〔後篇〕芥川はなぜ革命家の問題となるのか――宮本顕治「「敗北」の文学」(1929)
〔前編からの続き〕
3.4 自己否定への意志
しかし、それだけなら、凡百のブルジョア作家たちと何ら変わることがない。革命家たちの心を動かすのは、そのような凡庸な道徳律、あるいはそこに留まらざるを得ない自己を超克していこうという芥川の意志である。
そのような転回をもたらしたのは、1925年における《日本プロレタリアートの全面展開の時代》だったと宮本は言う。芥川の自殺の二年前のことである。
宮本はいちいち説明してはいないが、1925年は、治安維持法が制定され、その適用によって、朝鮮共産党や、京都のマルクス主義研究サークルに対する弾圧(一連の京都学連事件の発端)が起こった年である。そんななかでも、前年に解体された共産党再結党に向けて、佐野学らを中心に「ビューロー」が結成され、文学者の間では、日本プロレタリア文芸連盟が結成されるなど、その活動はアンダーグラウンドなものに多くを負っていた(そうあらざるを得なかった)とはいえ、確かに活発化していた。
芥川は、その年の1月に、「大道寺信輔の半生」を発表している。宮本は、芥川の作品にそれまでほとんど見られなかった自伝的要素を多分に含んだこの作品を《珍しく告白的な情熱にと》み、《凜々とした気魄をたたんでいる》と、評価している。
1920年代に入って、活発化するプロレタリア運動、マルクス主義運動が、芥川に迫ったのは、《かつての冷笑的な風流的な生活態度に対する自己批判》だったと、宮本は語る。
ここに、宮本は、《理性的な一面に対する氏自身の反逆》を見出す。理性とは、ブルジョア道徳を規定するところの絶対的な観念である。その道徳律においては、理性的主体たることが、道徳的たることなのだ。
そこで理性の棄却のために求められるものこそ、《野蛮な情熱》である。《野蛮》とは、宮本の独創ではない。芥川自らがそのことについて語っているのである。
芥川は、「羅生門」などで有名なように、最初期より、『今昔物語集』などの古典に取材した作品を多く執筆しているが、死の直前に至って、その美の本質を発見した、と自ら語っているのである。
上の文章は死の直前に書かれた文章である。その「野性」に心引かれる芥川を示すエピソードとして、宮本は晩年の芥川が書画骨董に対してまったく関心を示さなくなっていた、という室生犀星の証言まで挙げている(このあたりのミヤケンの博引旁証ぶりには驚かされる)。
3.5 青年と社会と――「或阿呆の一生」
そして、その境地に至った芥川が最後に残した「或阿呆の一生」の分析に入る。宮本は特に、この作品を《過渡的インテリゲンチア文学の歴史的な高塔となるだろう》と高く評価する。
宮本は、その作品のなかで語られる「社会に対する恐れ」に注目する。
宮本によれば、芥川の「社会に対する恐れ」は二つのものに分析できる。
ここでいきなり、「資本主義の悪弊」が浮上し、原因とされることにやや唐突の感があるが、ここで二つに分けて指摘されているところは、本質的には一つである。マルクス主義的な史的唯物論の立場から、上部構造としての前者を規定するところの下部構造として、後者の資本主義的経済があると、考えられているからである。
ここでは、ブルジョア的な道徳律は、資本主義経済が規定するところのものであるがゆえに、マルクス主義運動が勃興し、資本主義が解体されんとしたとき、その道徳律も否応なしに、動揺させられる、とされる。資本主義という下部構造の悪弊によって、ブルジョア道徳の悪辣さが規定されているからである。
ここで、初めて「敗北」という語が登場する。論文の題から一貫して、 “敗北” に鉤括弧が付されていることが目を引く。それは単なる強調としてではないであろう。芥川は、何に「敗北」したというのか。芥川の「敗北」とはなにか。
3.6 芥川は何に「敗北」したのか?
宮本は、その「敗北」をもたらしたものとは、《社会生活における人間の幸福への絶望感である》という。《それは自己への絶望を持って社会全般への絶望に置き換える小ブルジョアジーの致命的論理に発している》。《かくて芥川氏は氏の生理的、階級的規定から生まれる苦悩を人類永遠の思想におきかえる》。その表れを芥川の残した次のような遺稿に見出す。
《かくて芥川氏は氏の生理的、階級的規定から生まれる苦悩を人類永遠の思想におきかえる》。それは《史的な必然として到来する新社会が、今日の社会より幸福ではあるがそこにもまだ不幸が残っている》のである、という思想、あるいはニヒリスティックな認識である。
革命が起ころうと、自我への執着と自己への絶望から生じる「娑婆苦」から、解放されることなどない。自我と社会とは完全に対立していて、相容れない。理性と自然の対立と言ってもよい。両者は切り離されている。ゆえに、外部が革命によって改まろうと、内部には関わりないのである。
この論の結びである。芥川は、自身の「階級的土壌」を踏み越え得なかった。それが結論である。
革命運動にいち早く挺身するのは、つねに若者であり、その多くは学生である。当時、大学に行ける者は、ほとんど名家の生まれであるといってよい。すなわち、ブルジョア、あるいはプチブルなのである。
例えば、宮本の一つ年下である太宰治は、津軽の豪農の家(父は衆議院議員、貴族院議員を歴任)の生まれであるが、上京後、共産主義運動に身を投じる。また、華族に出自をもちながら、共産党のシンパとなっていく者も現れていく(特に、岩倉靖子が有名であろう)。
(プチ)ブルジョア・インテリゲンツィアたる学生たちは、つねに芥川と同じ問題――「階級的土壌」の問題――に晒されているのである。血は争えない、というが、自らの出自・血縁といったものと争わねばならない。
芥川が評価されるのは、そのような内面化された階級性を、「自我」の問題として徹底的に突き詰めたところにあり、そして、「批判しき」らなければならないのは、「自我」の問題に拘泥し、象徴的な自裁を以て完全なる「敗北」を迎えたことである。
4 「勝利」のために
4.1 プチブルか、ブルジョアか
しかし、ここまで、私はブルジョアと小ブルジョアを同列に扱ってきたが、上の引用において、両者が区別されていることを認めなくてはならない(例えば、既成作家は、「ブルジョア芸術家」であり、「ブルジョア・イデオローグ」であるとされ、「小ブルジョア」とは明瞭に区別されている)。
そのなかで、芥川は一貫して、後者に位置づけられている。もう一度、宮本による芥川の階級的な位置づけを振り返っておこう。
ここでも、「彼」とあるのは、「大道寺信輔の半生」の主人公/信輔のことであるが、芥川と同一視されている、と見てよい。少なくともこの論においては、芥川はブルジョア既成作家よりも、「中流下層」の生育環境に合ったという点において、プロレタリアートに接近しうる「階級的土壌」を持っていたことが示唆されている。
芥川が、プロレタリアートに連帯できなかったのが「階級的土壌」によるとすれば、ほかのブルジョア作家よりも接近し得たのも、また「階級的土壌」による、と言えるのだ。
冒頭で批判されていた有島との差もそこに見出される。有島は、農場という「伝統的な生産手段」を有し、「生活的窮乏」に、必然的に晒されたことはなかったのである。
むろん、宮本が綿密に語ってきたように、芥川が内面的に苦闘を続けたがゆえに、革命家たちの、そして現代のわれわれの胸を打つような作品を残し得ているのであるが、いわば、プロレタリアートへの相対的な階級上の「近さ」というものが、その必要条件となっていることは否めない。
その点で、その性格や業績ではなく、芥川は本質的に、階級的な資質としてほかのブルジョアたちとは違うのである。それは、既成作家はもとより、たとえば太宰治や岩倉靖子のような、後年の共産主義シンパとの違いでもある。
4.2 「野蛮な情熱」へ
プロレタリア運動にコミットする上で、プチブルは、ブルジョアはいかに連帯しうるのか、という点について、(宮本の議論を踏まえるならば)芥川は自己自身を規定するところの階級的な構造に抗おうとし、「敗北」した。その構造を宮本は「階級的土壌」と呼び、それを踏み越えて往かなければならないという。
しかし、それはいかにして踏み越えうるのか。芥川が《自己の苦悶をギリギリに嚙みしめ》て、乗り越えようとし、それでも乗り越えられなかったものを、同じプチブルは、あるいはそれよりもプロレタリアと隔たったブルジョアジーは、いかに乗り越えられるというのか。
芥川が見出した《野性》、宮本の言う《野蛮な情熱》とは、いかにして獲得されるのか。それは、素朴で原始的なものへのロマン主義的な欲望ではないであろう。
いや、それは理論的に獲得されるものではないのかもしれない。「階級的土壌」を踏み越えることは、ある意味で簡単である。しかし、それはブハーリンの言う「善悪の彼岸」への「命がけの跳躍」である。
そこに命を賭する蛮勇はあるか? かつては暴力革命も辞さなかった前衛党の親玉は、難しいことは言っていない。ただ、それだけを問うている。
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