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「車でお遍路」第68番札所 神恵院(1境内に2札所が同居、コンクリート打ちっぱなし⁈)

こんにちは、旅いこかです。

四国八十八箇所巡礼、弘法大師との「同行二人」の旅、68番目のお寺は、

七宝山しっぽうざん 神恵院じんねいん


67番札所の大興寺から約11㎞、車で約20分の場所、

これまで山岳霊場や山裾のお寺を参拝してきたが、久しぶりに海に近い霊場第68番札所神恵院まで車を走らせる。

第67番札所大興寺は、真言宗と天台宗とが同居していることで珍しかったが、

この札所、四国霊場では唯一第68番札所七宝山神恵院と第69番札所七宝山観音寺が同じ境内に同居しているという珍しい札所。

神恵院は、山号は第69番札所の観音寺と同じ、四国霊場では唯一寺号がないお寺(四国霊場で唯一「坊」という第55番札所南光坊は、光明寺こうみょうじともいう)。
また、本堂へはコンクリート打ちっぱなしの建物を通っていくという奇抜さには驚きます。

では、2札所が同居する札所「神恵院」へ参りましょう。

山門の袖には「四国第六十八・六十九番霊場」「七宝山 観音寺・神恵院」とある
神恵院本堂へはコンクリート打ちっぱなしの建物の中へと進む


ご詠歌

笛の音も 松吹く風も 琴ひくも 歌うも舞うも のりのこえごえ


お参りする前に知っておいた方が良い知識

歴史

  • 大宝3年(703年)法相宗の高僧である日証上人にっしょうしょうにんが琴弾山頂で修行中、沖合の舟で琴を弾く翁を発見、その翁は宇佐から来た八幡大明神、風光明媚な地ゆえ去りがたいと告げた
    日証上人は感動しその舟と琴を琴弾山山頂へ引き上げ「琴弾八幡宮」を建立して祀った
    この時、日証上人は琴弾八幡宮の神宮寺(別当寺)として開基したお寺が神恵院の起源という

  • 養老6年(722年)行基菩薩が訪れる

  • 大同2年(807年)、この地を巡錫中の弘法大師は、琴弾八幡宮の本地仏の阿弥陀如来像を描いて御本尊(絹本著色琴弾引八幡本持仏像)として安置、寺号を琴弾山神恵院として霊場に定める

  • 明治時代初期には、神仏分離令により琴弾八幡宮は琴弾神社と神恵院に分離、八幡宮に安置していた御本尊は山の麓(現在の地)の観音寺かんのんじ西金堂さいこんどうに移す
    その際、神恵院は観音寺境内に移ることとなり、西金堂を神恵院本堂として現在に至る


大師伝説


寺号について

  • 院号について
    ・・・弘法大師が名付けた

  • 山号について
    ・・・弘法大師は、観音寺に七堂伽藍を建立した周辺の地に、瑠璃、珊瑚、瑪瑙めのう、など七宝を埋めて地鎮したことから、「七宝山」命名


ご利益

  • 御本尊の阿弥陀如来
    ・・・「南無阿弥陀仏」と唱えることで迷いや苦しみから救いを求める全ての人を、悟りへと導く来世利益らいせいりえきの仏さま(極楽浄土へ迎え入れてくれる)


御本尊・ご真言

本尊:阿弥陀如来
真言:おん あみりた ていぜい からうん


見どころ

  • 山門
    ・・・「四国第六十八・六十九番霊場」「七宝山 観音寺・神恵院」と四国霊場唯一の2つの札所名がある。

  • 本堂
    ・・・コンクリート打ちっぱなしの建物の中の石段を上るという珍しい本堂。弘法大師が描いた阿弥陀如来像(絹本著色琴弾引八幡本持仏像、絹に描いた仏像の画)を祀るが秘仏のため見ることは出来ない。

  • 琴弾八幡宮
    ・・・時間が許せば神恵院の発祥の地である琴弾八幡宮は参拝する価値あり。観音寺市有明浜の白砂に描かれた巨大で有名な「銭形砂絵」(古銭の寛永通宝)を見ることが出来る。
    この砂絵を見ると、健康で長生きしてお金に不自由しないと伝えられている。


その他

四国霊場で最も近い札所が、第68・69番札所で同じ境内に同居はしているが、驚くことに納経所も山門と同様に同じ場所。
なんだか何故かしら得した気分(何が得なのかわかりませんが。。。)

境内には、左が「神恵院」、右が「観音寺本堂」と案内があるので間違えない


写真


次は、第69番札所観音寺かんのんじへ参ります。

2022年7月20日投稿
2022年10月10日改訂

合掌

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