータスを得るために、戦うのではない。

 あくまでも、その抜け道を探る。制度に則って制度の裏をかく。制度を自壊させる戦略によって。

 そのために、何ができるだろうか。

 私は、「空洞」である。しかし、その空虚さに鬱々としていても、絶望していても仕方がない。絶望は罪である。そのために、その空虚さというものそれ自体を見つめる。そして、それを乗り越えようとする意志を見つめる。

 そのために、私は何かを読み、何かを書きたいと思う。


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