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「車でお遍路」第12番札所 焼山寺(遍路ころがしの札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、12番目のお寺は、


摩廬山まろざん 性寿院しょうじゅいん 焼山寺しょうざんじ

11番札所の藤井寺から約38.0㎞、車で約90分の場所、

ついに「遍路ころがし(※①)」と言われる阿波霊場三大難所(※②)の一つ、標高938mの山腹で四国霊場で2番目に高い札所(※③)焼山寺山へ。

これまでのドライブ気分とは異なり車でもところどころ対向車が来ないようにと祈りながら狭い険しい峠道をひたすら走る

焼山寺にお参りすると空気感の違いが分かり、「車でお遍路」であっても修行の厳しさ、歩きお遍路がどれだけ大変か感じる札所である。

これまでの軽い気持ちが吹っ飛び、背筋がシャキッとすること間違いなしです。

では、遍路ころがしの札所「焼山寺」へ参りましょう。

山門をまっすぐ進むと突き当り正面に見えるのが本堂、向かって左に三面大黒天、右側に大師堂がある

ご詠歌

のちの世を 思えば恭敬くぎょう 焼山寺 死出しで三途さんずの 難所なんじょありとも


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大宝年間(701-704年)、修験道(山岳修行者)の開祖役行者小角えんのぎょうじゃおづぬが一本杉庵に蔵王権現を祀り開基

  • 弘仁6年(815年)頃、この地を巡錫中の弘法大師は、周囲で火を吐く大蛇に対して虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつの加護を得て洞窟に封じ込めたことから、虚空蔵菩薩※④を彫り御本尊として開山
    そして三面大黒天像※⑤を彫り、大黒天堂の堂内に安置して村人の安楽と五穀豊穣を祈った

  • 鎌倉時代(12世紀末-1333年)後期、後醍醐天皇(在位:1318-1339年)の勅願所となる

  • 江戸時代(1603-1868年)、徳島藩主蜂須賀公の帰依を受ける


弘法大師伝説

この地を巡錫中の弘法大師は、疲れて修験道(山岳修行者)の開祖役行者小角えんのぎょうじゃおづぬが建立した一本杉庵の杉の木の下で眠っていると、夢に阿弥陀如来が現れ周囲の異変を告げた

目を覚ますと周囲は火の海
大師は身を清め、「摩廬の印」を結び、真言を唱えて山道を進むと、火は少しづつ消えていき、そして9合目ぐらいまで登った時に村人たちを苦しめ火を吐く大蛇が岩陰から姿を現した

その時、大師は光を放つ虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつを感得、一心に祈願をして加護を得ると、大蛇を洞窟に封じ込めることができたという。


寺号について

  • 寺号について
    ・・・大蛇退治の際に焼け山となったことが由来

  • 山号について
    ・・・摩廬とは梵語ぼんご五輪ごりん(地、水、火、風、空)の一つである水輪すいりんの意味で火伏せに因んだもの。大蛇退治の際に「摩廬の印」を結び、真言を唱えて火伏せをしたことが由来


ご利益

  • 御本尊の虚空蔵菩薩
    ・・・記憶力を司る仏さまで丑・寅の守り本尊
    「福徳智慧」で学業成就の力、災難を除いて幸せになるとのご利益がある

  • 三面大黒天像
    ・・・3人の神さまが一体化、すべての災いを取り除き、幸福をもたらすとして信仰を集めている


御本尊・ご真言

本尊:虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ
真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか


見どころ

  • 境内から奥の院
    ・・・樹齢300年級の杉の巨木が100本以上立ち並ぶ。焼山寺のシンボルでもある

  • 杖杉庵じょうしんあん※⑥
    ・・・駐車場から1.6㎞ほど下ると、「衛門三郎終焉の地」伝説が残る四国八十八箇所霊場番外札所「杖杉庵じょうしんあんがある

  • 三面大黒天堂
    ・・・三面大黒天像は、弘法大師作と伝わる。中央に大黒天、右面に毘沙門天、左面に弁財天、の3つのお顔がある珍しい大黒天

境内には杉の巨木が幾本も


おまけ情報

  • ※①遍路ころがし
     お遍路さんが転倒するほど極めて過酷で険しい道をいう

  • ※②阿波霊場三大難所
     「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といい、12番札所焼山寺、20番札所鶴林寺、21番札所太龍寺のことをいう

  • ※③四国霊場で2番目に高い札所
     1番目は標高911mの66番札所雲辺寺

  • ※④虚空蔵菩薩
    真言を1日1万遍づつ100日かけて100万遍唱えるという修行法である求聞持法ぐもんじほうの本尊であり、弘法大師もその厳しい修行をしたという

  • ※⑤三面大黒天像
     大黒天、毘沙門天、弁財天、の三面の像

  • ※⑥杖杉庵
    天長年間(824~833年)に、衛門三郎は弘法大師に行った無礼(強欲だった衛門三郎が托鉢僧を馬の鞭で払ったところ、その僧の手から托鉢の鉢が滑り落ち8つに割れ、その翌日より8日間に三郎の子供8人が亡くなった。その托鉢僧は弘法大師だったという)を悔やみ詫びるため大師を追って四国巡礼の旅に出たが、20回まわっても会うことが出来ず21回目の逆打ちの際この地で力尽き病に倒れたという。お遍路の元祖、衛門三郎の終焉地

  • 駐車料が必要


写真


次は、第13番札所大日寺へ参ります。

2022年2月15日投稿
2022年9月8日改訂

合掌

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