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「車でお遍路 特別編」丹生都比売神社(神さまが大師を高野山にお導き)

お遍路さんを結願したお礼報告に高野山へお参りした際、金剛峯寺で「開創の物語」を知った。

その冒頭に神様と大師の出会いがある。
その出会い、高野山への参道にある丹生都比売神社にうつひめじんじゃ丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃという神社でさらに知ることが出来たんです。

大同元年(806年)、大師が唐から帰国の途次「伽藍建立の地を示し給え」と念じて持っていた三鈷さんこを投げた

そして、その三鈷を求め大和国宇智郡(奈良県五條市付近)に入った時、手に弓と矢を持ち白と黒の2匹の犬を連れた猟師に出会った。

大師は猟師に「伽藍を建てるのにふさわしい場所を求めて歩いている」と伝えると、猟師は「それならば、ここから少し南の紀州(和歌山県)に良い場所がある。犬に案内させましょう」と言い姿を消したという。

この猟師は、狩場明神かりばみょうじん

大師は、その犬に導かれ、紀ノ川を渡り険しい山中へ入ると、また出会った一人の女性から、「わたしはこの山の主です、この山を貴方に永久に献上しましょう」と告げられた。

この女性は丹生明神にゅうみょうじん

参考:高野山真言宗 総本山金剛峯寺HPより

(参考)


丹生都比売神社にうつひめじんじゃ

丹生都比売神社にうつひめじんじゃは、大師が金剛峯寺を創建する弘仁7年(816年)の約500年以上前より、大師を高野山に導き神領を譲っていただいた神様である丹生明神にうみょうじん狩場明神かりばみょうじんを祀った神社なのです。


丹生都比売神社 外鳥居

丹生明神にうみょうじんとは、
丹生都比売大神にうつひめのおおかみのことで、天照大御神あまてらすおおみかみの御妹神さま
諸々の災いを祓い退け、一切のものを守り育てる女神。健康・長寿と農業・機織の守り神。
高野山を神領として保有していた丹生都比売大神は、狩場明神に導かれた弘法大師に高野山を譲った

狩場明神かりばみょうじんとは、
高野御子大神たかのみこのおおかみのことで、丹生都比売大神にうつひめのおおかみの御子。
狩場明神は、真言密教の根本道場の地を求めていた弘法大師の前に、黒と白の犬を連れた狩人に化身して現れ高野山へ導いた。
人生の幸福への導きの神。

丹生都比売神社の鏡池にかかる輪橋 右手の奥に本殿がある
中鳥居の先には楼門、その奥に本殿がある(いずれも重要文化財)
楼門の奥にある本殿の御祭神

第三殿の大食都比売大神おおげつひめのおおかみとは、あらゆる食物に関する守り神、食べ物を司る女神。

第四殿の市杵島比売大神いちきしまひめのおおかみとは、財運と芸能の女神、七福神の弁天さま。


丹生にうとは

「丹」という名前は、朱砂の鉱石から採取される朱を意味し、古代から魔除けの力があるとされ、「魏志倭人伝ぎしわじんでん」には既に邪馬台国の時代に丹の山があったことが記載、その鉱脈のある所に「丹生」の地名と神社があります。

その全国にある丹生神社は88社、丹生都比売大神を祀る神社は108社、摂末社を入れると180社余りを数え、丹生都比売神社はその総本社。

丹生都比売神社のパンフレットより

神社に朱色が多いのは、魔除けの意味があるんですね。


世界遺産登録

2004年7月には「紀伊山地の霊場と参詣道」が「山や森などの自然を神仏の宿る所とする信仰が形づくった景観」の代表例として世界遺産に登録、中でも丹生都比売神社境内は「神道と仏教の融合した文化的景観がある」と登録されました。

丹生都比売神社 楼門【重要文化財】
丹生都比売神社 本殿
光明真言板碑、脇の宿の石厨子、大峯修験者の碑


最後に

丹生都比売神社にうつひめじんじゃ」に祀る神が、弘法大師を高野山へ導き神領を譲ったが、
その後の弘仁7年(816年)、弘法大師は金剛峯寺を開創した同じ年に高野山入口に丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃ」を創建丹生都比売大神にうつひめのおおかみ高野御子大神たかのみこのおおかみを勧請、守護神として祀った。
そして高野山の政所として慈氏寺(現慈尊院)を創建している。

私が2022年2月よりはじめたお遍路さん、奥が深いですね。

※ヘッダー画像は、丹生官省符神社にうかんしょうぶじんじゃで撮影したものです。

合掌


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