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「車でお遍路」第18番札所 恩山寺(大師の母親想いの札所)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、18番目のお寺は、


母養山ぼようざん 宝樹院ほうじゅいん 恩山寺おんざんじ

17番札所の井戸寺から約19.6㎞、車で約60分の場所、

次に訪れた札所は、17番札所の徳島市を離れて小松島市に入りゆったりとドライブ気分。そして車通りがある国道を離れ山道を登っていくと駐車場脇に弘法大師がお出迎え。

そこには、かつて女人禁制だったお寺「恩山寺」が人里を離れて静かにひっそり佇んでいます。
弘法大師と母公との並々ならぬ絆に思いを馳せて参拝します。

では、大師の母親想いの札所「恩山寺」へ参りましょう。

大師堂、廊下で繋がるその横には「大師御母公のお堂」


ご詠歌

子を生める その父母の 恩山寺 とぶらひがたき ことはあらじな


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 聖武天皇(在位:724-749年)の勅願により、行基菩薩が厄除けの薬師如来像を彫り御本尊として「大日山福生院密厳寺」を開基
    災厄を除く道場
    として女人禁制の聖地であった

  • 弘仁5年(814年)、この地で巡錫中の弘法大師は、母公(玉依御前たまよりごぜん)が讃岐から訪ねてきた際、一七日(7日間)の修行をして女人解禁の秘法を修し成就、女人禁制を解き母公をお寺に迎え入れ孝養を尽くした

  • 同年、大師は山号院号寺号とも「母養山 宝樹院 恩山寺」に改名、自身の像を彫り堂宇に安置

  • 天正年間(1573-1592年)天正の兵火で焼失

  • 江戸時代(1603-1808年)、阿波藩主蜂須賀公の庇護を受けて復興

  • 文政年間(1804-1830年)、諸堂が再建

  • 明治31年(1898年)、落雷により堂宇は焼失

  • その後、再建して現在に至る


弘法大師伝説

弘法大師の母公(玉依御前たまよりごぜんは、讃岐の善通寺から弘法大師を訪ねてきたが女人禁制のため入山できず。

そこで、大師は一七日(7日間)滝に打たれる修行をして女人解禁の秘法を修し成就、女人禁制を解き母公をお寺に迎え入れ孝養を尽くしたという
また、同時に境内に唐木(毘欄樹)を記念樹として手植えしている

そして、弘法大師の母公玉依御前たまよりごぜんは、この恩山寺で出家、剃髪をして御堂に納めている

大師堂には、大師自ら「我が願いは末世薄福の衆生の厄難を除かん」と誓い自身の像を彫り安置、廊下で繋がる隣には玉依御前たまよりごぜん像を祀る御母公堂が寄り添うように建っている。


寺号について

  • 山号・寺号について
     
    ・・・大師は、訪ねてきてくれた母公のために、女人解禁の秘法を修し成就、女人禁制を解き母公をお寺に迎え入れ母に孝養を尽くしたことから、「母養山 恩山寺」と自ら名付けた

  • 院号について
    ・・・母公を迎え入れた時に、境内に唐木(毘欄樹びらんじゅ)を記念樹として手植えしたことから、「宝樹院」と名付けた


ご利益

  • 御本尊の薬師如来
    ・・・大医王仏だいいおうぶつ医王如来いおうにょらいとも呼ばれ、十二誓願じゅうにせいがん現世利益げんせいりえきの仏さま(病気平癒、他)

  • 大師堂の大師像
    ・・・衆生に厄難を免れ福が訪れるようにとの願いが込められている


御本尊・ご真言

御本尊:薬師如来
ご真言:おん ころころ せんだり まとうぎ そわか


見どころ

  • 本堂
    ・・・行基菩薩作の薬師如来像が祀られている

  • 大師堂
    ・・・大師自らが彫った自身の像が祀られている

  • 御母公堂
    ・・・「大師御母公剃髪所」との石碑があり、玉依御前たまよりごぜん像が祀られ、髪の毛が納められているという
    「たらちねの 母こそしのぐ 恩山寺 大師の利生りしょう あらたなりけり」との御詠歌がある


写真


次は、第19番札所立江寺へ参ります。

2022年2月28日投稿
2022年9月13日改訂

合掌

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