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入院書類の質問項目に狼狽える

入院前日にいくつかの書類を書きました。そこで、ハッとしたのが、”あなたは人生の最終段階をどこで迎えたいですか。”という質問です。


■人生の最終段階

「人生の最終段階」っといきなり問われても、正しい意味はよくわかりませんでした。自宅で迎えたいのか、病院で迎えたいのか、それとも施設で迎えたいのかというチェック項目がありました。

なんとなく、医師から回復の見込みがなく、近い将来にこの世からいなくなるだろうと予測される段階を意味していることは察知できます。

私は、3年程前、叔母の「人生の最終段階」を一緒に過ごした経験があります。医師、看護師、ケアマネージャーを交えての面談が行われ、叔母に回復の見込みがないこと、年を越すのが精一杯で桜を見るのは難しいこと、今後どのようにケアをしていくなどを話し合いました。叔母は、以前から自宅で最後を迎えたいということを私は知っていました。本人の希望を叶えるため、自宅で最後を迎えらるように準備を整えました。最終的には、自宅での病状のコントロールが難しく病院での最後となってしまいました。桜を見ることはできましたが、次の年の桜の季節を前に逝きました。

その時、私は、様々な理由から、自分の人生の最終段階は病院で迎えたと強く思いました。まさか、こんなに早くその決意を記さなければならないと思っていませんでしたが。ですから、入院書類には、病院で迎えたいにチェックを入れました。

■がんってそいう病気なの?

今は、入院時に、人生の最終段階をどこで迎えたいのかという確認項目は、一般的なのかもしれません。しかし、久しぶりの入院となる私にとっては、衝撃的な項目でした。さらに、”がん”という病気であることから、余計に「人生の最終段階」という言葉が重く感じられました。がん=死という漠然としたイメージが、具体的に示されたかのような気分になりました。それほど、ショッキングな質問事項だったのです。

■人生会議

誰でも、命にかかわる大きな病気やケガをする可能性があります。命の危機が差し迫った時、約70%の人は自分で意思を伝えることができなくなるそうです。万が一のために、自分が望む医療やケアについて、前もって考えたり、繰り返し話し合ったりして、信頼できる人に共有する取り組みをACP(Advance Care Plannig)というそうです。『人生会議』という愛称で呼ばれています。

私は、たまたま、先天性の重い病を抱えていた叔母とこの人生会議を幾度となくしていました。そして、叔母の人生の最終段階を可能限り叶える努力をしました。その経験が、私にとっては、無意識の内に自分の人生会議となっていたようです。

「人生の最終段階をどこで過ごしたいですか」という質問に、一瞬たじろぎましたが、答えをスムーズに書くことができました。それは、ひとり人生会議を行っていたことによることかもしれません。今後、意思はかわるかもしれませんが、今はとりあえず、病院希望です。


人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン
https://www.mhlw.go.jp/file/04-Houdouhappyou-10802000-Iseikyoku-Shidouka/0000197701.pdf


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